2017年11月30日木曜日

パクス・トクガワーナー戦国時代の人々は本当にそれを目指していたのだろうか?


 1126日の「おんな城主直虎」を見ていたら、直虎が井伊直政に徳川を支えて戦のない世の中を目指すようにと言い諭すシーンがあった。長い間続いた戦乱の世は、秀吉政権から江戸幕府にかけて終焉を迎え、江戸時代は、世界史的にも珍しい戦乱のない時代となり、パクス・トクガワーナとも呼ばれている。17世紀は、英国ではピューリタン革命からの内戦、ヨーロッパ大陸では30年戦争に代表される幾多の宗教戦争、アジアではムガル帝国の侵略や明朝の崩壊など、世界規模では戦乱が終わりを告げることはなかった。しかし、江戸の幕藩体制下では、内乱を終わらせただけではなく、歴史上稀に見る治安の良さも達成されたのである。

 戦国時代、平和の理想をどのくらいの人々が考えていただろうか。地方大名の中には、弱体化していた室町幕府を支えて争いのない世の中をという発想は16世紀の前半にあっただろう。しかし、戦国時代後半の大規模な勢力がしのぎを削るパワーゲームの時期は、各大名あるいはその家臣たちは平和の理想のようなことを考えていただろうか。

 秀吉などの大勢力によって統一が進むと、その大勢力の一員となった側の間で、井伊家レベルの小勢力間の争いが減り、治安も良くなってきたという実感は芽生えてきたであろう。そして、統一達成後の文禄(15921596)以降は、国内での戦乱はいったんほぼ収まった。その時代の人々の間で、「元亀天正の世(15701592)に戻したくない」と語られるようになって、ここへ来て、平和への価値観が共有され始めたかもしれない。最初から理想として目指されていたかどうかは疑問だが、結果的に「平和は良いもの」という結論に達したわけである。

 それが、秀吉没後の争いにも現われてくる。石田三成が徳川家康に反旗を翻したとき、勢力が拮抗した状況で、かなり多くの人々は長い内戦になると予想していた。真田昌幸・信繁父子、黒田如水の行動は、戦乱が長引くことを予想した上でのものだったはずである。ところがこの戦乱は、結局は関ケ原の一戦でほぼ決着がついてしまった。わずか一日で決着がついたというこの背景には、もう長い戦乱はこりごりという人々の切なる願いもあったのではないかと思われる。

 さて、冒頭にも記した直虎のシーンだが、1580年代前半の時点で、こういうセリフははたしてありえたのだろうか。残された書簡等の中にこういう文章のようなものがあれば証拠になるのだが、私は歴史の専門家ではないのでわからない。しかし、領内の人々と密接につながっていた小領主なら、大きな勢力の傘下に入ると、軍役や徴兵の回数が減り、戦死者が少なくなり、人々が安心して生活できるようになりつつあることが実感できたかもしれない。そういう状況で、聡明な領主なら、「平和を目指すために徳川に」くらいのセリフは言った可能性が十分にあるのではないだろうか。あながち、ドラマにおける主人公の美化というわけでもないかもしれない。

2017年11月26日日曜日

身体部位語―空間的・機能的拡張と身体感覚ベースの表現


 前回の記事で、身体部位を表す単語の連呼を記したが、そこからの連想で、身体部位語がさまざまな比喩表現として使用されている例を思い出した。この話題は、ロスアンジェルス在住のジョン金井氏の著作である『そうだったのか! ニッポン語ふかぼり読本』の中にも取り上げられている。なお、金井氏のブログは、氏の許可を得てこのウェブサイトからもリンクされている。

 金井氏の中で取り上げられている例は、「顔を立てる」、「目立つ」、「腹が立つ」という一般的なフレーズから、「屁っ放り腰」、「尻に敷く」、「尻軽女」、「尻に火がつく」、「目ん玉が跳び出る」、「喉から手が出る」、「へそを曲げる」など、どちらかといえばスラングに当たるような表現まで、実に多様である。前回の記事の中のストレートな放送禁止用語の使用と比べて、一ひねりも二ひねりもあるものが多い。

 当初は、これらは身体部位用語の拡張にすべてあてはまるのかなとも思った。頭や耳などの身体部位語が空間関係の比喩的表現に拡張される例は、ほぼすべての言語に共通する特徴のようで、たとえば英語でも、head ()が、ahead (前方)や、head of a pencil (鉛筆の先)という表現として用いられている。また、日本語の口は、入口や出口、蛇口のように用いられ、何かが出入りする箇所を表現している。また、特殊な例として、中央アメリカの上ネカクサ・トトナック語があるが、この言語では、耳が、カップの取っ手や樹木の枝を表現するのに用いられ、膣が袋として何かを運ぶものとして用いられるらしい。これらの拡張は、パートノミーと呼ばれている。自分の身体感覚に直接訴えるような表現が、空間関係を表現するために拡張されていったのだろう。

 「尻に敷く」のように、どっしりとした重心の下部が、何かを押さえつける(たいがいは、ダンナだろうが)機能を表すものとして使用されるのは、身体部位語の機能を伴った空間的拡張である。上ネカクサ・トトナック語の膣と同じようなものだ。それに対して、「へそを曲げる」は、身体の中の精神のありかの信念に基づくものである。身体中の精神のありかには、「頭を使う」のようにある程度正しいものもあるが、「腑に落ちる」のようにそうではないものもある。しかし、どちらも何かを行っている時に感ずる身体感覚に根ざしているのだろう。さらに、「顔を立てる」のように、顔が、身体感覚から離れて明らかにメンツや自尊心・評判などの比喩として用いられる場合もある。あるいは、赤面や顔面蒼白などの身体感覚と関係しているのだろうか。私は言語学の専門家ではないので判断できないが、いずれにしろ後者は、身体部位用語の拡張というよりは、身体感覚を利用した比喩であろう。

 逆に、身体感覚なのにわざと身体部位語を使用しない場合もある。「靴の中が痒い」が代表的なもので、痒いのは実際には足の皮膚なのに、わざわざ「靴の中」という表現に言い換えているわけである。おそらく、掻きたいのだけど靴に妨害されて掻けないもどかしさが表現されているのだとは思う。私には、「足が痒い」よりは「靴の中が痒い」のほうが、身体的な痒さが伝わってくる。こういう例はおもしろいと思うのだが、他にもないだろうか。集めてみたら興味深いかもしれない。

2017年11月23日木曜日

ダンバー数を超えてー (下ネタ失礼します)


 社会的哺乳類として進化した霊長類には、集団が拡大すれば協同作業や外敵との争いという点で有利だが、集団の維持にコストがかかるというジレンマが常にある。集団が大きくなると、成員間の相互理解に大きな認知的負荷がかかるからである。そうした背景から、言語の起源についての研究で知られるロビン・ダンバーは、霊長類における集団のサイズが、脳における新皮質比率にほぼ比例するという法則を見出した。つまり、新皮質の割合が大きければ、集団成員が増えるという認知的負荷に耐えることが可能になり、また、新皮質はその淘汰圧によって増大してきたというわけである。この法則が正しければ、ヒトの新皮質比率から推定される適正集団は150人とのことで、この150人という数字がやや独り歩きしてダンバー数と呼ばれている。

 確かに、自分の周囲を見渡して、現時点でお互いにかなり知っているような知人・血縁関係者は150人くらいかなとも思うが、ヒトは、このダンバー数を超えて、企業や国家といった大規模な協同を可能にしている。現代についていえば、社会システムによる「制度」が大きな役割を果たしているが、ダンバーは、もう少し原初的なものに、言語、音楽あるいは宗教があったのではないかと推定している。

 チンパンジーが相手との相互の絆を高めあう行動に「毛づくろい」がある。毛づくろいをしてもらったら、相手にもしてあげるという互恵性の中で紐帯が生まれるわけである。しかし言語は、これよりもはるかに効率的な相互理解をもたらしてくれる。また、音楽的要素を含んだ宗教活動は、多くの人々を一種のトランス状態に巻き込み、共同体意識を高めてくれる。原始的な社会では、シャーマンが中心になって、人々が音楽に合わせて踊りながらトランス状態になるということが行われたようだが、ダンバー数を超えて人々を結びつけるという適応的意味があったのだろう。

 文明時代のトランスとして、遊行念仏や幕末の「ええじゃないか」、また、現代のロックコンサート等がその代表かもしれない。バブル時代に一世を風靡したディスコもその一例だろう。

 それで私が思い出したのが、大学時代の部活動である。私は学生時代に某大学体育会系○○部に所属していたが、毎年7つの国立某大学が集まって行われる大会は、ビッグイベントの1つであった。その大会の終了後に、一堂に会して懇親会が行われるのが恒例で、毎年、各大学の1年生が、猥歌を披露して盛り上げることになっていた。で、私が3年生の時の1980年、広瀬川のほとりの某大学で行われた懇親会は凄かった。わが大学の後輩たちの芸は極めて単純なもので、阿波踊りのような振付で、ただただ、以下のように、人体のある部位を意味する放送禁止用語を連呼するだけであった。

「理性がなくなる、理性がなくなる♪ オ○○ッ! チ○○ォ~! ○○の穴ッ!」

 これが盛り上がった。ごく少数ながら女性も含まれていたが、会場が騒然と熱気に包まれ、かなりの部員たちがその放送禁止用語を叫びながら一緒に踊り始めた。振付もセリフもシンプルだったので、参加が容易だったのだろう。おそらく懇親会場には300人以上いたと思われるが、ダンバー数を超えて一体化した一瞬であった。

2017年11月19日日曜日

ホモ・サピエンスのアメリカ大陸への拡散―アメリカンエクスプレス?

 前回の記事で、南北アメリカにおける大型哺乳類の激減・絶滅に触れたので、南北アメリカへのホモ・サピエンスの拡散について考えてみたい。彼らは、145千年前に、当時陸橋となっていたベーリング海峡 (ベーリンジア) を渡り、今のアラスカにたどり着いたが、当初は分厚いコロンビア氷床が障害となってそれ以上南下することができなかった。最終氷期が徐々に緩み始めて氷床の中に回廊ができ、今の合衆国あたりに侵出したのが約1万3千年前で、その後、約千年で南アメリカの南端のパタゴニアにたどり着いたと考えられている。

 比較すると興味深いのが、約6万年前から5万年前にかけて起きた、アフリカからスンダランド (氷河期は東南アジアの島嶼部が大陸になっていた)を経てのオーストラリアへのホモ・サピエンスの拡散である。この拡散は、ユーラシア内部やヨーロッパへの拡散よりはるかに速く、シーショアエクスプレスと呼ばれている。おそらく比較的安全で食糧も豊富なインド洋の海岸に沿って拡散していったと思われる。

 ホモ・サピエンスの拡散は、マッチポンプのようなものらしい。つまり、気候が安定して食物が豊富になると人口が増えるが、寒冷や乾燥が続くとたちまち食糧不足になって、周辺に散るという形で拡散・移動していったようだ。それにしても、アメリカ大陸の北から南の拡散は、シーショアエクスプレスのオーストラリアへの拡散よりはるかに速く、これはアメリカンエクスプレスと呼んでもいいのではないかと思うのだが、残念ながら、「アメリカンエクスプレス」で検索してみても、そういう用語はないようだ (某クレジットカード以外にヒットするものはない)

 アメリカンエクスプレスの時代は、シーショアエクスプレスの時代よりもはるかに道具が進歩を遂げている。文化のビッグバンをへて、1万3千年ほど前からクローヴィス文化が北米で花開いたが、独特な樋状剥離が施された尖頭器を特徴としている。これを弓矢や投げやりにつけて、人間をほとんど恐れなかった大型哺乳類を獲物にしていったのだろう。北アメリカの、バイソンがたむろする草原に侵出してきた人々は、危険な動物も比較的少なく、ここはパラダイスではないかと思ったのではないだろうか。このような状況で、マンモス、マストドン、巨大ナマケモノ、巨大アルマジロ、サーベルタイガーが短期間に絶滅していったようだ。

 ここはもう食べるものがないと判断して南へ移動していった人々もあれば、仲間割れで「こんな奴らと一緒は嫌だ」と離反して移動していった人々もあるだろう。心理学の立場から想像するといろいろと楽しいが、おそらく彼らの人間関係も、現代の人間関係とそう変わることもなかったのではないだろうか。当時の人々は新天地に行けばまだ手つかずの獲物がいたが、現代では「辞めてやる!」と辞めてしまったあと、パラダイスを見つけるのはかなり困難である。

2017年11月16日木曜日

「哺乳動物が人間に馴れる」とは?

 15年ほど前にジャレド・ダイアモンドの名著である『銃・病原菌・鉄』を読んだとき、印象に残っていることの一つに、ユーラシアには輸送や長距離移動に利用できるウマがいたが、アフリカにはそのような動物はおらず、たとえばシマウマは絶対に人間に馴れないという記述がある。彼の主張は、それがアフリカの停滞とユーラシアの発展をもたらした要因の一つということだが、その議論から外れて私が素朴に感じたことは、動物が人間に馴れる・馴れないというのは何が原因なのだろうかという疑問である。種としてDNA的に人間に近いとか、高度な知能 (「動物における高度な知能」という場合、基準が難しいが) をもっているとか、そういうことでもなく、また、同じゾウでも、インドゾウは人間に馴れるがアフリカゾウは凶暴で馴らすのが困難というように、種内においても変動があるということが不思議だった。

 この「人間に馴れる」という問題について、当時、ある動物学の方にお聞きしたところ、そんなことを研究している人はほとんどいないという回答だった。人間に慣れたイヌやネコは、あまりにも「人工的」なので、動物として研究する価値がないということらしい。しかし、この10年ほどの間に、動物学においても、ヒトと他の動物を比較する比較心理学においても、動物たちがどのように人間を認識するのかについての研究が徐々に行われているようである。

 概していえることは、あまりにも神経質だったり攻撃的だったり、また人間を恐れる哺乳類は人間には馴れない。しかし、馴れるか馴れないかには、種内の個体差も大きく、成育の中で人間とどのように接したかも大きく影響しているようである。また、大規模な自然実験が、67万年前に始まったホモ・サピエンスのアフリカから世界への拡散である。その拡散の中で、ユーラシアやオーストラリア、南北アメリカにおいて人間を恐れなかった大型哺乳類が次々と絶滅していった。アフリカにおいては、人類進化600万年の過程で、動物は人間を怖がるようになる進化を遂げていたかもしれないが、1万3千年くらい前に初めて人間が渡っていったアメリカ大陸では、大型哺乳類は人間を恐れなかったようである。この絶滅・激減には、気候変動が大きな要因だというのが従来の説で、ホモ・サピエンスの移住の影響がどの程度であったかはまだ明確ではない。しかし、人間を恐れなかったということは事実のようである。人間に馴れるインドゾウと馴れないアフリカゾウとの違いも、そのような人類との関わりの歴史の中から生じてきたようだ。

 イヌは約15千年前、ネコは約1万年前に家畜化されたようだが、比較的人間に馴れた個体、人間を恐れない個体を飼いならして繁殖させていったのだろう。なお、イヌ科のギンギツネについてのデータ (これは科学的な研究というより毛皮のための養殖という実用的な目的で行われたことの結果のようだが) によれば、おとなしい個体のみを繁殖させ続けてほぼ50(キツネの繁殖年齢はおよそ1年なので、50世代) で、凶暴な個体がいなくなるようである。

 イヌとネコでは人間をどのように認識しているかに大きな違いがあるようだ。ジョン・ブラッドショーは、彼の著作である”Cat Sense(残念ながら訳書はない。私も中身までは読んでいない)の中で、イヌは、人間と自分以外のイヌとを区別しているようだが、ネコはその区別ができておらず、人間を単にでかいのろまな同類という程度の認識しかしていないのではないだろうかと記している。ただ、自分よりはバカだとまでは思っていないようだが。最近、私は、私の大学にいるネコを手なづけた。彼のほうでは、自分の背中を時々掻いてくれるでかいのろまな奴を手下にしたと思っているかもしれない。下記の「市大猫」のツイッターによると、名前は「ハナ」ちゃんだろうか。では、彼ではなく、彼女なのかもしれない。
https://twitter.com/hashtag/%E5%B8%82%E5%A4%A7%E7%8C%AB

2017年11月12日日曜日

日本人は論理的に考えることが本当に苦手なのか―比較文化編

 前回の投稿では、少なくとも遺伝子頻度の差異で思考スタイルの文化差を説明するには無理があるという主張を行ったが、今日は、その思考スタイルの文化差についても触れておこう。拙著『日本人は論理的に考えることが本当に苦手なのか』でも解説されており、1211日の大阪市大の公開講座でも紹介する予定である。

 過去20年の間にさまざまな思考の比較文化研究が行われたが、その多くは東洋人と西洋人を比較したもので、1999年にカイピン・ペンとリチャード・ニスベットがアメリカン・サイコロジスト誌で発表したパイオニア的研究に端を発する。彼らの研究では、東洋人は西洋人と比較して、対立する意見や矛盾にたいして弁証法的な解決を好むということが示されている。

 彼らの主張は大別して二つある。一つ目は、たとえば、「過度の謙遜は半分自慢」のような矛盾を含む諺を中国人のほうがアメリカ人よりも好むという結果に基づくもので、東洋人は矛盾を許容する度合いが大きいという主張につながる。二つ目は、「家族への緊密さが満足した社会的関係に結びつく」と「家族との結びつきが弱い子どものほうが成熟する」という一見対立した意見が同時に提示されると、アメリカ人はどちらかに賛成または反対という傾向が強いが、中国人は両方の意見への賛成度が極端にならないという結果に基づくものである。つまり、東洋人は、矛盾した意見に出会ったときは、その中庸をとるという傾向が強いというわけである。

 彼らの研究以降、私たちのものも含めて、東洋人の思考が弁証法的かどうかについての比較文化研究が行われ、支持するものもあれは不支持なものもあるという状況だった。ここでそれぞれの研究を紹介するのはたいへんなので、それらを簡潔にまとめよう。現時点の暫定的な結論は、東洋人は矛盾する主張に出くわしたとき、中庸を行くような弁証法的な意思決定を実際には行うわけではないが、世界は矛盾に満ちていて当然というような弁証法的な世界観をもっており、また弁証法的思考により価値をおいているのではないかということが推察されている。

 ところで、弁証法は、矛盾している命題を受け入れるという意味で、確かに「論理的」ではないのかもしれないが、一方で、真と偽からなる二値論理を超えて、より高度な思考(ヘーゲルによれば、「止揚・アウフヘーベン」と呼ばれる)であるともいえる。しかし、かといって東洋人の思考スタイルは西洋人のものより高度であるという結論は早計であろう。東洋人の弁証法は、止揚のような高度なものではなく、陰と陽が表裏一体であるとする陰陽思想等の文化的伝統の影響を受けた世界観に基づくものと考えるのが現時点で最も無難であろう。


2017年11月9日木曜日

日本人は論理的に考えることが本当に苦手なのか―遺伝子編

 この秋冬の大阪市立大学の、「温故知新」と題した一連の公開講座の一つとして、1211日の夕方、梅田の大阪市大の文化交流センターで話すことになった。演題は「日本人は非論理的? ―心理学の比較文化的研究から見えてくること―」で、種本は、拙著『日本人は論理的に考えることが本当に苦手なのか』からである。

 日本の後進性がよく指摘されていた1960年代ならともかく、日本人が非論理的と考えている人は現代では少なくなっているかもしれない。そういう中でこの点をわざわざ書籍でも、あるいは公開講座でも取り上げる必要があったのかという反省もある。しかし、やはりインターネットで検索してみると、日本人は論理的に思考していないということを主張したり示唆したりするサイトはまだまだ多い。そして、困ったことには、それを日本人の遺伝子に基づく民族性と結びつけているようなものが散見されるのである。先日、何かで見たが、かなりの識者とされる方が「日本人がおとなしいのは、ユーラシアの中で争いを避けた人たちが東に逃れてきたからですよ。私たちにはそのような争いを好まない遺伝子があるのです」とおっしゃっていたが、唖然としてしまった。

 文化差あるいは民族差に遺伝子の違い(正確には、「遺伝子頻度の違い」である)が影響を与えているということは「ない」とは断言できないが、少なくとも、「論理的」かどうかという思考スタイルの違いに影響を及ぼす遺伝子の差異はほとんどないと言える。

 そう主張すると、「しかし、日本人と西洋人、あるいはアフリカ人とは明らかに見かけが違うではないですか? 民族の差に遺伝子の影響があって当然でしょう?」という反論をしたくなるかもしれない。しかし、このような外見の差異をもたらす遺伝子の違いはわずかであり、その差異も、過去5万年ほどの間に、「肌の色が白い」などのある特徴を持った少数の人々しか生殖年齢まで生き延びることができなかったということが繰り返された結果生じたものである。この5万年の間に、特定の思考スタイルをとる人々のみを生き残るようにさせるような気候の変化や民族移動があったと考えにくく、仮に思考スタイルに差があったとしても、それは遺伝子によるものとはとても主張できない。

 思考スタイルに文化差があるのかどうかが拙著のテーマで、公開講座ではこちらが焦点となる予定だが、これについては、また別の機会に。

2017年11月5日日曜日

ボツワナ―「制度」によって豊かな国に


 最近、二つのきっかけでアフリカ南部の国、ボツワナに興味をもった。一つは、アセモグルとロビンソンの共著による『国家はなぜ衰退するのか―権力・繁栄・貧困の起源』の中で豊かになりつつある国として取り上げられていること、もう一つは、ボツワナ共和国の初代大統領だったセレツェ・カーマの実話を基にした映画である『A United Kingdom』を飛行機の中で見て感動を覚えたことが理由である。

 ボツワナは、世界の最貧国が集まるサハラ以南に位置し、南アフリカ、ナミビア、ジンバブエに囲まれたサバンナと砂漠の内陸国で、海洋や大河を利用した港もなく、1980年代からのエイズ被害も大きく、経済的に豊かになるには著しく不利な国である。第二次世界大戦後に英国から独立し、現在では、一人当たりのGDPがおよそ15千ドルと、周辺で最も国力がある南アフリカや、大きな経済成長を遂げている中国やタイよりも裕福なのである。

 アセモグルとロビンソンは、国が豊かになるか貧しくなるかを決定する要因として、最も大きなものが「制度」であると主張している。すなわち、人々の中に社会を繁栄させる基本的インセンティヴを生み出す経済制度が浸透しているかどうかが重要なのだ。この浸透のためには、貧しく経済的知識に乏しい国においては、最初は権力を持ったリーダーが現れ、インフラを整えて産業を興すことが必要である。ちょうど明治期の日本がその典型であろう。しかし、ある程度豊かになると、それらの富が個々人に配分され、民主的なレジームの中で社会を繁栄させるインセンティヴが健全に作用することが、次の段階の豊かさにつながる。

 映画『A United Kingdom』では、英国留学中に英国人女性と結婚したセレツェ・カーマがどのように人種差別あるいは人種間の偏見を乗り越えるかがテーマで、産業等についてはあまり触れられていなかった。しかし現実の歴史を紐解けば、カーマは産業の振興やインフラの整備について、かなり大きなリーダーシップを発揮している。その途上で世界最大級のダイアモンド鉱山が発見されたという幸運もあったかもしれないが、その利益でさらに産業を発展させ、かつ自分は独裁者にならずに民主的な制度を導入して、次の段階への豊かさを目指していた。「サハラ以南」という世界の貧困の代名詞のような地域において、部族間対立、差別と偏見、エイズ禍などさまざまな苦難があったにもかかわらずここまでの経済成長を遂げたことは、アフリカの奇跡とも呼べるものだろう。とくに、アパルトヘイトを堅持していた南アフリカからは、英国を通して相当な嫌がらせや圧力があったようだ。現代のボツワナの発展は、カーマと彼の周囲の人々、彼の後継者たちの想像を絶するような努力の賜物なのだろうと思う。最近は、野生動物の保護にも力を入れていると聞く。行ってみたい国の一つだ。

2017年11月3日金曜日

続・黒染強要事件から想像したこと


 前回は、高校の教員にやや同情的な論評を行ったが、その後、金髪の留学生にも黒染を強要したという報道があり、私の中で同情が唖然に変わりつつある。高校側からのコメントによれば、金髪や茶髪の生徒が混じっていると学校の評判が下がるからだとか。まあ、確かに、保護者の口コミというのはずいぶんいい加減で、

「あっこの学校な、ちょっと見に行ったらな、茶髪おったで~」
「ほんならうちの娘、行かすのやめとこ」

くらいの会話で評判が形成されるということもある。しかし、一方で、髪の色が異なる生徒の存在から、多文化共生が試みられているという評判だって立つわけであって、そのあたりの損得を考えれば大きなマイナスにはならないと思うのだが。生徒の人格・人権を無視するような暴挙とは、とても同じ天秤には載せられない。

 それよりも、高校の教員が規則を守らせることにこれだけ拘泥したことが恐怖である。現在、私は、人間の知能は集団を作る社会性哺乳類として進化し、推論の能力は、その集団の中で他者を操作するために都合よく進化したという見解に興味を持っている。集団の中で、他者を自分の思い通りに操作することができれば、生き延びるうえで有利なわけだ。

 そして、教師という職業に就く人は、政治家ほどではないが、他者を操作したい欲求が、比較的強いようにも思える。もちろん、すぐれた教師は、やる気のない生徒の学習意欲を高めたりするが、これも一種の操作なのである。学習しない生徒が、学習したくなるという、教師にとっても本人にとっても都合の良い状態になるように操作されているのだ。そして教師はそれに喜びを見出すが、言い換えれば、これは操作の欲求の現れである。「良い操作」と「悪い操作」というように簡単に分類できるわけではないが、強制による操作は、あまり望ましいとは言えない。さらに、悪いのは、強制に対して生徒が従わない時に、強制する理由をも忘れて、強制そのものが目的になってしまうことである。操作への熱意は、容易に強制への熱意に変化しうる。ましていわんや、この事件では、生徒自身に何の落ち度も責任もない。地毛が茶髪だから黒染を強要することは、「あなたの存在が悪」というメッセージを送っていることと同じである。強制だけが目的になると、そのような視点をとることができなくなってしまうのだろう。

 ちなみに、このブログの文章も、読み手の意見を操作することを目的として書かれている。私も教師の一人として、他者を操作することが好きなのである。強制はしてませんが。