2021年9月7日火曜日

なぜいまだに「PCR検査をすべての国民に」という呼びかけを?―基礎比率無視誤謬?

  先日、私が通勤に使用する駅で、共産党の人たちが通勤客に呼び掛けていたが、そのなかに「PCR検査をすべての国民に」というメッセージがあった。昨年来、岡田春恵氏がしきりと主張していたことだが、これは、PCR検査の誤差がゼロという条件なら有効かもしれない。しかし、少しでも誤差があると、感染していないにもかかわらず陽性反応となる人が多くなる。この点について、すでにウェブ上でいくつかの記事があるようだが、知られていないようなので、ここでも改めて解説してみたい。

 PCR検査の誤差については、いろいろと議論があるようだが、精度は最も高く見積もっても95パーセントとしよう。さて、もし何も症状がないあなたがPCR検査を受けて、「陽性」と判定されたときに、本当に感染している確率はどの程度だろうか。95パーセントの精度があるならば感染確率は95パーセントだと考えてはいけない。少しでも誤差がある場合には、人口に占める感染者の割合は何パーセントくらいなのかという基礎比率を無視してはいけないのである。

 東京都において、仮に感染者が1パーセントとして、都民1000万人が検査を受けるとしよう。10パーセントの誤差として、新型コロナウイルスに感染しているにもかかわらず陰性となる確率が5パーセント、非感染にもかかわらず陽性となる確率が5パーセントとしてシミュレートしてみよう。すると図のように、まず10万人の感染者と990万人の非感染者に分かれる。さらにそれぞれから陽性反応が出る人を計算すると、感染者から9.5万人、非感染者から49.5万人となる。したがって、陽性反応者が真の感染者である確率は、

確率=9.5 ÷ (9.5 + 49.5)=約16パーセント

となる。感染確率95パーセントどころか、非感染である確率が極めて高い。もし人口の半数が実際に感染していれば、陽性反応者の感染確率は95パーセントになるが、1パーセントだとこの数値になる。この1パーセントという事態を考慮しないのが基礎比率無視誤謬で、直感的な推定でよく起きる。

 このように考えると、希望者すべてにPCR検査を行うことのコスト、保健所ではとても捌ききれない非感染陽性者の数など、感染者拡大対策として極めて非現実的な戦略であることがわかる。日本の戦略は、感染者の濃厚接触者の追跡というものだったが、初期の対策として極めて現実的で効果的だったと思える。

 では、共産党の「PCR検査をすべての国民に」というメッセージは何なのだろうか。政府の方針を批判する材料があれば何でも良かったのだろうか。それとも、単なる科学リテラシーの欠如なのだろうか。このデメリットを理解しておきながら、「すべての国民に」というメッセージを発するといかにも国民に寄り添う印象を与えるという理由で行っていたならは、この確信犯はとても許されるものではない。


2021年9月4日土曜日

村越茂助を思い出させた菅義偉氏―馬鹿がよい。とくに愚直なものがよい

  一昔前、日本人のリーダーには「説明責任」が欠如していると良く言われていたのに対し、最近の政治家やリーダーと呼ばれる人たちは、以前よりはだいぶましになったと個人的に考えていた。中には、どこからこんな説明が湧くのかと理解不能な鳩山由紀夫氏のような総理大臣もいたが、それでも小泉純一郎氏以来、日本のリーダーが説明責任という点で変化したという印象は強かった。しかし、菅義偉氏は、久しぶりに説明責任が欠如した総理大臣だったなとつくづく思う。ボキャ貧のためなのか、意見というものがないのか、あるいは支持勢力への忖度から言いたいことが言えなかったのかはわからないが、一気に前世紀に舞い戻ったように思えた。日本学術会議の新会員候補の任命拒否理由についても、新型コロナウイルスの感染拡大のリスクの東京オリンピックの強行理由についても、説明らしい説明はほとんどなかったように思う。

 菅義偉氏は、安倍内閣では名官房長官だったのではないかと思う。内閣の方向性自体については私のような素人には評価しかねる点もあるが、ブレないという印象は強かった。官房長官ならそれでも良かったのかもしれないが、総理大臣はやはり説明責任を伴うことが必要である。

 この菅義偉氏から連想される人物が、村越茂助(直吉)である。茂助は、関ヶ原の直前の、清州城で福島正則や黒田長政ら豊臣恩顧の諸将が江戸の家康の出陣を待っているという状況で、家康から清州に遣わされた使者である。福島正則や黒田長政が豊臣恩顧ということで、いつ裏切られるかわからないという状態で、家康は、あれこれ思案するよりも愚直に家康自身の言葉を伝えることができる使者として村越茂助を選んだのである。豊臣諸将は、家康はなぜ出陣しないのかと茂助に詰め寄ると、茂助は、家康が豊臣諸将にまだ懐疑的であり、石田方を攻撃しなければ信用して出陣できないという家康の懸念を伝えたのである。これは本来なら豊臣恩顧の諸将の怒りを買ってもおかしくない発言だったが、福島らは家康に信頼してもらうために、石田方が押さえていた美濃国への進撃を開始したという。

 どこまでが史実なのか私自身は知らないが、家康は、この危険なメッセージを伝えるために、余計な知恵をめぐらすような人物ではむしろ危ないと考えたようだ。豊臣諸将に気を遣っていては仮に石田に勝ったとしても自分が絶対的なリーダーになるのは困難である。少々リスクがあっても、これを正確に伝えてくれる使者が望ましかったわけである。司馬遼太郎の『関ケ原』では、家康は、使者の選考にあたって、

 「馬鹿がよい。とくに愚直なものがよい」

というセリフを本田正信に投げかけている。菅義偉氏も、官房長官ときは村越茂助で十分だった。しかし、自分がリーダーとなったときは、説明なきブレのなさは、国民に大きな不安とフラストレーションを与えるだけだった。

 関連記事

日本学術会議の新会員候補の任命拒否についてー少なくとも説明が必要ではないか?

なぜ中止することができないのか (2)―オリンピックと甲子園とインパール

l