2026年4月18日土曜日

最終講義「人間は合理的なのか?」(2)―文化的合理性について

  私の最終講義は、3つのトピックに分かれているが、第1のバイアスの次が、文化的合理性についてである。ヒトは、社会的哺乳類として進化したが、そこで重要な課題は、どのように集団を維持するかである。文化は、その維持のための装置である (なお、文化というと、音楽や絵画などの芸術を指す場合もあるが、ここでは、集団の維持という視点を重視し、制度や法律、経済システム、教育システムなども含む)。したがって、文化についての合理性を議論するときは、文化自体が合理的か否かと、所与の文化の中で人々が合理的か否かが検討される。

 私の比較文化研究のスタートは、実証研究ではなく理論的検討である。この領域に極めて影響力がある2000年に発表されたNisbettたちの論文では、西洋人が分析的認知を行いがちであるのに対し、東洋人は全体的認知を行う傾向にあるとされている。これは、多くの比較文化の実証データから導かれたものだが、実は、分析的認知は二重過程理論における内省的システムの、全体的認知は直感的システムの処理の特徴である。直感的システムは進化的に古いとされているので、そうすると日本人を含めた東洋人の認知システムは進化的に古いという結論が導かれてしまう。

 そこで私たち (Yama et al., 2007) が提案したのは、それぞれのシステムに、文化普遍的なハードウエア (遺伝子の目標) と文化固有なソフトウエア (ミームの目標) を想定したモデルである。ハードウエア自体に文化差や民族差はないが、それを文化的適応のためにどのように使用するのかというソフトウエアにおいて文化差が生ずる。東洋は、伝統的な社会が西洋と比較して長く続いたが、内省的システムにおいて獲得された分析的思考も、伝統の中で習慣化されれば、直感的システムがもつ自動性や潜在性を利用することになり、かくして全体的思考という特徴を持つにいたる。

 もう1つの理論的研究は、西洋人の線形的思考・東洋人の弁証法的思考という文化差についてのものである。東洋人は西洋人と比較して、陳述に矛盾があっても受け入れやすいということはさまざまな比較文化研究でいわれていることだが、これまでは、西洋の個人主義文化・東洋の集団主義文化という枠組みで説明されてきた。つまり、集団主義文化の東洋では、矛盾した意見があったときに、一方が正しく他方は正しくないという判断をすると、集団の調和を壊すというわけである。ところが、南米の人々は集団主義文化であるにもかかわらず弁証法的思考はあまりしないという事実から、この説明に疑義が投げかけられ、また弁証法的なのは東洋人だけだということから、弁証法の伝統をつくりあげた陰陽思想や仏教などの影響であるという説明も提唱された。

 これらの説明に対して私たち (Yama & Zakaria, 2019) は、西洋人の低コンテクスト文化・東洋人の高コンテクスト文化という対比で説明を試みた。コンテクストとは、会話の際に暗黙裡に共有される情報で、会話ではわざわざ言及される必要がない。このコンテクストの依存度が高いのが高コンテクスト文化、低いのが低コンテクスト文化である。日本における「阿吽の呼吸」は、典型的な高コンテクスト文化のコミュニケーションである。つまり、東洋人は高コンテクスト文化を形成しているので、コンテクストによって暗黙裡に矛盾を解決するという規範が形成されていて、弁証法的に振る舞うという説明が与えられる。

 さらにこの高コンテクスト文化・低コンテクスト文化という区分自体が、地勢的・生態学的に説明が可能である。低コンテクスト文化は、話し手同士がお互いにコンテクストを共有しにくい状況で形成されやすく、典型的な状況が異文化コミュニケーションである。私たちも、外国人と会話をするときには、日本人には常識であることを丁寧に説明するという、低コンテクスト文化のコミュニケーションを行う。歴史的に、異文化交流が活発か否かは、リソースの偏在や水路などの交流手段などがあり、さらには一つの強大な文化に統一されにくい (統一されると、単一の文化になって異文化交流とはならなくなるので) という条件が必要だが、これらはすべて地勢的・生態学的要因と結びつく。つまり、高コンテクスト文化や低コンテクスト文化は、所与の地勢的・生態学的条件で、それぞれ合理的に形成されたといえるわけである。

 地勢的・生態学的条件の中で合理的な文化を形成し、このようにして所与となった文化において適応できるような合理性を私たちは有し、集団としての社会に不都合が生じればさらに合理的に文化を形成する。このサイクルで私たちの文化・社会および精神が形成されているといえる。3つ目のトピックについては、次の記事で述べたい。

 

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