2017年11月9日木曜日

日本人は論理的に考えることが本当に苦手なのか―遺伝子編

 この秋冬の大阪市立大学の、「温故知新」と題した一連の公開講座の一つとして、1211日の夕方、梅田の大阪市大の文化交流センターで話すことになった。演題は「日本人は非論理的? ―心理学の比較文化的研究から見えてくること―」で、種本は、拙著『日本人は論理的に考えることが本当に苦手なのか』からである。

 日本の後進性がよく指摘されていた1960年代ならともかく、日本人が非論理的と考えている人は現代では少なくなっているかもしれない。そういう中でこの点をわざわざ書籍でも、あるいは公開講座でも取り上げる必要があったのかという反省もある。しかし、やはりインターネットで検索してみると、日本人は論理的に思考していないということを主張したり示唆したりするサイトはまだまだ多い。そして、困ったことには、それを日本人の遺伝子に基づく民族性と結びつけているようなものが散見されるのである。先日、何かで見たが、かなりの識者とされる方が「日本人がおとなしいのは、ユーラシアの中で争いを避けた人たちが東に逃れてきたからですよ。私たちにはそのような争いを好まない遺伝子があるのです」とおっしゃっていたが、唖然としてしまった。

 文化差あるいは民族差に遺伝子の違い(正確には、「遺伝子頻度の違い」である)が影響を与えているということは「ない」とは断言できないが、少なくとも、「論理的」かどうかという思考スタイルの違いに影響を及ぼす遺伝子の差異はほとんどないと言える。

 そう主張すると、「しかし、日本人と西洋人、あるいはアフリカ人とは明らかに見かけが違うではないですか? 民族の差に遺伝子の影響があって当然でしょう?」という反論をしたくなるかもしれない。しかし、このような外見の差異をもたらす遺伝子の違いはわずかであり、その差異も、過去5万年ほどの間に、「肌の色が白い」などのある特徴を持った少数の人々しか生殖年齢まで生き延びることができなかったということが繰り返された結果生じたものである。この5万年の間に、特定の思考スタイルをとる人々のみを生き残るようにさせるような気候の変化や民族移動があったと考えにくく、仮に思考スタイルに差があったとしても、それは遺伝子によるものとはとても主張できない。

 思考スタイルに文化差があるのかどうかが拙著のテーマで、公開講座ではこちらが焦点となる予定だが、これについては、また別の機会に。

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