2017年11月26日日曜日

身体部位語―空間的・機能的拡張と身体感覚ベースの表現


 前回の記事で、身体部位を表す単語の連呼を記したが、そこからの連想で、身体部位語がさまざまな比喩表現として使用されている例を思い出した。この話題は、ロスアンジェルス在住のジョン金井氏の著作である『そうだったのか! ニッポン語ふかぼり読本』の中にも取り上げられている。なお、金井氏のブログは、氏の許可を得てこのウェブサイトからもリンクされている。

 金井氏の中で取り上げられている例は、「顔を立てる」、「目立つ」、「腹が立つ」という一般的なフレーズから、「屁っ放り腰」、「尻に敷く」、「尻軽女」、「尻に火がつく」、「目ん玉が跳び出る」、「喉から手が出る」、「へそを曲げる」など、どちらかといえばスラングに当たるような表現まで、実に多様である。前回の記事の中のストレートな放送禁止用語の使用と比べて、一ひねりも二ひねりもあるものが多い。

 当初は、これらは身体部位用語の拡張にすべてあてはまるのかなとも思った。頭や耳などの身体部位語が空間関係の比喩的表現に拡張される例は、ほぼすべての言語に共通する特徴のようで、たとえば英語でも、head ()が、ahead (前方)や、head of a pencil (鉛筆の先)という表現として用いられている。また、日本語の口は、入口や出口、蛇口のように用いられ、何かが出入りする箇所を表現している。また、特殊な例として、中央アメリカの上ネカクサ・トトナック語があるが、この言語では、耳が、カップの取っ手や樹木の枝を表現するのに用いられ、膣が袋として何かを運ぶものとして用いられるらしい。これらの拡張は、パートノミーと呼ばれている。自分の身体感覚に直接訴えるような表現が、空間関係を表現するために拡張されていったのだろう。

 「尻に敷く」のように、どっしりとした重心の下部が、何かを押さえつける(たいがいは、ダンナだろうが)機能を表すものとして使用されるのは、身体部位語の機能を伴った空間的拡張である。上ネカクサ・トトナック語の膣と同じようなものだ。それに対して、「へそを曲げる」は、身体の中の精神のありかの信念に基づくものである。身体中の精神のありかには、「頭を使う」のようにある程度正しいものもあるが、「腑に落ちる」のようにそうではないものもある。しかし、どちらも何かを行っている時に感ずる身体感覚に根ざしているのだろう。さらに、「顔を立てる」のように、顔が、身体感覚から離れて明らかにメンツや自尊心・評判などの比喩として用いられる場合もある。あるいは、赤面や顔面蒼白などの身体感覚と関係しているのだろうか。私は言語学の専門家ではないので判断できないが、いずれにしろ後者は、身体部位用語の拡張というよりは、身体感覚を利用した比喩であろう。

 逆に、身体感覚なのにわざと身体部位語を使用しない場合もある。「靴の中が痒い」が代表的なもので、痒いのは実際には足の皮膚なのに、わざわざ「靴の中」という表現に言い換えているわけである。おそらく、掻きたいのだけど靴に妨害されて掻けないもどかしさが表現されているのだとは思う。私には、「足が痒い」よりは「靴の中が痒い」のほうが、身体的な痒さが伝わってくる。こういう例はおもしろいと思うのだが、他にもないだろうか。集めてみたら興味深いかもしれない。

0 件のコメント:

コメントを投稿