2022年4月18日月曜日

モラルジレンマの比較文化研究―45か国の調査から

  私が著者の1人に名を連ねた、Situational factors shape moral judgements in the trolley dilemma in Eastern, Southern and Western countries in a culturally diverse sample.が、Nature Human Behabiourに掲載された。これは、トロッコ問題として知られるモラルジレンマについて、45カ国からデータを収集したもので、Bence Bagoを筆頭としてやたら共著者が多い論文である。日本からは、九州大学の山田祐樹先生も加わっており、共同で実験材料の日本語版を作成している。この翻訳にはバックトランスレーションが大変で、当時4年生のT君とHさんにはたいへんお世話になった。

 トロッコ問題は、暴走するトロッコの行く手に5名の作業員がいるが、あなたは分岐器を作動させて、トロッコの進路を変えることができ、変更先なら犠牲になる作業員は1名であるという状況設定で、分岐器で進路を変更させるかどうかという問題である。多くの人は、変更に賛同する。なぜならば、死者は5名よりも1名のほうが望ましいからである。ところが、今度は分岐器ではなく、歩道橋の上から、大きなリュックを背負った大男を突き落としてトロッコを止める(あるいは減速させる)ことによって、作業員5名を助けるべきかどうかと問うと、とたんに突き落とすべきではないという回答が増える。どちらも1名の死者で5名が助かるという結果なのだが、分岐器による変更に比べて、「突き落とす」という行為に直感的に抵抗を感ずるのである。犠牲者は5名よりは1名のほうが良いとする判断は、功利主義に基づくものである。しかし、歩道橋の場合は、「1名であっても人を殺すのは良くない」という義務論主義に判断がスイッチする。このスイッチの要因として、1名の被害者への殺害の意図性と作用の直接性が挙げられている。つまり、歩道橋の場合のように、被害者への意図性や直接の作用があると、たとえ5名助けるためであっても、それは容認できなというわけだ。

 しかし、有名になったこのような研究の比較文化研究はほとんどない。それでこの45カ国のデータ収集が始まったわけである。当初の予想は、集団主義の文化圏では、意図性や作用の直接性の効果は小さくなるというものだった。なぜならば、集団主義文化では意図を読むことなどが奨励されていて、トロッコの分岐器のように、犠牲者を殺害しようという意図性が明示されていなくても、そこに殺害意図を感ずる可能性があるからである。実際、西洋や南(欧・亜・米)と比較して、東洋人にはその傾向が見られないわけではない。しかし、概して推測統計的にいえたことは、これらの効果は、集団主義文化/個人主義文化という文化次元とあまり関係はないということだった。つまり、ほぼ文化普遍的であるということが示されたわけである。一般に、比較文化研究では、文化間に差がないという結果から、文化普遍性を主張するのは難しい。しかし、45カ国からの収集なら、自信をもって主張することができる。

2022年4月17日日曜日

ロシア侵攻についての廣瀬陽子氏の慨嘆と反省

  廣瀬陽子氏は、現在、メディアに引っ張りだこで、ロシアの侵攻の背景と現状等についての分析はさすがだなと思っていたら、旧ソビエト連邦地域の、政治や紛争についての研究の第一人者であるようだ。ところが、ウクライナ侵攻以来、廣瀬氏が、専門家としてロシアの侵攻を予測できなかったと、今までの自分の研究は何だったのかと嘆いているというハフポストの記事がネット上にあった。

 メディアには、専門家と称しながら、研究者としては首をかしげざるを得ない人たちがかなりの割合で登場する。イデオロギーファーストの経済学者や、国際誌に論文を発表したことがない国際政治学者など、数え上げたらきりがない。それでも、研究の第一人者ではなくても、彼らがサイエンスコミュニケーターとして、国際誌等で発表された最新の文献等に目を通し、確認された事実と見解について熟知していて、ジャーナリスティックにそれをまとめてくれれば、そういう役割はアリだと思う。しかし、現実はそれに程遠い人たちが一定の割合で専門家と称している。そういう中で、廣瀬氏は、信頼できる研究者という印象が強い。

 ポパーに従えば、科学的理論は、そこから何らかの仮説または予測を導き、結果あるいは事実がその通りにならなければその理論は棄却される。その意味で、廣瀬氏のこの慨嘆・反省は、科学に対する真摯なポパー的態度だなと思う。しかし、だからといってこれまでの理論が無力だということにはならない。その意味で、この記事のタイトルにもある「それでも研究を続ける理由」という表現は扇情的だと思う。現実には、理論から予測通りにはならないことが多くあっても、その理論が無力ということにはならない。地震の予測ができなくても、地震学の理論は無力というわけではない。また、社会科学の場合は、予測できないことが多々ある。たとえば、ある居酒屋に反グレが何人か集まった状態で、仮に心理学者がすべての個人の精神状態を把握できたとしよう。それでも、そこで喧嘩が起きるかどうかについて100パーセント確実な予測をできるわけではない。予測できないとしても、人間の攻撃性についての理論がすべて無力というわけではない。喧嘩が起きたか起きないかというデータを蓄積して、攻撃性から攻撃行動が現れる理論を洗練していけばよいことだ。

 その意味で、廣瀬氏には、今回の侵攻から、旧ソビエト連邦という特殊性と人間の支配欲求、独裁者の気まぐれなど、さまざまな状況要因と人間の普遍性を取り入れた理論を発展させていってほしいものだと思う。研究時間を確保するためには、良質な報道番組出演だけに留めておいて、視聴者に的確な情報を提供してくれることを願っている。

2022年4月5日火曜日

独裁者と膨張原理

  ロシア軍のウクライナ侵攻開始から約1か月半が経とうとしている。予想外のウクライナの善戦で、ゼレンスキー大統領の支持率が大幅に上昇しているのはわかるが、苦戦で多くのロシア兵を死なせているプーチン大統領でさえも支持率は上がっている。ロシアの場合は、情報統制やプロパガンダ等の結果でもあるとはいえ、概して戦争は、為政者の支持率を上昇させるようだ。外敵がいると集団の結束が高まるという集団力学の初歩的な原理が具現しただけなのだろうが、こうなると、支持率を上げたい為政者には戦争という誘惑が常に付きまとうというのは怖いことだ。このブログで、21世紀における戦争の終結要因として、国家間の経済的相互依存の高まりをなんども挙げてきているが、プーチンの場合は、支持率への誘惑がそれを上回ったのかもしれない。

 ロシアの場合、司馬遼太郎が『ロシアについて』で述べているが、国が膨張原理によって成立というケースにあてはまる。いわゆる「タタールの軛」と呼ばれるモンゴル支配から解放されたヨーロッパの中で遅れた国が、領土欲というよりも、パリあたりにもっていけば高く売れる黒貂の毛皮を求めて東へ東へと向かい、その結果の膨張である。この膨張が独裁者を生みやすい国の体質になっているのか、独裁者が膨張を求めるのか、そのあたりの因果関係は難しい。しかし、ソビエト連邦の多くの共和国が独立したあと、プーチンがその再度の栄光を夢見て膨張を求めた結果が、南オセチアやクリミヤ半島の占拠であり、その膨張のモーメンタムが今回のウクライナ侵攻に結びついたのだろう。独裁者には、国民の支持を得るために、膨張が宿命づけられているように思える。

 中国も、内モンゴル、ウイグル、チベットに侵攻して膨張してきた。中国は、清の乾隆帝の時代に最大の版図を得ており、その中にはモンゴル、ウイグル、チベットが含まれ、さらにベトナムや李氏朝鮮が朝貢国になっていた。清の滅亡とともに、チベットやウイグルは一時的に独立したが、後に人民解放軍によって接収されてしまい、現在に至っている。プーチンにとっての栄光がソビエト連邦の領土回復なら、習近平にとっての栄光は乾隆帝の最大版図や朝貢国の存在で、それに加えてさらなる膨張が独裁の維持に必要なのかもしれない。

 では日本の場合はどうだろうか。明治新政府ができて、琉球や蝦夷地への膨張と独裁から、朝鮮半島、満州国、日中戦争や太平洋戦争へとつながってきたのだろうか。しかし日本にとっては、この膨張の代償があまりにも大きかったために、その後は幸い独裁がない。

 ここまで来ると、列強の帝国主義と独裁の関係も考察してみたくなる。帝国主義の中から民主主義国家が生まれたのが例外なのか、英仏などの帝国主義とロシア的膨張とは質が違うのかなど、興味は尽きない。しかし、この議論は専門家に任せよう。素人の私には手に余る。