2023年7月27日木曜日

What makes us think? ―あるいは何が思考を止めるのか?

  725日と26日に、第14回のLondon Reasoning Workshopが行われた。今回から、BirkbeckカレッジからGreenwich大学に変更になった。ぜひ行きたかったのだが、まだ前期の授業期間ということで参加を見送り、8時間の時差はあるものの、遠隔で参加した。昨年も遠隔だったが、やはりこういうワークショップは実際に参加するほうが実りがある。ワークショップでの質疑応答だけではなく、合間やディナーなどでの雑談などが有意義なのだ。

 気になっていた発表が、V. ThompsonによるFOR (feeling of rightness 「正解感」が適訳だろうか) についてものである。この概念は、直感的システムと内省的あるいは熟慮的システムを想定する二重過程理論において、デフォルトとしての直感的システムによる判断から、どのような場合に内省的システムが起動させられるのかという問題 (すなわち、What makes us think?) への解として提唱されている。つまり、直感的システムによる判断のFORが高いと、そこで思考が止まってしまって、内省的システムが起動しないというわけである。それでは、直感的システムのデフォルト解が間違っているにもかかわらず、どのような状況でFORが強くなるのだろうか。モデルとしては、推論を監視するメタ推論が想定できる。メタ推論による監視が不十分なら、不正解にもかかわらずFORが高くなってしまう。

 多くの認知的バイアスによる誤答は、どれもFORが高い。したがって内省システムによる修正が機能しにくくなる。認知的バイアスは直感的システムの産物であり、直感的システムは進化的に古く、かつヒトの脳が進化した野生環境では何らかの意味で適応的だったと思われるので、FORが高いという説明が可能かもしれない。これらが誤答とされるのは、現代文明の基準にすぎないというわけだ。

 もう少しミクロプロセスを追及してみよう。Thompsonの発表で言及されたわけではないが、FOKが高い典型的な例が、以下のようなレベスク課題に見られる。

太郎は花子を見ており、花子は次郎を見ている。

太郎は既婚だが、次郎は独身である。

この2つの陳述から、「既婚者は独身者を見ている」と言えるだろうか?

  1. 言える   2. 言えない   3. どちらとももいえない

多くの人は、3の「どちらともいえない」と答えるが、正解は、1の「言える」である。つまり、花子が独身ならば、既婚の太郎が花子を見ているので「言える」し、花子が既婚であっても、既婚の花子が独身の次郎を見ているので、やはり「言える」わけである。ところが、多くの人は、花子が既婚か独身かわからないので、「太郎は花子を見ている」という陳述のみにおいても、「花子は次郎を見ている」という陳述のみにおいても、それぞれ「どちらともいえない」ので、全体の解も「どちらともいえない」であると考えてしまう。陳述それぞれにおいて「どちらでもない」ので、この「どちらでもない」のFOKは非常に高くなる。そうなると、場合分けという内省的プロセスに進むことなく思考はストップし、かくして誤答が増大する。では、正解ではないのに、それぞれの陳述についての局所的な解でなぜFOKが高くなってしまうのだろうか。現時点では、ヒトの限られた認知容量を節約する合理的な戦略の結果であろうという暫定的な結論になるが、このような分析をいろいろなバイアスにおいて行うことが今後必要なのかなと思う。

 

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