2021年5月28日金曜日

『21世紀の啓蒙』(Enlightenment now)を読む(1)―科学批判を批判する

  スティーヴン・ピンカーの『暴力の人類史』は、ここ10年で私が最も影響を受けた著作の1つだが、そのピンカーが書いたということで読んでみたのが『21世紀の啓蒙』である。21世紀は、戦争や飢餓、貧困、疫病 (COVID-19が猛威を振るっているとはいえ、過去のペストなどと比較すれば物の数ではない) をかなり克服できただけではなく、科学が発展し、健康になり、また人権意識も高まった時代である。ピンカーは、この啓蒙を推し進めたいと本書を執筆したようだ。ただ、よく読んでみると、ピンカーの考え方に対して、いわゆる「進歩的知識人」による批判が多く、彼らに対する怒りが本書の最も大きな執筆動機のようにも感じた。

 拙著『生きにくさはどこからくるのか』で私も述べたが、「昔は良かった」と思い違いをしている人は多い。しかし、IT技術の発展とそれに伴うさまざまな科学的発展を実感している身として、なぜこの科学の成果を享受しないのかは不思議である。個人的体験だが、私は医学の発展によって3回命を助けられている。1回目は出産時なのだが、おそらく病院で生まれていなければ死産だっただろう。自宅出産が当たり前だったその15年前に生まれていれば今の私はない。2回目は小学生の時の結核である。それが30年前だったとすれば命は危なかっただろう。3回目は2001年の悪性リンパ腫で、その時点で過去10年の間に化学療法による生存率が著しく高まったといわれていた。この背景にあるのは、抗がん剤(私が受けたのは、CHOPというプログラムだった)の進歩だけではない。抗がん剤投与による骨髄抑制で白血球が減少するのだが、これを注射一本で回復させることができるようになったことも大きかった。次の抗がん剤投与のために白血球の回復を待つ必要がなくなり、患者にはちょっと辛いのだが、投与の間隔を短くして集中的に腫瘍を攻撃することが可能になったわけである。これらの進歩には、いずれもIT技術が大きく寄与している。

 ガンをはじめとする病気の克服や長命、さまざまな娯楽に科学技術は多大な貢献をしているはずなのだが、「進歩的知識人」といわれている人たちには科学批判がしばしばある。ピンカーは、彼らの科学批判を分析しているが、概して彼らに共通するのは、現代がいかに劣化しているかを強調し、それがこの現代の科学あるいは文明にあるとする姿勢である。進歩的知識人は売れる本を書きたがるが、確かに、「人類はいかにして民主主義を作り上げてきたか」のようなタイトルよりも、「現代の民主主義の危機」のほうがはるかに売れる。また彼らは、その名に相違して「進歩嫌い」が多いのだが、それを遡ると、ロマン主義運動にたどり着く。

 元来ロマン主義は、文語としての古典ラテン語で書かれた文学に対して、口語であるロマンス語で書かれた文学作品を評価しようというもので、生な口語としての感情表出の記述に重点を置いた。その結果、ロマン主義は産業革命への反動として、産業革命や科学の進歩を支えた理性偏重、合理主義などに対し、感受性や主観に重きをおいた一連の運動となっていった。ロマン主義的科学批判は、経済や発展が行き詰ったと感じられるときにちょくちょく蘇るが、モダニズム批判としてのポストモダニズムにもその影響が大きく現れている。科学の限界や問題を指摘するだけなら貴重な批判なのだろうが、現実の政策として研究費の減額に影響力を及ぼすようになると困ったものである。

2021年5月16日日曜日

『暴力と不平等の人類史』(The Great Leveler)を読む(2)―疫病

  The Great Levelerが出版されたのが2017年、邦訳の『暴力と不平等の人類史』が出版されたのが2019年である。この書の中で、平等を引き起こす要因の一つに「疫病」が挙げられているが、その直後にCOVID-19のパンデミックが起きたというのは、なんという偶然かと思う。

 疫病から平等化が見られた例としてもっとも知られているのは、14世紀から15世紀にかけてのヨーロッパにおける腺ペストの流行だろう。この時期にヨーロッパの人口が3分の2程度に減少したと推定されている。一般に、産業革命以前は、食糧生産が増えてもすぐに人口の増加がそれを上回り、一人当たりの豊かさは増えないというマルサスの罠が常に待ち構えていた。しかしヨーロッパのこの腺ペスト禍の直後は、人口の激減もあって一時的にマルサスの罠から抜け出すことができたようだ。

 革命や戦争、国家や制度の崩壊による平等化は、富裕者が所有していた余剰の富が消失することによる平等化で、個々の豊かさにはあまり寄与していない。しかし、人口の3分の1が減少するというこのヨーロッパの腺ペストパンデミックでは、明確に個々人が裕福になっている。人口の減少が他と比較にならないくらい激しかったからである。

 さらに、単に一人一人が豊かになっただけではなく、平等にもなった。この理由は、人口の減少によって、土地の価値と比較して労働力の価値が相対的に上昇したからである。つまり、広い土地があっても、人口減によって労働力が全体的に低下すると、個々の労働者の価値が押し上げられ、土地所有の富裕層と労働者との間の不平等が小さくなるわけである。さらに、都市労働者の賃金も上がるので調度品などの価格も上昇し、最終的には土地と家屋以外のすべての価格が上がって、一時的ではあるが、豊かで比較的平等な社会が達成されたわけである。

 ただし、疫病による人口の急激な減少が必ずしもこのような豊かさと平等化に結びつくわけではない。西欧では農奴制が全滅したのに対し、東欧では労働者の引き抜き防止のためにペスト後の農奴制はむしろ強化され、不平等は却って固定化したようだ。また、16世紀のメキシコでは、ヨーロッパからの疫病で、免疫がなかった先住民の命が大量に失われている。しかし、人口減少に直面したスペイン側が労働力を確保するための強制的な制度を作ったため、先住民は豊かにもなれず、もちろん平等とは程遠い状態が続いた。

 COVID-19によって、幸い一人当たりの豊かさが増すような人口減はない。しかし、過去の歴史から、豊かさや平等に結びつくのは、疫病あるいはそれによる人口減というよりも、そこでどのような制度がつくられたのかという要因が大きいように思える。私たちはそのような制度をつくっていくことができるのだろうか。少なくとも、これまでの医療制度や産業構造の変革の契機にはなるだろうし、遠隔やオンラインの手段は驚くほど発展してかつ多くの人々が使用できるようになった。終息後は、何かの変化を期待したい。

 

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『暴力と不平等の人類史』(The Great Leveler)を読む(1)―戦争・革命・崩壊

2021年5月10日月曜日

『暴力と不平等の人類史』(The Great Leveler)を読む(1)―戦争・革命・崩壊

  Walter SheidelThe great levelerが幸い日本語訳されたので読んでみた。本書が素晴らしいなと思うのは、進化理論を視点にいれて、そこから農耕の開始、古代ローマや古代中国における様々な記録を網羅して、近代に至る経済的不平等をビッグ・ヒストリー的に論じている点である。内容的にも物理的にもかなり分厚く、近年の世界における経済的不平等の微増を、右傾化とか分断社会という安易な至近要因で説明するのではなく、「戦争」、「革命」、国家や制度の「崩壊」、および「疫病」という四騎士による、不平等を軽減させるメカニズムを、膨大な資料とともに解説している。

 ホモ・サピエンスは、社会的哺乳類として進化している。社会的哺乳類では、チンパンジーやニホンザルに見られるように順位制を持つものが多い。個人的には、この順位制と人類における経済的不平等との関係を知りたいが、歴史的には断絶があるようだ。というのは、人類における本格的な経済的不平等は農耕の開始によって生産に余剰が生ずるようになったからで、この余剰をどれだけ蓄えることができるのかが現代の不平等に結びついている。農耕以前の状態は、現代の狩猟採集民の生活からうかがい知れるが、意外と平等規範は強いようだ。狩猟採集民の世界は、戦闘における強さや狩猟の上手さが不平等に結びつくようにも思われるが、狩猟名人が得た大きな獲物も、人々の間で平等に分けないといけない。

 経済的不平等には厳密には生産手段と蓄財の2種類あるが、本書で用いられている指標には大きな区別はない。所得の差の大きさを表すジニ係数が計算されたり、上位何パーセントがその国のどのくらいの資産を所有しているかなどの推定値が用いられたりしている。Scheidelは、このようなデータを駆使して、平等への最も大きな要因である四騎士のそれぞれについて、どのようにして不平等が軽減されるのかを議論している。

 一般的に言えることは、安定した社会ができると、少しずつ不平等が増していくということである。経済成長があっても、利益は教育などによってそれを得る手段を獲得した人たちに流れ、その流れが固定化してくるからである。それを破壊に導くのが、「戦争」、「革命」、「崩壊」、および「疫病」である。このうち、疫病は偶然性が高いが、残りの三者は、この不平等の増大によって社会に不満が増大したり、社会の制度疲労が起きたりしたときに起きやすい。ただし、不平等を軽減するといっても、その多くの場合は、富を多く持つ人々の余剰的な部分が失われることによる平等化で、社会全体としては貧しくなることが多いようだ。少なくとも「戦争」と「崩壊」は人類にとっては悲劇なので当然である。「革命」は、その例外ではないかと思われるが、近代への民主主義への最も大きな入り口の一つであるフランス革命でさえも、やはり革命に伴う富の損失は大きく、また王や貴族が持っていた土地などの富が再分配されたようだが、その効果は極めて小さかったようだ。

 現代の私たちは、少々経済的不平等が増加しても、このような四騎士の襲来はまっぴらである。それでは四騎士以外の手段があるのだろうか。これは別の機会に書いてみたい。