2021年11月30日火曜日

京都サンガJ1昇格

  J1J2を行き来するエレベータークラブと言われながら、2011年にJ2に降格して以来、11年ぶりに京都サンガのJ1昇格が決まった。この11年間、惜しい時もありまた迷走した時もあったが、この春から指揮をとった曹貴裁監督のもと、見違えるようなチームになり昇格にたどり着いた。2019年には中田一三監督のパス&ポゼッションで面白いサッカーになったが、後半になって相手に研究されだすと勢いは止まった。2020年の實好礼忠監督がそれを修正したチームを作ろうとしたが、残念ながら不調に終わった。

 曹貴裁監督のサッカーは、豊富な運動量に支えられた、ハイプレスで攻守の切り替えが非常に速いサッカーである。最も得意とする攻撃のパターンは、ハイプレスからボールを奪ってのショートカウンターで、この切れ味は抜群だった。しかし思い返せば、2008年のユーロ大会、2012年のワールドカップを制覇したスペインのパス&ポゼッションサッカーは華麗で見ていて面白く、かつ強かった。私は、これがサッカーの完成形で、当時はこれ以上強くなりようがないのではないかと思った。実際、同じようなスタイルのバルセロナやマンチェスター・ユナイテッドは、面白いようにパスが回るサッカーで相手を翻弄していた。しかし、このようなサッカーは、いくらボールを保持していても、決定力が弱いと縦に速い攻撃に脆い。とくに守備を固めてカウンターを狙われたり、ハイプレスをかけられたりすると、ボロが出てくる。現在、縦の速さのために最も組織化されているのはマンチェスター・シティではないかと思うが、攻守の切り替えが速く、攻撃時には一気に前線にボールが運ばれるサッカーは、非常にエキサイティングである。

 ただし、曹貴裁監督が目指しているのは、マンチェスター・シティというよりはリバプールで、ユルゲン・クロップのサッカーを目標にしているようだ。リバプールと同じ4-1-2-3のフォーメーションで、両SBを高めにとり、アンカーに運動量があってボール奪取がうまい川崎颯太を置いている。3トップは、松田天馬、ピーター・ウタカ、宮吉拓実で、カウンター時には縦に速く、相手の守備が整った状態では、サイドからの崩しというのが基本のようだった。ただし、リバプールと比較すると3トップの破壊力が足りない。リバプールのサラー、マネ、ジョッタのような得点力は京都には欠けていた。松田天馬は、曹貴裁監督のサッカーを具現化するキープレーヤーだと思ったが、得点力という点では物足りなかった。むしろ松田には、2列目で動き回られるほうが、相手にとっては嫌なのではないかと思う。

 来季は久しぶりのJ1である。強化部はすでにJ1で戦うための選手の補強に動いているようだが、来季はどのようなサッカーを見せてくれるのか、曹貴裁サッカーがどのように完成されていくのか、今から楽しみにしたい。

 

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2021年11月12日金曜日

人間は論理的か―『心理学理論バトル』の章

  繫桝算男先生編纂による『心理学理論バトル』9月に新曜社から出版された。これは、心理学におけるさまざまな領域における論争を「バトル」として紹介したもので、私もその中の章を執筆させていただいた。出版前から、「ピアジェ対ヴィゴツキー」(2)、「進化心理学対文化進化論」(5)、「文化心理学対適応論」(7)、「形式的合理性対実質的合理性」(9)などを特に楽しみにしていたが、いずれも期待に違わなかった。

 私は「人間は論理的かー進化心理学と二重過程理論」(8)を担当した。人間の思考が論理的なのかどうかは、古典的な哲学以来の伝統的論争である。認知心理学においては、人間がどのような内容にも適用できる抽象的な論理スキーマをもつのかどうかという論争 (もつならば「論理的」である) が、197080年代には、まずそのようなスキーマが領域固有なのか領域普遍なのかという議論に発展した。「論理的」という主張は領域普遍側に結びついている。

 1980年代は、論理課題にどのような内容が織り込まれるかによって正答率が異なるという内容効果がこの領域固有性として説明され、これを進化心理学はモジュールを想定することによって説明した。モジュールとは、入力から出力までが迅速で固定的かつ自動的なシステムで、特定の領域にのみ敏感である。たとえば論理的思考では、社会的交換場面という領域に反応して違反に敏感な「社会的交換モジュール」が知られている。違反があれば「偽」と判断できるからであるが、これは「人間が抽象的な論理的思考能力をもつ」という主張とは真逆である。

 進化心理学は、ヒトの認知機構をモジュールの集まりと考えているが、二重過程論者は、これを直感的システムと位置づけ、それに直感からの出力を修正できる熟慮的システムを想定している。したがって、論理的か否かというバトルは、この熟慮システムを認めるか否かという議論に発展したわけである。進化心理学側は、このようなシステムが原理的に進化によって形成されないとし、二重過程理論側は、進化によって増大した処理容量がこれを可能にしたと主張した。

 現在、二重過程理論の大きな論争の1つに、この熟慮的システムが直感的システムの非合理的な出力をどの程度修正可能なのかという議論に発展している。つまり、「論理的」と主張する側は、修正が可能と考えている。私の章では、ひょっとしたら読者は、おそろしく議論が飛躍したなと感じられたかもしれないが、これを「歴史的自然実験」で検証している。ここまで来るともうすでに「論理的か否か」を超えて、「規範的か否か」に問題がすり替わっているのだが、道徳的規範に従うという点で、17世紀後半から18世紀の啓蒙の時代と、第二次世界大戦以降の人権意識の高まりに焦点をあてている。すなわち、これらの歴史的変化を熟慮的システムによる制御の現れとして解釈し、人間は完全な論理性が保証されているのかどうかはわからないが、少なくとも歴史的には規範的になってきていると結論づけた。