2018年9月30日日曜日

ジェンダー平等による多様性から学術の発展へー人文社会科学系学協会男女共同参画推進連絡会に参加しての雑感


 仙台での学会を終えて、928日に東京で開催された、人文社会科学系学協会男女共同参画推進連絡会(GEAHSS)の総会に出席してきた。この会は、日本学術会議との連携で準備されて来たようだが、各学会・協会における女性の比率を上げていくことを目標として活動している。私は、女性も、自分が価値を感ずるやりたいことを、男性と同じくらいもっと自由にできるようにという主旨には賛成だが、総会において、委員長の井野瀬先生より、私が今まで気がついていなかった学術的発展のための興味深い提言があった。それは、ジェンダー平等によって学術領域によって多様性が生じ、それによって学術的発展が期待できないかというものである。

 文学の世界ではこれは明白だろう。たとえば、源氏物語をどう解釈するかという問題には、男性と女性の両方からの視点があれば、より学術的発展が期待できる。しかし、この男女の共同参画の効果は、もう少し広い枠組みで捉えるとすれば、異文化の出会いによるものと考えることができるかもしれない。歴史的にも、異文化交流から異種のものを取り入れることによって発展した例は枚挙にいとまがない。フランスの印象派に北斎などの浮世絵が影響を与えたことなどが代表的なものだろう。

 それでは、研究者の男女共同参画はどういう意味で異文化交流といえるのだろうか。日本の研究者は、男女を問わず、少なくとも小中学校の頃より勉強に対してほぼ同じような価値観を受け付けられているようにも思える。しかし、それでも、結婚に対して、あるいは子どもをもつかどうか、子育てを誰がどのように行うのかなどの文化の違いを経験している可能性は高い。生得的かどうかはわからないが、興味の方向性にもジェンダー差があるだろう。また、私たちの世代の女性研究者には、大学院への進学を反対された方も少なくはない。そうすると、やはり男女共同参画は異文化的状況と言えるかもしれない。

 心理学の実験で、共同で何かを行うような課題において、文化的に異質な人が加わると課題成績が良くなるということは、ある程度は実証されている。では男女の共同の場合はどうだろうか。おそらく成績向上が観察されるのかもしれないが、この向上は、女性が加わることによる、男性の女性に対するディスプレイの影響の可能性もある。したがって、純然たる異文化多様性の効果を見たいときは、ディスプレイの効果は割り引かなければならないかもしれない。男というのは、女性がいるとそこで良い恰好をしたがるどうしようもない生き物なのである。

2018年9月28日金曜日

「正解がない」とは? ―日本心理学会のあるシンポジウムでの雑感


 925日より、仙台で開催されている日本心理学会に参加していた。今回は私自身の発表はないので、全くの物見遊山なのだが、刺激的な発表がたくさんあった。その中の、ある公募シンポジウムにおいて、引っかかったのが「正解がない」という文言である。

 この文言は、実際の教育においてかなり安易に用いられることがある。たとえば、大学教員の中には、新入生に「高等学校までは正解を目指す教育がなされたかもしれませんが、大学では正解がない問題に取り組まないといけません」というメッセージを発する人がいる。受け手の新入生は、大学とはそんなところかなと何となく理解するかもしれないが、かなりの高確率で、正解がないのならば大学というところはあまり勉強しなくてよいという曲解を与える可能性もある。

 この「正解がない」は、さまざまに解釈可能だが、二種類に大別することができ、一つは、「正解が存在するが、現実にはそれを知ることは困難であるもの」で、もう一つは「本当に正解が存在しないもの」である。前者は、いわゆる計算困難性(computational intractability)の問題で、正解にたどり着くまでにものすごい数の可能性を検討しなければならないようなとき、それを知るのはほぼ不可能になる。たとえば、「囲碁で誰にでも勝つ方法」はおそらく存在するかもしれないが、囲碁の可能な局面数は10360と言われていて、人間はもちろん現在のコンピュータでは対処できない。「自分より弱い相手なら勝てる」というように可能性をかなり限定することによって局所解が得られることがあるが、これは限定の仕方によって異なってくる。そうすると、あたかも複数の正解があるように見え、「本当の正解がない」かのように見えてしまう。おそらく大学の教員が頭に想定している「正解がない」はこちらに分類されると思うのだが、正確には「正解がわからない」というべきだろう。「あまり勉強しなくてよい」どころか、これを知るためには、おそろしい努力を重ねなければならない。

 もう一つの場合は、正解を定める規範間に対立がある場合である。たとえば、所得を、個々人の成果に比例させるべきなのか、完全に均等にするべきなのかという問題は、厳密には永遠に正解が求められないものである。この「成果」をどのように測定するかという問題も、計算困難性を伴うが、仮に100パーセント正しい測定法があったとしても、完全比例と完全均等の間のどのあたりをとるかは、永遠に決定することができないだろう。分かっているのは、完全比例にすると生きていけない人が出てくるだろうし、完全均等にすると有能な人たちのモチベーションが削がれ、怠惰な人は益々怠惰になるだろうということである。とくに前者の場合、ハンディキャップのある人に対して苛烈になる。「生産性」という物議を醸しだした基準は取り扱いが難しい。この規範対立の問題も、ひょっとしたら何が最適規範かという問題を解決すれば、正解がわかるのかもしれない。しかし、規範についての問題は、あくまで形而上学的な議論であって、実証は不可能である。

2018年9月21日金曜日

西南戦争にみる太平洋戦争の原型


 HNK大河ドラマの「西郷どん」を見ていて、大学院生の頃に読んだ司馬遼太郎の「翔ぶが如く」がどうしても読み返したくなった。「翔ぶが如く」では明治維新以降の歴史が物語られているので、幕末は回想として登場するくらい(ここが、HNK大河ドラマの「翔ぶが如く」と異なる点である)なのだが、西南戦争に至る筋道が、歴史的資料等に基づいて実に丹念に描かれている。読み返してみて、今更ながら気がついたのだが、司馬は、西南戦争と太平洋戦争の類似をかなり指摘しているように思える。

 司馬は、昭和モノは歴史小説に描いていないが、幕末モノから「坂の上の雲」に至る中で、どこから昭和期の政治が生まれ、日中戦争から太平洋戦争に突っ走ってしまったのかという疑問が常に背景にある。その中で彼が見出したキーワードが、「統帥権」である。司馬は統帥権が、立法、司法、行政の三権の上に立つ超越的な権力であったということに着目し、軍事が暴走できるような制度的しくみであったと考えている。そして、統帥権を巧みに利用した昭和期の軍部の参謀本部の暴走を、誰も止めることができなかった。

 しかし、西南戦争は統帥権とは無関係である。西南戦争時の薩摩側の強烈な怨念は、大久保が中心となった政府に向けられている。もちろん大久保の政策にも問題はあったかもしれない。しかし、薩摩軍に参加した不平士族の多くにしろ、さらにそれを煽った海老原穆を中心とする評論新聞にしろ、では大久保の政府のどこが問題なのかという点はあいまいなまま、「嫌い」という感情で動いている。この関係は、第一次世界大戦後の日本の政府を、弱腰という点で批判した新聞・在野と軍部の関係に似ている。

 また、戊辰戦争では、西郷たちは敵である幕府側に対して綿密な分析を行っている。しかし、西南戦争時には新政府の軍隊に対してはほとんど行っていない。百姓兵の集まりである新政府の軍隊は薩摩武士に勝てるはずがないという夜郎自大的な思い込みがあったようだ。戊辰戦争と西南戦争の関係は、ちょうど日露戦争と太平洋戦争の関係に相当する。日露戦争では、日本は、強大なロシア側に対する情報収集を徹底的に行い、戦争をどのように終わらすかという見通しをもって開戦した。しかし、それまでの成功体験から、太平洋戦争では、戦う相手の分析もせず、全く見通しを持てないままに開戦して破滅を迎えるに至った。

 司馬は、太平洋戦争や西南戦争の原型を日本人の性質のどこかに見出したかったようだ。しかし、私自身は、日本人のというよりは、人類に普遍的に見られる集団現象だろうと思う。仮想的への反感という感情的な渦が集団で共有されることによって増幅され、理性的な判断が、「勇気がない」とか「卑怯」という用語で道徳的に貶められて暴走に至るのではないだろうか。

2018年9月14日金曜日

健康的存在―「学際的」の意味と意義


 すでに3か月経つが、私の前任校の先生方との共著である『健康的存在(Healthy Being)』がナカニシヤから出版された。この本は、もう10年以上前になるが、前任校に1年だけ客員准教授として滞在された筆頭編者のライ先生の発案によるもので、さまざまな領域の教員が「健康的存在」としての人間を語るものとして企画された。私も、編者の一人であると同時に、中の一章を担当している。本書は、多領域にまたがった、非常に学際的なものである。学際性の重要性は、よく叫ばれるのだが、では学際性とはどういうことなのか、これまであまり真剣に議論されていないように思う。

 本書では、最終章で、相補的な学際性と普遍性を求める学際性という分類を行っている。相補的学際性とは、何らかの問題を、それぞれが得意とするスキルを持ち寄って解決するというアプローチである。この端的な例が考古学における放射性炭素法であろう。この技術は、出土物の年代を推定するために用いられている。しかし、測定法自体は考古学とは何の関係もなく、放射性炭素法がなぜある程度妥当な方法であるのかを保証するメカニズムは、歴史学の事実解明や法則研究とはほとんど関係がない。放射性炭素法はすでに推定された歴史的事実からこの妥当性や信頼性が追及され、考古学はこの手法によって発展し続けている。

 本書は、さまざまな領域の研究者たちがそれぞれの領域で、「健康」という概念を多角的に理解するために、執筆されたものである。哲学的な論考、人間に使用されるという事実に重点を置いた言語学、自尊心の心理学、環境科学や細胞レベルの生命科学からのアプローチが試みられている。その意味で、始まりは相補的である。それぞれの分野が得意とする切り口で「健康」を語っているからである。

 しかし、このような試みにおいて、同時により普遍的な意味で健康が理解され、さらには「人間の幸福とは何か」という遠大な問題にも言及ができたのではないかと思う。言い換えれば、人間が人為的に環境をつくり、かつその環境に適応するということはどういうことなのかということが議論の背景にあるからである。

 そもそも、学問の領域というのはどのように決められるのかという基準もない中で、学際性といっても余計混乱するだけかもしれない。学問領域というと、扱う対象によって決定されているように思われるが、むしろその対象あるいは現象を、どのレベルで説明するかで決定される。概して説明は、その現象よりも一段階還元したレベルが好まれ、たとえば、生物学は、生物的な現象を、生物の身体内の化学原理で説明というのが一般的なスタイルだろう。化学反応などの現象は、物理学の量子力学による説明が一般的である。この還元という説明スタイルは非常に魅力があるが、ではどこまで還元すればよいのかという点において明確な基準があるわけではない。還元しすぎると、元の対象・現象が見えなくなってしまう。普遍性を求める学際性は、このような、還元による説明とは何なのかをそれぞれの領域で行き来しながら議論する中で生まれてくるのではないかと思う。

2018年9月5日水曜日

モスタルへの日帰りツア-―東西文化の接点とボスニア紛争


 ドブロヴニクへの滞在中、現地の日帰りツアーを利用して、ボスニアヘルツェコビナへのモスタルを訪れた。モスタルは、オスマントルコが最大版図を誇ったときの最前線で、街の中心を流れるネレトヴァ川を挟んで、西がオーストリア側、東がオスマントルコ側である。つまり、東西の文化の接点に位置する街というわけである。この写真のスタリ・モスト(「古い橋」という意味である)と呼ばれる橋がその東西を結びつけるというわけで、世界遺産になっている。

 ただし、当時の住民の多くがトルコ人であったわけではない。オスマントルコの版図に組み入れられたとき、イスラム教徒に改宗すれば、かなりの税の優遇があり、それで当時キリスト教の異端とされたボゴミル教徒の人々が改宗したようである。彼らは当初からこの地に住んでいたので、オスマントルコが現在の領土に縮小した後も、ボスニアヘルツェコビナに住み続けている。それで、この国では約半数がイスラム教徒というわけである。彼らは、ボシュニヤク人と呼ばれている。

 これが、バルカン半島がヨーロッパの火薬庫と呼ばれた一因になっている。ユーゴスラビアが崩壊して、ボスニアヘルツェコビナが独立をしようとしたとき、国内にいたセルビア人勢力やそれを後押しするとセルビアとの紛争が続いた。このセルビア人勢力は、ボスニアフェルツェコビナ国内で、スルプスカ共和国として自立しようとしていた。モスタルには、紛争の痕跡がいたるところに残されており、2番目の写真のように、人々が現在も普通に暮らしているアパートに弾痕が残っている。

 その紛争の最大の悲劇が、1995年に起きたスレブレニツァにおけるジェノサイドである。各民族が自分たちの土地から異民族を排除しようとする民族浄化の機運の中で、ラトコ・ムラディッチに率いられたスルプスカ共和国軍によって推計7000人のボシュニャク人が殺害された。第二次世界大戦以降の最も被害者が多いジェノサイドの1つである。この問題は現在も尾を引いており、1か月ほど前の新聞の国際欄の小さな記事だが、2018814日スルプスカ共和国議会が、スレブレニツァでセルビア人武装勢力がボスニア人ら約7000人を殺害した事件について、「犠牲者数が誇張されている」として事件を認めた政府報告書を無効とする決議を採択したと記載されていた。

 なお、ドブロヴニクはクロアチアの飛び地である。モスタルに最短で行くには、3回国境を越えなければならない。1667年に大地震に見舞われて国力が衰退したラグーサ共和国がライバルであったヴェネチア共和国の圧迫を撥ね返すためにオスマントルコの力を借りたのだが、その際にトルコ側に割譲した地が現在のボスニアヘルツェコビナになっている。ドブロヴニク側からクロアチア本土側に伸びた細長い半島と本土を結ぶ橋が計画中らしいが、その橋が完成すれば国境を越えなくてもよくなるようだ。