2020年1月31日金曜日

ジャレド・ダイアモンドの『危機と人類』を読む(1)ーフィンランドから学ぶこと

 ジャレド・ダイアモンドの最新の書籍 Upheaval: How nations cope with crisis and change がありがたいことに日本語訳された。これまでの彼の著作と比較して、詳細に資料に典拠したというよりは、伝聞に頼ったり、ウィキペディア程度で済ませたりしているのではないかなという箇所も散見されるが、全体の構成としては非常の面白い。国家の歴史的危機をいくつかあげ、国家の危機を乗り越えるための12の要因を掲げて、それぞれの危機がどの要因によって克服されたかという分析は一見古典的なようだが、視点は斬新である。

 最初の例がフィンランドである。第二次世界大戦において、フィンランドはなんとドイツ、日本、イタリアに次ぐ枢軸国とされている教科書もあったが、実情は、スターリンによる一方的な侵略とそれに対する小国の抵抗である。抵抗の際に、ナチスの力を借りようとしたことが枢軸国という不名誉なカテゴリに入れられた理由であろう。193911月から19403月の冬戦争と19416月から19449月の継続戦争があるが、どちらにおいてもソビエト連邦軍はかなり手痛い反撃を喰らっている。冬のフィンランドの森を知っていたフィンランド兵のスキー部隊が、ソビエト連邦軍の戦車隊を翻弄したようだ。ベトナム戦争における北ベトナムのゲリラ戦を彷彿させる戦い方である。

 フィンランドがスターリンに屈しなかった要因として、ダイアモンドは愛国心あるいはナショナルアイデンティティを挙げている。フィンランドのスキー兵のソビエト戦車への襲撃は、日本の太平洋戦争末期の突撃を連想させ、民族国家存続のために命を捨てる覚悟があることを尊いとしていた信念には違和感を抱く。ただし、フィンランド人は、現在も先進国の中で国のために戦うことを厭わない国民である。一般に、先進国は個人選択重視という価値観があり、この価値観が高い国の人々ほど戦争で命を危険にさらすことを望まないという法則がある。ところが統計的分析によれば、フィンランドは、この回帰曲線から大きくズレて、国のために戦う方向にプロットされている。これは、日本、ドイツ、イタリアが回帰曲線から逆方向にズレていることと興味深い対比になる。

 戦後は、「フィンランド化」という悪評高い方向に舵をとる。「フィンランド化」は、1979年のニューヨークタイムズによれば、「全体主義的な超大国の勢力と無慈悲な政治に恐れをなした近隣の弱小国が、主権国家としての自由を譲り渡す」と酷評されている。しかし、フィンランドの二人の大統領名で呼ばれるパーシキヴィ=ケッコネン路線は、フィンランドがソビエト連邦と長い国境で接する弱小国であり、西側から支援が期待できないという認識から、徹底的にスターリンやフルシチョフの思考を分析し、フィンランドが安全な国であるということを彼らに理解させるという方針をとった。そして元はフィンランド第二の都市であるカレリア地方のヴィボルグ (旧ヴィープリ) がソビエトに割譲されても返還を要求しなかった。

 フィンランドの事例から日本が何を学べばよいのかは難しい。フィンランドに比較すれば、日本人がプーチンをどう理解するかという努力ははるかに小さいかもしれない。また、日本が、ロシアが何もしない限り日米安保条約によって脅かすことはないということを信じさせる努力も足りないかもしれない。そして、弱小国であるという認識から、戦後は教育と産業に力を注いだフィンランドを見習えと叫ぶことは容易かもしれない。ただ、現在の軍事超大国である中国の隣国である日本が、中国の独裁を容認して習近平の機嫌を取ることに終始するのは国のモラルとしていかがなものかとも、一方で思う次第である。

2020年1月18日土曜日

悲劇のモデルとしての香港―アヘン戦争と逃亡犯条例

 香港の人々にはたいへん申し訳ないことだとは思うが、歴史的に二度にわたって周辺国に悲劇のモデルを提供したのではないだろうか。最初は、有名なアヘン戦争である。英国が、清からの大幅な輸入超過を解消するためにアヘンの輸出に踏み切り、それを取り締まった清に対してしかけたのがアヘン戦争である。敗れた清は、1842年の南京条約によって香港を英国に割譲した。このニュースは、オランダや清の商船員を通じて幕末の日本にも伝えられ、西洋の軍事力が東洋に比して圧倒的に優勢であるという事実として、日本人に大きな衝撃を与えた。つまり、日本人にとって「あのようになってはいけない」という悲劇のモデルの役割を果たしたわけである。

 その178年後、香港は、今度は台湾の人々にとっての悲劇のモデルとなった。それも、香港が中国に返還されたことによって生じたことで、何という歴史の皮肉だろうかと思う。2020年の台湾の総統選挙において、現職の与党・民主進歩党の蔡英文が再選を果たした。中国との関係強化を主張した国民党の韓国瑜に対する圧勝であった。この背景には、一国二制度(1997年に香港が英国から中国に返還された際、50年間は香港の自治と資本主義経済などが認められるという制度)を守らずに、香港の自由を締め付けてきた近年の習近平による施策がある。とくに「逃亡犯条例」改正案は、香港と中国本土との間で容疑者の引き渡しを可能とするものであり、そうなれば香港市民が中国当局の取り締まり対象になる可能性がある。それは一国二制度を根本から揺るがすものである。香港市民が完全撤廃を求めたのは当然で、さらに行政長官選や立法会選での普通選挙の実現のための激しいデモは周知の通りである。

 中国政府は、1949年の分断以来の台湾での主権を主張し、台湾は最終的に中国と統一されなければならず、必要であれば武力行使を辞さないとしている。これによって、「今日のウイグルは明日の香港、今日の香港は明日の台湾」という危機感は、多くの台湾の人々に共有されている。中国に強硬な姿勢をとっている蔡総統は、勝利演説で、台湾を力ずくで奪還するといった脅しを放棄するよう中国側に求めている。「私はまた、中国当局が、民主主義的な台湾も、我々の民主主義に基づいて選出された政府も、脅迫や威嚇行為を認めないということを理解してくれると願っている」が彼女の言葉である。

 香港は、今回は日本人に悲劇的なモデルとして認知されているだろうか。昨年某時事番組で、香港のデモがテーマになったとき、中国政府の圧力というその背景が議論されなかったのは異様だった。習近平、あるいは中国政府に対する大きな忖度が働いていたのだろうか。そして、最後にゲストがコメントを求められたときのある女性評論家の発言が「日本の若者はおとなしいわね」だった。日本と香港では民主主義への危機感が桁違いだと思うが、そういう認識はなかったのだろうか。それとも忖度にまみれた確信犯だったのだろうか。

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2020年1月13日月曜日

めざせJ1昇格―2020年シーズンの京都サンガ

 2017年と2018年のシーズンはおそろしくひどいサッカーだったが、2019年シーズンの京都サンガは、中田一三監督のもと、パスとポゼッションのなかなか面白いサッカーを見せてくれた。京都は、20112013年シーズンも大木武監督によるパスサッカーだったが、大きなサイドチェンジもなくゴールよりもパスが目的であるかのような袋小路にはまったサッカーという印象だった。それに比べて2019年のサッカーは抜群に面白く、一時はJ2で首位だったのでJ1昇格を期待していた。しかし、守備を固められてカウンターという、ポゼッションサッカーの典型的弱点を突かれ始め、8位という成績で終わってしまった。ポゼッション率が上回っているにもかかわらず負けが多かった後半は大きな反省材料だろう。

 2020年シーズンは、中田一三監督のもとでコーチをしていた實好礼忠が監督になった。彼はJ3でガンバ大阪U-23の監督をしていたが、さて京都ではどのようなサッカーをするのだろうか。個人的には、おもしろいようにパスがつながるサッカーは捨てて欲しくないし、これに積み上げるとすれば、ポゼッションにこだわらず、守備あるいは前線のプレスからのカウンターを中心とした縦に速い攻撃を追加することだろう。現代のサッカーで、ポゼッションを中心にチームを機能させようとするとたいへんだと思う。世界でポゼッションサッカーといえば、リーガのバルセロナ、エールディヴィジョンのアヤックス、イングランドプレミアのノーリッジが思い浮かぶ。アヤックスは健闘したものの、バルセロナはあの豪華メンバーで苦労しているし、ノーリッジにいたっては現在最下位である。

 2019年に前線を牽引した、仙頭啓矢、小屋松知哉、一美和成がチームを去る。これだけ大幅に入れ替わるとチームとして機能させるために時間がかかるのではないかと心配するが、新しく加入しているプレーヤーを見ると、2019年のサッカーに京都は何を積み上げようとしているのか素人でも何となく理解できる。ヨルディ・バイスには堅い守りの構築、荒木大吾、中川風希、飯田貴敬には縦への速い攻撃、ピーター・ウタカには決定力、李忠成には前線からのプレスだろうか。2019年は中盤の底の庄司悦大からの長短のパスが効いていたので、これに縦の速い攻撃が加わると強力になる。

 京都は、これまで客寄せパンダのような元日本代表を連れてきては失敗している。元日本代表がメディアで取り上げられることを期待しているのかもしれないが、やはりサポーターをはじめとする観客は、おもしろく強いサッカーをしなければスタジアムには行かない。その点、ことしの補強は、2019年のサッカーで足りなかった部分を補っていて、個人的には非常に期待がもてる。スタジアムも新しくなり、開幕が待ち遠しい。

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2020年1月9日木曜日

本当に「寛容性」が失われているのか? (2)―グローバル化の副産物


 前回の記事で、ここ50年ほどで、「寛容性」が失われたどころか、人々の人権意識は高くなっていると述べた。ただし、トランプ現象に見られる、排外主義の復活は懸念材料である。排外主義を唱えるポピュリストが政治権力を容易に握ることができる欧米での潮流は、日本におけるヘイトスピーチと結びつけて考えれば、現代の大きな脅威といえるかもしれない。

 しかし、排外主義は今に始まったことではない。元をたどれば、霊長類の集団間の争い、狩猟採集民にも見られる他部族への敵意など、ヒトの認知機構における進化的に古いシステム(「スロー」と対比される「ファスト」)からの出力である。他部族の異装やタトゥーは、嫌悪と恐怖を引き起こすものと決まっていた。したがって、見知らぬ人に対して警戒せず信頼できるという現代のこの状況が奇跡だということを、私たちはまず認識すべきだろう。

 拙著『「生きにくさ」はどこからくるのか』でも述べたことだが、文化的発展は、私たちの理性(スロー)がこの野生(ファスト)を飼いならしてきた歴史であるともいえる。しかし、スローからの出力は、強い感情を伴っていて、ファストで修正することは困難である。これは、たとえばヨーロッパ系米国人が、差別をしてはいけないというのは「頭では」分かっているのだが、実際に貧しいアフリカ系の人々に接すると恐怖を感じたりするという例に代表される。この50年で、いくら人権意識が高まり、差別が減少したとしても、「スロー」は依然として休火山状態なのだ。

 スローからは、したがってちょっとしたきっかけで差別感情や排外感情が出力される。この50年間の地球上のグローバル化の速度は、私たちの脳あるいは認知機構が受容できるものをはるかに超えている。そうすると、外国人の増加が私たちの予想を上回り、いつのまにか、たとえば日本の観光地ではどこを向いても外国人という状況になり、当然文化摩擦も増える。「頭では」差別してはいけないと思っていても、食事の作法一つとっても、それが異なっていると嫌悪感が生じてしまうということになる。さらに、これまでマイノリティとして庇護すべき存在と考えていた人々が、自分たちの権利を主張し始めると、「頭では」それが正しいと判断しても、ファストは反感を生じさせてしまうわけである。

 ヨーロッパの場合は、それがもっとひどいことになっている。ヨーロッパの人々は、中東やアフリカの人々に対する負い目から、難民は受け入れなければならないという規範をもっている。しかし、難民とはいえない不法移民が次々にやってきて、さまざまな問題を引き起こしてしまうと、彼らの忍耐にも限度がある。特に、非ヨーロッパからの移民たちが、彼らの人権意識の低さをそのままヨーロッパに持ち込むと、ヨーロッパ人の中に反感が生じてしまう。

 私たちの世代はグローバル化に慣れていない。しかし、新しい世代、つまり周囲に外国人や文化背景を異にする人々があたりまえのように存在する環境で育った人々はそうではない。このような人々が多くなる2030年後は、このアンチグローバリズムとしての排外感情は小さくなるのではないだろうか。私は、現代問題視されている排外感情はグローバル化の副残物として、一時的なものではないかと思っている。

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