2020年10月29日木曜日

「学問の自由」が脅かされるとき(1)―為政者による科学・学問への嫌悪

  前回の記事では触れなかったことだが、日本学術会議の新会員候補の任命拒否について、学問の自由への侵害という批判がある。しかし、この批判については私を含めてかなり違和感を抱いた研究者が多いようだ。日本学術会議の会員に任命されないことで、どうして学問の自由が脅かされる? 自分の学問が学術会議で受け入れられないからといって、学問領域を変更するような研究者がいったいどれだけいるるだろうか。むしろ学術会議側の、2017年の「軍事的安全保障研究に関する声明」によって学問の自由が恐ろしく制限される危機感を抱いた研究者のほうが多く、実際、学術会議会員から漏れ聞こえる声によれば、この声明については学術会議内でもかなり異論が多かったようだ。

 それでも多くの研究者が、この任命拒否とその理由の非開示について「学問の自由」が侵害されるという直感的な恐怖を抱く理由は十分に理解できる。これまでの歴史上の為政者の中に、学者あるいは学者集団を嫌っていた人物が多く見られ、彼らに共通するのは、いずれも独裁者であったという事実があるからである。

 始皇帝の焚書坑儒に始まり、毛沢東は文化大革命で、反マルクス主義的な学問を弾圧すると同時に多くの知識人を殺害した。また、カンボジアのポルポトも自分に反旗を翻しそうな知識人を数多く殺害した。さらに、チリのピノチェトは、議会制民主主義の否定による軍事政権下で、大学を軍人の統制下に置いた。思想統制のためマルクスら社会主義関連の書物やフランツ・カフカ、ジークムント・フロイトなどが焚書にかけられた。これらは、人々の知性を意図的に失わせる、独裁者による愚民政策が極端化したものと解釈できるだろう。

 ここまでひどくなくても、為政者が科学や学問を軽視したり、抑圧しようとしたりした例は多くみられる。民主党政権での「2位じゃダメなんでしょうか」も、コンピュータ科学領域研究への無理解が感じられた。また、日本の研究は学術振興会の科学研究費(いわゆる「科研費」)にかなりの割合を支えられているが、東京オリンピックの予算が科研費の10年分と聞いたときは、眩暈がしそうになった。

 また政党が特定の科学理論を認めないという例もある。たとえば、アメリカの共和党政権は伝統的に進化論を認めていないようで、なんと進化論に替えて創造論を、「インテリジェント・デザイン」と称して学校教育に取り入れようとしている。これは、独裁のためというよりも、おそらく支持者を失いたくないためであろう。今回の学術会議の任命拒否は、どれに相当するのかわからないが、いずれにせよ任命拒否理由だけは知りたいものである。

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日本学術会議の新会員候補の任命拒否についてー少なくとも説明が必要ではないか?

  日本学術会議の新会員候補のうち、6人の任命を菅首相が拒否したことが波紋を呼んでいる。これが学問の自由を奪うとする主張にはまだ完全に賛同できないが、首相が会員選出に介入したということは政治による学問・研究の自治への干渉として大きな禍根を残すことになるし、こういう前例は作るべきではない。

 確かに、学術会議にも問題はあろう。2017年の「軍事的安全保障研究に関する声明」では、軍事に直接かかわる研究への反対だけではなく、軍事に利用される可能性がある研究にまで監視が及びそうな雰囲気があり、傘下の学協会に降りてきたアンケートには、学協会がこの問題にどう取り組んでいるかということがいろいろと質問されていた。日本学術会議が、学者が軍事研究に協力した日中・太平洋戦争時の反省から始まっていることは理解できる。しかし、学術会議のもう1つの大きな柱である「国際性」という視点からはかけ離れた声明という印象だった。

 多くの研究者にとって軍事に直接関わる研究には抵抗があるかもしれないが、軍事利用される可能性がある研究までが問題視されると、コンピュータ科学や材料工学などは何もできなくなってしまう。私の異文化比較研究だって(そもそも異文化比較研究が盛んになった要因の1つは、第二次世界大戦時の、米国による日本および日本人研究である)、その可能性は否定できない。さらに、安全保障という視点からすると、軍事研究も誰かがやらなければならない。そういう「汚れ役」は誰にやってもらうのだろうか。その意味で、2017年の声明は、奴隷を有しながら民主主義を説く古代アテネ市民を連想させるものだった。

 それでも、今回の任命拒否は明らかに悪例を残す政治介入である。さらに、その理由について全く何も言わないという菅首相をはじめとする内閣の姿勢・態度にも大いに問題がある。少なくとも理由を述べて議論を喚起すべきだろうし、こういうやり方が、今後、科研費の配分などに影響が及んでくるとすると、学問の自由が脅かされてくることになる。