2017年11月23日木曜日

ダンバー数を超えてー (下ネタ失礼します)

 社会的哺乳類として進化した霊長類には、集団が拡大すれば協同作業や外敵との争いという点で有利だが、集団の維持にコストがかかるというジレンマが常にある。集団が大きくなると、成員間の相互理解に大きな認知的負荷がかかるからである。そうした背景から、言語の起源についての研究で知られるロビン・ダンバーは、霊長類における集団のサイズが、脳における新皮質比率にほぼ比例するという法則を見出した。つまり、新皮質の割合が大きければ、集団成員が増えるという認知的負荷に耐えることが可能になり、また、新皮質はその淘汰圧によって増大してきたというわけである。この法則が正しければ、ヒトの新皮質比率から推定される適正集団は150人とのことで、この150人という数字がやや独り歩きしてダンバー数と呼ばれている。

 確かに、自分の周囲を見渡して、現時点でお互いにかなり知っているような知人・血縁関係者は150人くらいかなとも思うが、ヒトは、このダンバー数を超えて、企業や国家といった大規模な協同を可能にしている。現代についていえば、社会システムによる「制度」が大きな役割を果たしているが、ダンバーは、もう少し原初的なものに、言語、音楽あるいは宗教があったのではないかと推定している。

 チンパンジーが相手との相互の絆を高めあう行動に「毛づくろい」がある。毛づくろいをしてもらったら、相手にもしてあげるという互恵性の中で紐帯が生まれるわけである。しかし言語は、これよりもはるかに効率的な相互理解をもたらしてくれる。また、音楽的要素を含んだ宗教活動は、多くの人々を一種のトランス状態に巻き込み、共同体意識を高めてくれる。原始的な社会では、シャーマンが中心になって、人々が音楽に合わせて踊りながらトランス状態になるということが行われたようだが、ダンバー数を超えて人々を結びつけるという適応的意味があったのだろう。

 文明時代のトランスとして、遊行念仏や幕末の「ええじゃないか」、また、現代のロックコンサート等がその代表かもしれない。バブル時代に一世を風靡したディスコもその一例だろう。

 それで私が思い出したのが、大学時代の部活動である。私は学生時代に某大学体育会系○○部に所属していたが、毎年7つの国立某大学が集まって行われる大会は、ビッグイベントの1つであった。その大会の終了後に、一堂に会して懇親会が行われるのが恒例で、毎年、各大学の1年生が、猥歌を披露して盛り上げることになっていた。で、私が3年生の時の1980年、広瀬川のほとりの某大学で行われた懇親会は凄かった。わが大学の後輩たちの芸は極めて単純なもので、阿波踊りのような振付で、ただただ、以下のように、人体のある部位を意味する放送禁止用語を連呼するだけであった。

「理性がなくなる、理性がなくなる♪ オ○○ッ! チ○○ォ~! ○○の穴ッ!」

 これが盛り上がった。ごく少数ながら女性も含まれていたが、会場が騒然と熱気に包まれ、かなりの部員たちがその放送禁止用語を叫びながら一緒に踊り始めた。振付もセリフもシンプルだったので、参加が容易だったのだろう。おそらく懇親会場には300人以上いたと思われるが、ダンバー数を超えて一体化した一瞬であった。

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