2019年7月11日木曜日

朝鮮日報(日本語版)の2つの記事―日韓両国民に知って欲しい


 日本の韓国に対する半導体輸出規制が発表された。2004年から日本は韓国をホワイト国としていたが、戦略的物資の管理が不透明ということでホワイト国から除外ということのようだ。これが、徴用工訴訟での差し押さえに対する報復なのか、戦略的物資が北朝鮮やイラン等に密輸される可能性があるということからなのかはわからない。あるいは、昨年のレーダー照射など、あたかも日本を仮想敵国としているかのような行動をとる国をホワイト国指定はとんでもないという意見に後押しされたのかもしれない。

 今回の措置が妥当なのかどうかについて、私は文在寅の奇妙な北朝鮮へのすり寄りから60パーセントくらいは賛成だが、確実な判断というわけではない。ただ、国際的な分業による人類全体の繁栄のためにはグローバル化が必要という視点から見れば、諸手を挙げて賛成というわけではない。

 これまで、韓国では、日本を擁護するような意見を述べると、「親日」として非難を浴びるということが多い。擁護どころか、日本批判派の歴史的な誤りを正そうとして吊るしあげられた学者もいる。しかし、文在寅が大統領になってからの、不毛とも思える積弊清算という名のもとの「親日」狩りについては、さすがに韓国内でもこれを批判する声が出始めている。

 私は、韓国語はわずかに読める程度なので、ネットの日本語版で読んだものなのだが、文に最も批判的な朝鮮日報の2つの記事を紹介したい。1つは、ホ・ウソン慶煕大学名誉教授によるもので、韓国が、日本帝国主義下の植民地支配についてもうすこし寛大になれないかというものである。彼は、「1950年の中国によるチベット侵略以降これまで続いている占領と弾圧は、大日本帝国による朝鮮統治よりも残忍に見える」と述べ、さらにダライ・ラマ14世の言葉を引用する。ダライ・ラマは、ノーベル平和賞受諾演説において、彼は中国の圧政は批判しつつ、「私は抑圧者と友人を含むわれわれ全てのために、人間的な理解と愛を通してもう少し良き世界を建設することに、われわれが共に成功できるよう祈ります」と述べたようだ。つまり、ダライ・ラマのこの言葉から、反日的な姿勢や、親日狩りをいましめているのである。

 もう1つの記事は、イム・ミンヒョク朝鮮日報の論説委員によるものである。この記事では、韓日国交正常化交渉におけるキム・ジョンピル(金鍾泌)元首相の、1965年に韓日基本条約を締結したときの、「民主主義の恩恵を受けるにはまず経済建設」という信念が紹介されている。そして、この韓日基本条約で結ばれた四つの協定の一つが請求権に関するものだったということを明記している。さらに、韓国政府はこれによって日本から「無償3億ドル(現在のレートで約320億円)、長期低利2億ドル(220億円)相当の物資を受け取り、韓国の輸出総額が年間2億ドルにも満たなかった時代に、この資金によって浦項製鉄ができ、京釜高速道路などが建設されたと述べている。

 韓国の反日の歴史において、これまではこのような事実がほとんど国民に報道されてこなかった。そして、植民地時代にひどいことをして謝罪しないという言説が独り歩きしているという状態だった。そうしたことから、この朝鮮日報の2つの記事を書くのは、勇気が必要だったのではないかと思う。もちろんこれらの記事は韓国国民向けなのかもしれないが、嫌韓に染まった日本人も、今回のホワイト国除外に100パーセント賛成という人も、こういう記事を書く人もいるのだということを知って欲しい。もちろん、韓国の反日一色の人たちにも、このような事実を知って欲しい。そして、両国が相互理解に向かうことができればと願っている。

2019年7月4日木曜日

『「生きにくさ」はどこからくるのか―進化が生んだ二種類の精神システムとグローバル化』出版


 531日の記事で、『「生きにくさ」はどこからくるのか―進化が生んだ二種類の精神システムとグローバル化』が出版予定であることを書き、前書き部分を一部修正して紹介した。これが無事に出版された。2015年に『日本人は論理的に考えることが本当に苦手なのか』というタイトルの書籍を出版していただいたが、この本は「日本人は情緒的だから論理的ではない」という俗説を否定するためのものだった。そして今回は、「「人類は豊かになったが、精神が貧困になり、モラルを失った」、これが「生きにくさ」の原因である」という通説・俗説を否定するためのものである。

 第二次世界大戦後、豊かになるにしたがってモラルが低下したわけではないという記事は、このブログでも何度か書いた。モラルに沿った行動が増えたかどうかという調査は難しいが、犯罪などの統計から、現代は明らかに殺人や暴力が減少しているのである。また、大戦後の世界的潮流として、人権意識が人々の間に浸透している。人種差別や性差別はまだまだ根絶してはいないが、それでも1960年前後と比較すると、この50年で大きく変化している。本書は、この変化を、認知的容量を備えた進化的に新しい認知システムによって、差別意識などの進化的に古いシステムからの望ましくない出力が修正されてきた歴史として記述している。

 タイトルから、「生きにくさ」に焦点が当てられている印象を持たれるかもしれないが、私としては、ビッグ・ヒストリー系の「現代論」として書きあげたつもりである。現代論というと、現代の芸術であるとか、現代の情報社会であるとか、ポストモダンとしての現代など、それぞれの領域において数多く議論されている。本書は、社会的哺乳類として進化した人類が、「マインドリーディングマシン」と「社会的契約・交換マシン」を進化させ、それらのマシンを、認知的容量をもった進化的に新しい認知システムが制御してくという視点で文化・文明の発展を記述し、それらの現時点での到達点として、現代を論じている。

 マインドリーディングマシンは、他者の行動を、背後に心の働きがあるとして理解することを可能にしてくれる。これは、社会的乳類としてのホモ・サピエンスの大規模な協同を促進してくれる。また、社会的契約・交換マシンは、原初的な物々交換から、大きな経済システムにおける貨幣の使用などを可能にしてくれ、現代の分業を促進してくれている。分業がすすむと、それぞれが自分の得意な分野に専心できるので専門化が可能になり、産業の発展、つまりは豊かさに結びつくのである。

 この延長がグローバル化である。グローバル化は、分業・専門化の促進という点で、ストップすべきではない。しかし、本書の中で、このグローバル化の中に「生きにくさ」の本質があると私は主張している。つまり、分業化は伝統的な共同体を破壊し、私たちに、都市に代表される匿名的なコミュニティへの適応を求めてくる。つまり私たちの脳が進化したのは、コミュニケーションはお互いに知悉したもの同士という環境なので、この新しい現代の文化に適応するのは容易ではないだろう。この中に「生きにくさ」が潜んでいるわけである。決して精神が貧困になって「生きにくさ」が生まれたわけではない。