2021年6月17日木曜日

まさかとは思うがー素人が妄想した赤化統一

  以前、ジャレド・ダイアモンドの『危機と人類』で紹介されたチリのクーデターによる独裁軍事政権についての記事を書いた。チリは、南米の中でも伝統的に民主的な国なので、そんな国においてこういうことが起きたのだということに多くの人が恐怖を感じたようだ。私はそれに加えて、韓国における文在寅政権に対するクーデターの可能性に触れた。文在寅には、韓国のかなり人々の不満が鬱積しているからである。

 しかし、まさかとは思うが、文在寅自身がクーデターを起こす可能性はないのだろうか。これまでの韓国の大統領が、辞任と同時に多くの罪状で告発されて収監という例が多い中で、文在寅が行ったさまざまなこと、特に北朝鮮へのすり寄りは、政権党交代があれば辞任後に罪に問われる可能性はかなり高いのではないかと思う。そうすると、みすみす収監されるよりは武力的赤化統一に賭けてみるというのは彼個人にとって悪い選択肢ではない。

 私は、在韓米軍などの配置や諜報活動についてはほとんど知らないし、武力的赤化統一は極めて非現実的なことなのかもしれない。しかし、文在寅が韓国軍の腹心将校を味方につけ、中国あるいはロシアの支援を受けて、北朝鮮軍を韓国に招き入れ、武力的赤化統一を試みたらどうだろうか。もちろんこの北朝鮮軍の動向はつぶさに米軍等に知られるが、少なくとも北朝鮮国内での移動には在韓米軍は手を出せないであろうし、韓国領内に入ってきても青瓦台と韓国軍が招き入れたということになるとやはり攻撃を加えるわけにはいかない。そして、ソウル市民を人質にして武力的赤化統一を図るわけである。文在寅の長年の夢である朝鮮半島の統一を成し遂げ、大統領退任後の訴追や収監を回避できるという、一石二鳥の方法である。ここまで事が運べば、在韓米軍は内政干渉になるのでこのクーデターに対して攻撃を加えることはできない。さらに在韓米軍に助けを求めようとする韓国人は、おそらくそのときに敷かれる戒厳令下での利敵行為として取り締まればよい。これで、とりあえず第一段階はクリアできる。

 この武力的赤化統一の成否について、ミャンマーの軍事クーデターは参考になるだろう。ミャンマーでは、海外からの干渉は現時点で無力である。赤化統一のクーデターが成功すれば、在韓米軍といえども内政干渉として手を出せなくなる。また、ミャンマーより有利な点は、ロシアや中国の支援を受けることができるということだ。内政では、この赤化統一に従わないものは主体(チェジュ)思想を歪曲するものとして歴史歪曲禁止法などによって、政敵を次々に収監することができる。歴史歪曲法は、親日家を取り締まる以外にも役に立つ。こうすれば、少なくとも230年はこの赤化統一を保てる。まさかこういうことは起きないとは思うが、文在寅個人にとっては悪い選択肢ではないということが気掛かりである。

 

ジャレド・ダイアモンドの『危機と人類』を読む(2)ーチリ軍事独裁の恐怖

ミャンマーの軍事クーデター


2021年6月14日月曜日

『21世紀の啓蒙』(Enlightenment now)を読む(2)―進歩恐怖とバイアス

  前回の投稿で、いわゆる「進歩的知識人」の進歩嫌いが、ロマン主義運動にたどり着くとするピンカーの主張を紹介した。しかし、それは一つの側面であって、そもそも「知識人」と称する人々は「進歩恐怖」と呼べるくらいに進歩を嫌っているには、さまざまな理由があるというのがピンカーの意見である。

 概括すれば、これは「進歩的知識人」のインテリ文化の特徴であろう。世の中は現在よりも良くなるだろうか悪くなるだろうかという問いに、「良くなる」と答える人間は、おバカだと思われる風潮がある。楽観主義者ならともかく、楽天家とか夢想家、極端な場合は「極楽トンボ」などと命名され、オツムがちょっと弱い人間というイメージが付随するのだ。現在、世界的規模で生じている地球温暖化の環境問題や紛争・テロに無関心なおバカさんというわけだ。また、実際、何かを評するときに、肯定的な評価をする人よりも否定的な批評をする人のほうが賢いとみなされやすい。「進歩的知識人」は、この傾向にちゃっかりと乗っかっているというわけだ。

 しかし、知識人が本当に進歩的であろうとすれば、人々のネガティヴィティバイアスを修正することが大きな役割の一つである。人間の認知は様々なバイアスの影響を受けるが、このネガティヴィティバイアスを引き起こしている利用可能性バイアスが心理学において知られている。利用可能性バイアスとは、利用可能性が高い情報を根拠に判断を行うことによって真実からズレていく現象で、代表的なものがメディアの報道の多さを根拠にした判断である。たとえば、日本におけるこの1年の新型コロナウイルスによる死者数は、肝炎ウイルス関連の死者数と比較してどの程度と推定できるだろうか。実は前者は約14000人、後者は約40万人で圧倒的に後者が多いのだが、私たちは新型コロナウイルスの死者数が多いのではないかと思ってしまう。これは前者の報道が頻繁だからである。

 そして、このバイアスを生み出すニュースには、良かったことよりは悪かったことのほうがはるかに多いのである。かくして、人々は良い出来事よりも悪い出来事の方が多いという方向への利用可能性バイアスの影響を受け、悲観主義に陥るというわけである。「進歩的知識人」の役割は、この利用可能性バイアスを修正することにあると思うのだが、むしろ人々の性向におもねるようにして、このバイアスに加担している。彼らが果たすべき役割は、過去を評価し、そこから未来に向けてシミュレーションを行っていくうえで、利用可能性バイアスによって隅に追いやられたパラメータを復権させていくことなのではないかと思うのだが、なかなかそういう「進歩的知識人」は現れてくれない。

 

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21世紀の啓蒙』(Enlightenment now)を読む(1)―科学批判を批判する

2021年5月28日金曜日

『21世紀の啓蒙』(Enlightenment now)を読む(1)―科学批判を批判する

  スティーヴン・ピンカーの『暴力の人類史』は、ここ10年で私が最も影響を受けた著作の1つだが、そのピンカーが書いたということで読んでみたのが『21世紀の啓蒙』である。21世紀は、戦争や飢餓、貧困、疫病 (COVID-19が猛威を振るっているとはいえ、過去のペストなどと比較すれば物の数ではない) をかなり克服できただけではなく、科学が発展し、健康になり、また人権意識も高まった時代である。ピンカーは、この啓蒙を推し進めたいと本書を執筆したようだ。ただ、よく読んでみると、ピンカーの考え方に対して、いわゆる「進歩的知識人」による批判が多く、彼らに対する怒りが本書の最も大きな執筆動機のようにも感じた。

 拙著『生きにくさはどこからくるのか』で私も述べたが、「昔は良かった」と思い違いをしている人は多い。しかし、IT技術の発展とそれに伴うさまざまな科学的発展を実感している身として、なぜこの科学の成果を享受しないのかは不思議である。個人的体験だが、私は医学の発展によって3回命を助けられている。1回目は出産時なのだが、おそらく病院で生まれていなければ死産だっただろう。自宅出産が当たり前だったその15年前に生まれていれば今の私はない。2回目は小学生の時の結核である。それが30年前だったとすれば命は危なかっただろう。3回目は2001年の悪性リンパ腫で、その時点で過去10年の間に化学療法による生存率が著しく高まったといわれていた。この背景にあるのは、抗がん剤(私が受けたのは、CHOPというプログラムだった)の進歩だけではない。抗がん剤投与による骨髄抑制で白血球が減少するのだが、これを注射一本で回復させることができるようになったことも大きかった。次の抗がん剤投与のために白血球の回復を待つ必要がなくなり、患者にはちょっと辛いのだが、投与の間隔を短くして集中的に腫瘍を攻撃することが可能になったわけである。これらの進歩には、いずれもIT技術が大きく寄与している。

 ガンをはじめとする病気の克服や長命、さまざまな娯楽に科学技術は多大な貢献をしているはずなのだが、「進歩的知識人」といわれている人たちには科学批判がしばしばある。ピンカーは、彼らの科学批判を分析しているが、概して彼らに共通するのは、現代がいかに劣化しているかを強調し、それがこの現代の科学あるいは文明にあるとする姿勢である。進歩的知識人は売れる本を書きたがるが、確かに、「人類はいかにして民主主義を作り上げてきたか」のようなタイトルよりも、「現代の民主主義の危機」のほうがはるかに売れる。また彼らは、その名に相違して「進歩嫌い」が多いのだが、それを遡ると、ロマン主義運動にたどり着く。

 元来ロマン主義は、文語としての古典ラテン語で書かれた文学に対して、口語であるロマンス語で書かれた文学作品を評価しようというもので、生な口語としての感情表出の記述に重点を置いた。その結果、ロマン主義は産業革命への反動として、産業革命や科学の進歩を支えた理性偏重、合理主義などに対し、感受性や主観に重きをおいた一連の運動となっていった。ロマン主義的科学批判は、経済や発展が行き詰ったと感じられるときにちょくちょく蘇るが、モダニズム批判としてのポストモダニズムにもその影響が大きく現れている。科学の限界や問題を指摘するだけなら貴重な批判なのだろうが、現実の政策として研究費の減額に影響力を及ぼすようになると困ったものである。

2021年5月16日日曜日

『暴力と不平等の人類史』(The Great Leveler)を読む(2)―疫病

  The Great Levelerが出版されたのが2017年、邦訳の『暴力と不平等の人類史』が出版されたのが2019年である。この書の中で、平等を引き起こす要因の一つに「疫病」が挙げられているが、その直後にCOVID-19のパンデミックが起きたというのは、なんという偶然かと思う。

 疫病から平等化が見られた例としてもっとも知られているのは、14世紀から15世紀にかけてのヨーロッパにおける腺ペストの流行だろう。この時期にヨーロッパの人口が3分の2程度に減少したと推定されている。一般に、産業革命以前は、食糧生産が増えてもすぐに人口の増加がそれを上回り、一人当たりの豊かさは増えないというマルサスの罠が常に待ち構えていた。しかしヨーロッパのこの腺ペスト禍の直後は、人口の激減もあって一時的にマルサスの罠から抜け出すことができたようだ。

 革命や戦争、国家や制度の崩壊による平等化は、富裕者が所有していた余剰の富が消失することによる平等化で、個々の豊かさにはあまり寄与していない。しかし、人口の3分の1が減少するというこのヨーロッパの腺ペストパンデミックでは、明確に個々人が裕福になっている。人口の減少が他と比較にならないくらい激しかったからである。

 さらに、単に一人一人が豊かになっただけではなく、平等にもなった。この理由は、人口の減少によって、土地の価値と比較して労働力の価値が相対的に上昇したからである。つまり、広い土地があっても、人口減によって労働力が全体的に低下すると、個々の労働者の価値が押し上げられ、土地所有の富裕層と労働者との間の不平等が小さくなるわけである。さらに、都市労働者の賃金も上がるので調度品などの価格も上昇し、最終的には土地と家屋以外のすべての価格が上がって、一時的ではあるが、豊かで比較的平等な社会が達成されたわけである。

 ただし、疫病による人口の急激な減少が必ずしもこのような豊かさと平等化に結びつくわけではない。西欧では農奴制が全滅したのに対し、東欧では労働者の引き抜き防止のためにペスト後の農奴制はむしろ強化され、不平等は却って固定化したようだ。また、16世紀のメキシコでは、ヨーロッパからの疫病で、免疫がなかった先住民の命が大量に失われている。しかし、人口減少に直面したスペイン側が労働力を確保するための強制的な制度を作ったため、先住民は豊かにもなれず、もちろん平等とは程遠い状態が続いた。

 COVID-19によって、幸い一人当たりの豊かさが増すような人口減はない。しかし、過去の歴史から、豊かさや平等に結びつくのは、疫病あるいはそれによる人口減というよりも、そこでどのような制度がつくられたのかという要因が大きいように思える。私たちはそのような制度をつくっていくことができるのだろうか。少なくとも、これまでの医療制度や産業構造の変革の契機にはなるだろうし、遠隔やオンラインの手段は驚くほど発展してかつ多くの人々が使用できるようになった。終息後は、何かの変化を期待したい。

 

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『暴力と不平等の人類史』(The Great Leveler)を読む(1)―戦争・革命・崩壊

2021年5月10日月曜日

『暴力と不平等の人類史』(The Great Leveler)を読む(1)―戦争・革命・崩壊

  Walter SheidelThe great levelerが幸い日本語訳されたので読んでみた。本書が素晴らしいなと思うのは、進化理論を視点にいれて、そこから農耕の開始、古代ローマや古代中国における様々な記録を網羅して、近代に至る経済的不平等をビッグ・ヒストリー的に論じている点である。内容的にも物理的にもかなり分厚く、近年の世界における経済的不平等の微増を、右傾化とか分断社会という安易な至近要因で説明するのではなく、「戦争」、「革命」、国家や制度の「崩壊」、および「疫病」という四騎士による、不平等を軽減させるメカニズムを、膨大な資料とともに解説している。

 ホモ・サピエンスは、社会的哺乳類として進化している。社会的哺乳類では、チンパンジーやニホンザルに見られるように順位制を持つものが多い。個人的には、この順位制と人類における経済的不平等との関係を知りたいが、歴史的には断絶があるようだ。というのは、人類における本格的な経済的不平等は農耕の開始によって生産に余剰が生ずるようになったからで、この余剰をどれだけ蓄えることができるのかが現代の不平等に結びついている。農耕以前の状態は、現代の狩猟採集民の生活からうかがい知れるが、意外と平等規範は強いようだ。狩猟採集民の世界は、戦闘における強さや狩猟の上手さが不平等に結びつくようにも思われるが、狩猟名人が得た大きな獲物も、人々の間で平等に分けないといけない。

 経済的不平等には厳密には生産手段と蓄財の2種類あるが、本書で用いられている指標には大きな区別はない。所得の差の大きさを表すジニ係数が計算されたり、上位何パーセントがその国のどのくらいの資産を所有しているかなどの推定値が用いられたりしている。Scheidelは、このようなデータを駆使して、平等への最も大きな要因である四騎士のそれぞれについて、どのようにして不平等が軽減されるのかを議論している。

 一般的に言えることは、安定した社会ができると、少しずつ不平等が増していくということである。経済成長があっても、利益は教育などによってそれを得る手段を獲得した人たちに流れ、その流れが固定化してくるからである。それを破壊に導くのが、「戦争」、「革命」、「崩壊」、および「疫病」である。このうち、疫病は偶然性が高いが、残りの三者は、この不平等の増大によって社会に不満が増大したり、社会の制度疲労が起きたりしたときに起きやすい。ただし、不平等を軽減するといっても、その多くの場合は、富を多く持つ人々の余剰的な部分が失われることによる平等化で、社会全体としては貧しくなることが多いようだ。少なくとも「戦争」と「崩壊」は人類にとっては悲劇なので当然である。「革命」は、その例外ではないかと思われるが、近代への民主主義への最も大きな入り口の一つであるフランス革命でさえも、やはり革命に伴う富の損失は大きく、また王や貴族が持っていた土地などの富が再分配されたようだが、その効果は極めて小さかったようだ。

 現代の私たちは、少々経済的不平等が増加しても、このような四騎士の襲来はまっぴらである。それでは四騎士以外の手段があるのだろうか。これは別の機会に書いてみたい。

2021年4月25日日曜日

剣術の稽古での脛当てのモヤモヤーあれ、いつのまになくなった?

  NHK大河ドラマ『青天を衝け』では、江戸末期の天領の農民の生活がリアリティをもって描かれていて、役者もみな上手く、見応えがあるドラマになっている。とくに、栄一の父親を演じている小林薫は、『おんな城主』の龍潭寺の和尚と同じように、厳しさを秘めた慈父を演ずるのが本当に上手いと思う。井伊直弼が桜田門外で暗殺され、安藤信正が坂下門で襲われ、栄一たちがどのように幕末の動乱に巻き込まれていくのか、今後の展開を楽しみにしている。

 それにしても、気になったまま結局解決しなかったのが脛当てである。第2回の放送だと記憶しているが、栄一たちが剣術の稽古をしているときに、確か脛当てをしていたと思う。また、脛を狙った剣の撃ちもあったと思う。私はそれで、この脛を撃つ剣は柳剛流なのではないかと推測した。実際、流祖の岡田惣右衛門奇良は武州蕨で生まれているので、栄一たちが柳剛流で稽古をしても不思議ではなかったからである。

 ところが、何を調べても栄一の剣は神道無念流となっており、ドラマのエンディングでの解説でも、栄一が学んだ剣は神道無念流であると述べられていた。神道無念流では、脛当ては着けず、脛を撃つような技もない。そして、ドラマの中でも、いつのまにか剣術の稽古から脛当てが消えている。結局脛当てのことはわからないまま、モヤモヤだけが残ってしまった。

 また、栄一の剣で、ちょっと気になったのは脇構えである。これまでのドラマの中で、立ち合いで時々見せていたが、北辰一刀流の道場破りの真田範之助と剣を交えた時にも、脇構えをとっていた。脇構えとは、右足を引き体を右斜めに向け刀を右脇に取り、剣先を後ろに下げた構え方で、面と突きががら空きになるので、現代の剣道の試合では脇構をとる剣士は全くいない。脇構えでは、剣を自分の身体で隠せるので、剣の長さを相手に悟られないようにできる。また、正面からの相手だけではなく、背後あるいは右側からの相手にも対応できるという長所がある。したがって、脇構えは完全に実戦向けであり、竹刀の長さが決められていて、背後から襲われる心配がない立ち合いでは、その有利さは完全に失われることになる。それにもかかわらず、一対一の稽古や立ち合いにおいて栄一がとる脇構えは何なのだろうか。実戦に近い幕末の剣術ではもっと用いられていたのだろうか。それとも栄一の得意技が脇構えからのものなのだろうか。またひとつモヤモヤが増えてしまった。

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2021年4月19日月曜日

ミャンマーの軍事クーデター

  ミャンマーに突然の軍事クーデターが起き、すでに3か月近く経とうとしている。当初は、すぐに鎮圧されるのかと思ったが、国軍の多くが加わったクーデターで、反対するデモの人々を殺害したりして、軍による独裁化が進みつつあるようだ。メディアなどに対しても相当の情報統制が行われているようである。

 これで思い出したのが、ジャレド・ダイアモンドの『危機と人類』に書かれた、1973年のピノチェトによるチリの軍事クーデターとその後の軍事独裁である。このクーデターの背景には、その前の大統領であるアジェンデの、市場経済からの無理な社会主義的計画経済への移行によって起きた経済の破綻がある。私は、社会主義的計画経済とまではいかなくても、文在寅がかなり左派的な思想で経済政策にも失敗しているので、韓国がチリのクーデター前夜と似ているのではないかとちょっと心配していたが、今のところ大丈夫なようである。

 ミャンマーでは、ロヒンギャなどの少数民族の問題を抱えているものの、民主化も進み、経済的にも豊かになりつつあるので、軍事クーデターは意外だった。ミャンマーの場合は、この急激な民主化によって進みつつあったシビリアンコントロールに対して軍事勢力側が大きな危機感を抱いたことによるクーデターのようだ。当初は、国民の支持も得られない「窮鼠猫を嚙む」ようなクーデターは長続きするはずがないと思っていたが、デモを弾圧したり、スーチー氏を断罪したりで、独裁的支配を強めているようである。

 それにしても残念なのは、周囲の国々が、この事態に対して指をくわえているしかないという事態である。内政不干渉という原則があるのだろうが、国連の安全保障理事会が必死に停戦を勧告しても、軍事独裁政権は聞く耳を持たないようだ。この政権は、いくら国際的に孤立しようとも、ミャンマー国内で権力を維持できればそれでよしなのだろう。これは北朝鮮政権と同じで、経済制裁くらいではなかなか倒れないようだ。旧ユーゴスラビアでのように、国連軍が入って監視下に置くようなことができればまだ進展の可能性があるのだろうが、現状では無理なのかもしれない。デモの人々への弾圧を防ぐためには、何らかのリヴァイアサンが必要なのではないかと思う次第である。このままでは、民主化を願う人々の見殺しである。

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