2019年6月6日木曜日

米中貿易戦争の背景は何なのかー某時事番組での違和感

 先日、ある時事番組を見ていて、米中貿易戦争への対処についての意見について恐ろしく違和感を覚えた。このブログでは、独裁国家としての中国の怖さについて記した記事が2つある。

中国とはどうつきあっていくべきなのか
中国の脅威と人権問題―なぜ日本のメディアは問題視しない?

 しかし、その番組では、習近平の中国に対して、関税や華為(Huawei)の排除という形で圧力をかけつつあるトランプ政権を安倍政権が支持するということが批判されていた。メディアが政権を批判できるというのは健全な民主主義かもしれない。しかし、批判の理由が、貿易摩擦によって日本も被害を受けるとか、すり寄り行為への揶揄とか、そういうことに終始していたことに違和感を覚えたのである。

 彼らは、習近平政権の中国の実情を知っているのだろうか? 知っていないはずはないが、批判すると差別的嫌中の輩と同一視されてしまうのが怖いのだろか。現実に政権を運用する立場として、隣にとてつもない独裁国があっても、それをおおっぴらに批判したり交流を遮断したりすることはできない。実際、安倍政権から表立った中国批判はあまり聞かない。もし安倍政権を批判したいならば、メディアは、その現実路線、つまり独裁政権を大っぴらに批判していないことを批判すべきなのではないだろうか。

 米国をはじめとする民主的な国々は、中国も豊かになれば民主的な国になる(それが、政治・経済の一般原則のはずである)と信じてODE支援をし、貿易を重ねてきた。ところが、習近平政権になってからは、独裁、国内の人権侵害、国際社会における秩序破壊など、目に余ることが多くなってきた。日本のメディアが健全な批判勢力であるならば、それに対する日本の現政権への弱腰を批判し、香港の雨傘運動、台湾、チベット、ウイグルなどの支援を強化すべきと主張するのが真っ当なあり方ではなかろうか。

 毎日新聞は64日の社説で中国を「異質な大国」と評したがまさにその通りだと思う。天安門事件30周年の厳戒態勢は異様だった。独裁国が、経済的にも軍事的にも力をもつと、さまざまな懸念を生む。南シナ海における拡張主義はすでに知られているが、このような武力をちらつかせた国際的秩序の破壊以外に、ITの優位性を利用した情報の独占・操作や自然環境破壊、とくに共有地の悲劇を招くようなパワーゲームを平気で推し進める可能性もある。民主国家のメディアならば、この独裁に対する中国内外の批判勢力と連帯していくべきだろう。

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