前回の記事で、ブルネイを取り上げた理由は、「文化相対主義」と「欧米の知識人に共有される罪悪感」が、実はヨーロッパにおいて大きな移民問題を引き起こしているということを雄弁に語ったダグラス・マレーによる問題の書『西洋の自死―移民・アイデンティティ・イスラム』にショックを受けたためである。
ヨーロッパは、アジアやアフリカからさまざまな搾取を行い、非人道的な扱いをしたという罪悪感から、今まで多くの移民を受け入れてきた。そして移民への反対や差別的な対応は、ヨーロッパ人が価値があると考えてきた人権観やリベラリズムに反するものとして、忌避されてきたようだ。また、文化には優劣がないとする文化相対主義もそれを援護してきた。
ところが、難民とはいえない不法移民が次々にやってきて、移民の数が度を超えてくると、ドイツをはじめとするヨーロッパの国々においてさまざまな問題を引き起こしているようだ。昨年の3月にフランスのツールに滞在したときも、街のいたるところに移民と思われる物乞いがいて、もうすでに知識人の間でも彼らにはかなりネガティヴであった。もう15年も前だが、2004年のヨーロッパでのある国際学会に参加したときも、参加者の中にトルコがEUに加盟したがっているということに不快感を示す人が多かったのに驚いた経験がある、「EUは異文化に寛容なのではないのか」と。彼らの反対の理由は、やはりトルコにおいてヨーロッパ人が想定している人権がほとんど守られていないということだった。
イスラム教あるいはイスラムの人々が怖いというわけではないのだろうが、問題視されているのは、イスラムからの移民たちが、彼らの価値観をそのままヨーロッパに持ち込んでいるという点にあるようだ。残念ながら、ブルネイでの事例と同じように、女性やLGBTの人権を守ろうという意識は低いようだ。また、原理主義者による、ヨーロッパのイスラム教研究者への身の危険は絶えず起きているようである。
マレーは罪悪感自体に対してはネガティヴなわけではない。しかし、これが、道徳的陶酔に陥ると、すでに大きな問題になっている文化摩擦等について目をつむることになり、不法移民を含む大量の移民に対してあくまで寛容さを保とうとする姿勢となって、リベラルを重んじる政治家が問題を先送りしている点を批判している。つまり、西洋のリベラルは、女性の権利やLGBTの権利を主張し続けながら、そのような権利を認めようとしない人々を何百万人も移入することに賛同し続けたというわけである。
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