2024年9月22日日曜日

国際シンポジウムの2件のキーノートからー規範についての議論とメタリーズニング

  92-3日、合理性についての国際シンポジウムを大阪公立大学杉本キャンパスで行った。このシンポジウムでは、2件のキーノートと、「合理性と非合理性」、「二重過程」、「協同」、「道徳性と合理性」および「文化的合理性」のセッションでの29件の口頭発表がすべて英語で行われた。また、Zoomを用いて世界に発信されている。

 人間は合理的なのかという問題を議論すると、さまざまな疑問が思い浮かぶ。まず、「そもそも合理性の基準とされる規範理論は合理的なのか」という問題である。この問題に言及があったのは、Jean Baratginのキーノートである。従来、条件文推論の規範理論は命題論理学であったが、命題論理学では、条件文の前件 (p) が偽である場合に条件文を真とする奇妙な取り決めがある (たとえば、「もし日本の首都が京都ならば、明日の太陽は西から昇る」のような条件文が、真となるわけである)。そこでBaratginは、De Finettiの「pが偽の場合は条件文の真偽判定外」という主張を取り入れて、確率あるいは不確実性を包括した規範理論システムの構築を試みている。なお、論理的推論以外では、規範理論を何に求めるのかについて、よりやっかいな問題が残されている。とくに、一般に「正解がない」と思われている、たとえば「少子化にどう対応すべきか」などのような複雑な不良定義問題については、主観的な「効用」という概念が導入されているが、これについての議論は本シンポジウムでは行われていない。

 合理性は、直感的システムと内省的システムを想定する二重過程理論でも、「直感的システムの非合理的あるいは非規範的出力を抑制する内省的システム」という枠組みで捉えられる。Linden Ballのキーノートでは、この点が議論された。ヒトの認知が直感的システムから始まるのが基本的デフォルトだが、では、どのような条件でこの後 (あるいはこれと同時に) 内省的システムが起動するのか。この問題に対して、2つの概念が提唱されている。1つはメタリーズニングという概念で、これは、内省的システムが直感的システムの働きをモニターし、直感的システムだけではうまく対処できないと判断されると、内省的システムに認知的リソースを配分するという制御を行っていると想定される。もう1つは、内省的システムの起動を妨げる要因としての、FOR (feeling of rightness: 正解感と訳しても良いだろう) という概念である。つまり、直感的システムからの自動的な暫定解についての判断がまず行われて、仮にその暫定解が規範的ではなくても、このFORが高いならば内省的システムが起動しないわけである。暫定解に矛盾が含まれていたりすると概してFORが低くなるが、それでは、なぜ規範解ではないにもかかわらず、FORが高くなってしまう場合があるのだろうか。たとえば、現代社会では非規範的であっても、脳が進化した何十万年単位の野生環境では適応的な解答である場合には正解感が高まる。さらに、このFORを引き起こすミクロな過程では、流暢性が重要な要因であると推定されている。つまり、何らかの課題に対して流暢に生成された解は、「流暢に導いたからには、おそらく正解だろう」という内省的システムの制御外の推論が働いて、FORが高くなると推定できる。そうすると、規範解ではないにもかかわらず、正しいと信じられて、内省的システムは起動しない。

 いずれも、思考研究領域の最前線の成果の紹介だが、むしろこれらが結論というよりは、今後どのようにこれらの議論が発展していくのかを期待できるものだった。これらの発展をどこまで見届けられるかはわからないが、退職後も、これだけは細々とでも現役を続けたいものである。

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The International Symposium on Rationality: Theories and Implicationsを開催します

2024年8月27日火曜日

The International Symposium on Rationality: Theories and Implicationsを開催します

 日時 2024924

   92 () 10:0017:15

   93 () 10:0017:15

   94 () 10:0015:45

 場所 大阪公立大学杉本キャンパス 法学部棟11F大会議室

 企画者 山 祐嗣 (大阪公立大学)・橋本博文 (大阪公立大学)

 後援 日本認知心理学会、大阪公立大学大学院文学研究科

 参加費・参加資格など

 誰でも参加可能で参加費は無料。またZoomによる遠隔参加も可能。

 Zoom登録リンク

https://omu-ac-jp.zoom.us/meeting/register/tJEvc--pqTwvHNa2065PSFNs2IwQ1vc9g8af

 主旨および目的

 The International Symposium on Rationality: Theories and Implicationsは、単発の国際シンポジウムで、企画者の山祐嗣が研究代表を務めている国際共同研究強化(B)(Religious moral reasoning in the frame of dual process approach: Cultural differences in religious moral reasoning and thinking style.)の研究費によって英国人研究者1名、フランス人研究者5名を招へいし、また日本学術振興会・外国人招へい研究者(短期)プログラムによってインド人研究者1名を招へいし、国内より22名の研究者が集まって、合理性 (rationality) について議論を行うものである。発表はすべて英語で行われ、リモートで世界に向かって研究成果が発信される。近年、合理性についての議論がさまざまな視点から行われ、認知心理学や社会心理学、哲学、工学等にまたがる学際的な領域の研究になってきている。また、学際的な理論としての発展が著しく、同時に、政治的分断やフェイクニュース・陰謀論などの非合理的な思考が世界的に問題視される中で、合理性についての議論は非常に重要になってきている。

 本シンポジウムは、最新の研究成果の発信の場として、この理論的発展と現実の問題への適用に貢献できると期待できる。また、本シンポジウムのもう一つの目的は、若手研究者に国際的発信を奨励することである。日本の若手研究者が日本語で発表しただけでは、興味深い研究であっても日本以外の研究者に声が届かずに終わってしまうということが多々ある。本シンポジウムでの若手研究者の発表は、今後の国際的な活躍のための第一歩となることが期待される。

シンポジウムの内容

 シンポジウムでは、2件のキーノートと5つのセッションが計画されている。Linden Ball教授 (University of Central Lancashire) は、”Meta-reasoning: The monitoring and control of thought” という題目でキーノートスピーチを行う。合理性は、内省が直感を制御するという二重過程理論枠組みで議論されることが多く、メタリーズニングは、内省を開始すべきか否かの判断に関わっている。また、Jean Baratgin教授 (Paris 8 University Vincennes-Saint-Denis) は、”The question of the norm of rationality in the psychological study of human reasoning: Finettian coherence as a solution”という題目でキーノートスピーチを行う。合理性の議論に、規範をどのように設定すべきかという議論があり、命題論理学が規範とされていた論理思考研究に、De Finettiの論理学の導入が試みられる。

 セッションは5つに分かれ、”Rationality & Irrationality”では、合理性そのものについての議論とフェイクニュースや陰謀論などの非合理性についての発表が予定されている。”Rationality & Morality”では、合理的思考と道徳的推論についての発表が行われる。合理性は、内省が直感を制御できるのかという二重過程理論の視点で議論されることが多いが、”Rationality & Dual-process”では、このテーマの発表が行われる。また、ヒトと他の哺乳類との最も大きな違いの一つに協同がある。”Rationality & Cooperation”では、合理的な協同をテーマとした発表が行われる。さらに、文化は人間が適応のために創り出した道具だが、この合理性が”Cultural Rationality”で議論される。

 プログラムは下記のウェブサイト

https://sites.google.com/view/21kk0042/the-international-symposium-on-rationality-theories-and-implications-2024

2024年8月15日木曜日

マイサイドバイアス―政治的二極化の説明

  キース・スタノヴィッチの最新の著作であるThe bias that divides usが東洋大学の北村英哉先生や私の前任校である神戸女学院大学で同僚だった小林知博先生らの訳で『私たちを分断するバイアス』として出版された。本書の中で扱われているテーマは、マイサイドバイアスと呼ばれるもので、現代の政治的分断を非常にうまく説明できる概念だと思う。

 スタノヴィッチは、直感的システムと知能と関係する内省的システムを想定する二重過程論者だが、彼らが常々検証してきたのは、直感的システムの産物である認知バイアスが内省的システムによって制御されており、内省的システムが機能するほど (たとえば、知能が高い人ほど) 認知的バイアスを生じさせないという知見である。ところが、そのような中で、マイサイドバイアスは例外なのである。つまり、知能が高くてもこのバイアスは生じるということだ。

 マイサイドバイアスとは、元々は確証バイアスとよばれていたバイアスの動機的側面を表現したものである。確証バイアスとは、「移民が増えると犯罪が増加する」という命題が正しいかどうかを検証するときに、移民が増えて犯罪が増加した国を探したり、移民による犯罪事例ばかりに注目したりするバイアスである。しかし、確証バイアスには、情報探索の戦略としての側面と、この命題が正しくあって欲しいことを望む動機的側面が含まれている。そのような意味で、前者は現在では正事例検証戦略とも呼ばれ、不確実な命題の真偽を検証するのに、正事例の発見は負事例の発見よりも多くの場合に (あくまで「多くの場合に」であるが) 効率的という意味で陥りやすいバイアスなのである。効率的という理由は、正事例は概して希少で、発見すれば大きなインパクトとなるからである (そもそも日本では移民は圧倒的に少なく、それだけに彼らの犯罪は目立つ)。後者がマイサイドバイアスで、移民の増大に反対している人は、「移民が増えると犯罪が増える」という命題が正しいものであって欲しいと願って、正事例に注目するというわけである。つまり、「移民に賛成」というアザーサイドに対し、「移民に反対」というマイサイドを守るために正事例に注目し、それが多くあって欲しいと願っているわけだ。

 第二次世界大戦後は、日本にしろ欧米諸国にしろ、人権の高揚が見られ、人種差別や女性差別、LGBT差別が減少してる (それでも無くなってはいないが)。それは、高等教育の普及による内省的システムの機能の向上によるものと推察できる (実際に、知能が上昇しているとするフリン効果も報告されている)。つまり、直感的システムの産物である偏見などを生み出すバイアスが、内省的システムにより制御されるようになった結果ともいえるわけだ。このような状況で政治が二極化するのはなぜなのかという問題に、マイサイドバイアスが内省的システムの制御外だという指摘は、うまい解答を与えてくれている。端的に言えば、デビッド・ヒュームがいうように、「理性は情念の下僕」なのだろう。

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ウェイソン選択課題における誤答は確証バイアスの証拠ではない

2024年8月5日月曜日

10th International Conference on Thinking (4)―直感で宗教を信ずる東洋人?

 6月のミラノの国際学会で発表した宗教的ビリーフの比較文化研究のきっかけは、宗教的ビリーフと思考スタイルの関係について、西洋人を扱った研究と日本人を扱った研究に不一致があったからである。西洋人を扱った実験では、内省的システムを好んでいる人々ほど宗教的ビリーフは弱いことが示されている。一般に、内省的システムは、認知的なバイアスを抑制することが示されており、その一環として、宗教的ビリーフや疑似科学的ビリーフも抑制されると考えられる。ところが、北星学園大学の眞嶋良全先生の示したデータ (Majima, 2015 Applied Cognitive Psychology) によれば、日本人は、直感的システムと内省的システムの両方が宗教的ビリーフを促進している。

 この違いは何だろうかという疑問から、私たちのこの研究が始まっている。日本人、英国人、フランス人を参加者として行った調査の結果、日本人のデータは眞嶋先生の結果と部分的に一致し、英国人とフランス人のデータからは、内省的システムが宗教的ビリーフを抑制するということがわかった。つまりこの不一致は文化差なのである。

 認知の文化差というと、西洋人の分析的思考・東洋人の全体的思考という区分があり、その枠組みで説明できるかもしれないが、宗教特有の何かが要因としてありそうでもある。実は私個人としては、西洋人の結果よりも、日本人の結果のほうがピンとくる。つまり、直感に頼る人のほうが宗教的ビリーフは強いというのは、当然のように思われるのである。静まり返った神社の境内で、パワーを感じたり、何かに護られた感じがしたりするのは、おそらく直感によるものではないだろうか。

 一方で、西洋人のデータは、理性でもって迷信を抑え込むという西洋人の宗教的あるいは哲学的伝統を物語っているように思える。先日、ある大学で神学を専攻されている学生から伺った情報だが、キリスト教の源流ともいえるユダヤ教の聖典のタルムードの中に神の理解のための論理性が強調されている文言があるようだ。つまり、ユダヤ教や、その影響を受けたキリスト教の中に、神は直感ではなく論理的に理解されるべきという価値観が綿々と受け継がれているようなのである。理性に合致しないなら宗教でも抑制するというわけだ。

 この違いは、宗教の発展の中で起きたちょっとした違いによるものなのか、一神教と多神教の根本的な違いなのか、あるいは西洋人の分析的認知と東洋人の全体的認知という差異が反映されているのか、今のところはよくわからないが、この研究の一番大きな成果のように思える。

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10th International Conference on Thinking (2)―宗教的ビリーフにおける東洋人の弁証法

10th International Conference on Thinking (3)―西洋人の無神論・日本人の無宗教


2024年7月7日日曜日

10th International Conference on Thinking (3)―西洋人の無神論・日本人の無宗教

  前回の投稿で、ミラノにおいて発表した私自身の、フランス人、英国人および日本人を比較した研究で、日本人の判断がより弁証法的だったことを述べたが、もう1つの大きな知見が、宗教的ビリーフの文化差である。宗教的ビリーフの文化差を見るだけならば、日英仏以外に、もっと多くの国々からデータ収集すべきだったかもしれないが、主目的が東洋人と西洋人の比較なので、宗教的ビリーフの文化差は副次的な知見である。

 これまでの多くの研究で用いられていた質問紙は、宗教的ビリーフを「信ずるか信じないか」という一元的に捉えたものや、UFOなどの超常的現象を信じやすいか否かという次元の一部とするものが多く、宗教的ビリーフの多次元性を記述したものがほとんどなかった。そこで私は、金児・渡部(2003)の、向宗教性、加護観念、応報観念という宗教の要素がうまく尺度化された質問紙から、英語版とフランス版を作成して調査に用いた。

 その結果、向宗教性と加護観念の尺度については文化差はほとんどなかったが、応報観念だけが日本人において強かった。つまり、日本人は、祟りや天国・地獄を、フランス人や英国人よりも信じやすいということである。東洋人は、概してカルマ () を信ずる傾向が強いと言われているので、この結果は、それらの知見と一致する。また、日本人は、公正世界観 (just-a-world) が強い、すなわち世界は公平にできており、悪いことをすればその報いがあると信じやすいと推定されているが、その知見とも一致する。

 しかし、それよりも驚いたのは、宗教を信じているかいないかの違いである。調査では、どんな宗教を信じているのかも質問している。各国とも、6070パーセントの人が何も信じていないと答えていて、フランス人も英国人も、信じていない人の応報観念は弱かった。しかし信じている人は、日本人と同じくらい応報観念が強かったのである (なお、フランス人と英国人を加えた理由は、カソリックのフランス人とプロテスタントの英国人の違いを見たかったのだが、その違いはほとんどなかった)。ところが日本人は、信じていない人の応報観念も強かったのである。3か国の差は、このように「信じていない人」の違いが現れた結果であった。

 私は、これを、西洋人の無神論と日本人の無宗教の違いの反映と解釈した (中村圭志氏の著作に『西洋人の無神論 日本人の無宗教』というタイトルのものがあり、違いを知るのに参考になる)。つまり、西洋人は、一神教的伝統から、神を拒否すれば応報観念も弱くなる。しかし、日本人は、宗教 (25パーセントが仏教と答えていた) を信じていない人でも、正月には初詣に行ったり、パワースポットやスピリチャルを信じていたりなど、強力に神を否定する無神論者はほとんどいないと判断できる。この背景には、仏教の多神教性が影響していると推定できる。

 日本人の無宗教性について、もう少し調べてみたいと思ったが、これは引退後の楽しみにしておこう。

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10th International Conference on Thinking (2)―宗教的ビリーフにおける東洋人の弁証法

2024年6月28日金曜日

10th International Conference on Thinking (2)―宗教的ビリーフにおける東洋人の弁証法

  ミラノのこの国際学会では、Cultural differences in religious belief, religious dialectical thinking, and the relation between thinking style and religious beliefというタイトルで私自身も個人発表を行っている。まだ論文になっているわけではないので、内容を紹介するのにちょっと躊躇もあるが、私自身、非常に興味深い知見を得られたと考えており、簡単に触れてみたい。

 私自身は、宗教についての心理学的研究を行ってきたわけではない。この研究で宗教を扱っている理由は、直感的システムと内省的システムを想定する二重過程理論における内省的システムがどの程度直感的システムを制御できるのかという問題について、直感的とされる宗教的ビリーフが材料として非常に好都合だからである。宗教的ビリーフは、もちろん必ずしも直感的なわけではなく、たとえば複雑な神学や宗教哲学などは、内省的システムを使用しないとなかなか理解できない。しかし、宗教は、その根本の、神あるいは万能者を想定するという点で本質的に直感的なのである。そして、宗教は内省的システムによる制御が難しいものの1つである。たとえば、お守りについて、内省的システムは迷信だと判断できても、粗末にするのは不安だというように、直感的システムが引き起こす情動的反応を完全に抑制することはできない。

 この研究は、日本人・フランス人・英国人を比較したものだが、この宗教的ビリーフについて比較文化を行う第一の理由は、宗教的ビリーフは弁証法的である可能性が高く、かつ東洋人は西洋人と比較して弁証法的思考を行いやすいということがこれまでの研究から主張されているからである。つまり、「お守りは迷信である」という陳述と「お守りを紛失すると不安だ」という陳述の両方に賛成すれば、その人は弁証法的だということになるが、東洋人が弁証法的だとすれば、日本人においてこの傾向が強くなると予測されるわけである。実験結果は、まさしくこの通りだった。日本人は、フランス人や英国人と比較して、弁証法的に宗教的ビリーフを迷信だと判断すると同時に、宗教的ビリーフにともなう情動的反応が生起していたのである。

 東洋人の弁証法について、さまざまな説明があるが、哲学的あるいは宗教的伝統の影響を受けているという指摘がある。たとえば、道教の陰陽思想では、陰と陽が表裏一体的に結びついているし、仏教では、それ自体が弁証法的である「空」という概念が、とくにナガルジュナの中論ではキーになっている。私も、仏教に詳しくなくても、「全ては存在する」という命題と「何も存在しない」という命題を弁証法的に受け入れているような気がする。

 仏教や道教の弁証法的思考の伝統が現代の東洋人を弁証法的思考に向かわせるのか、あるいは、東洋人に弁証法的思考を受け入れる何かがあって仏教や道教が生まれたのかはわからない。この問題に決着はつかないが、私の研究の成果は、この現代において、人々が科学を信奉すると同時に宗教を信ずるという弁証法性に何かヒントを与えてくれそうな気がする。

2024年6月22日土曜日

10th International Conference on Thinking (1)―全体的印象

  2024610-12日にミラノのビコッカ大学で10th International Conference on Thinkingが開催されたので行ってきた。この国際学会は、4年に1度、ちょうどオリンピックイヤーに開催され、世界の思考心理学のトップが集まるので、思考研究の最新のトレンドを知るためにありがたい学会である。元々は、英国のウェイソン選択課題で知られているPeter Wasonとその弟子たちが始めた学会で、私は、2000年にダラム大学で開催されたときに初めて発表した。そのあとは皆勤である、私を育ててくれた国際学会であるといえる。特に前回のパリでの大会はすべて遠隔となり、今回、8年ぶりに顔を合わせた人もいた。

 今大会の特徴は、神経科学系の発表が少なかったことである。2012年のロンドン、2016年のブラウン大学のときは、ニューロイメージングの発展に伴って、たとえばベイズ推論などの思考のミクロプロセスと脳機能部位との対応などの研究発表が多かったが、今大会では非常に少なかった。神経科学者にそっぽを向かれたのか、神経科学的還元主義では思考の本質にたどり着けないということなのか、その理由はわからない。

 個人発表、シンポジウム、キーノートも含めて、印象に残ったテーマは、フェイクニュースや陰謀論、地球温暖化および二重過程理論の深化と発展である。フェイクニュースと陰謀論、地球温暖化はこれまで思考研究の重要な領域の1つであるクリティカルシンキングのトピックとして扱われてきたが、ここへ来て、政治的分断の要因としてあるいは地球規模の危機として重視されるようになった。とくにトランプ現象に端を発するフェイクニュースと陰謀論が政治的分断に使用されている現実が、米国だけではなく、世界のいたるところで見られるようになったということで、実用的な研究として要請されている。これらのテーマは直感的システムと内省的システムを想定する二重過程理論によって主に扱われているが、つまり、フェイクニュースや陰謀論をなぜ直感的システムは信じてしまうのかという問題と、それを内省的システムがなぜ制御的ないのかという問題が議論されているわけである。

 二重過程理論の深化的発展にも興味深いものがある。二重過程理論では、かつては「人間は、こんなことを無意識で行っている」ということが議論の中心だったが、近年は、なぜ非合理的な信念を直感的システムが信じてしまいかつそれが確信を伴っているのか、内省的システムが直感的システムをどの程度制御可能なのか、さらには、内省的システムはどのようにして起動されるのかという問題が議論されるようになった。これらの問題を扱うキーとなる概念が、FOR (feeling of rightness 正解感) とメタ推理である。つまり、直感的システムによる解はそもそもFORを伴いやすい (直感的システムも脳の進化の産物である。実は概して合理的である)。そこになんらかの矛盾等をメタ推理が検出すると、内省的システムが起動しやすくなるというわけだ。

 思考研究は今後どのような方向に向かうのだろうか。近年瞠目すべきスピードで発展するChatGPTに代表されるAIとの付き合い方についての発表が散見されたが、今後10年の間にChatGPTとヒトの違いなどの研究が急増するのではないかと思う。

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What makes us think? ―あるいは何が思考を止めるのか?