キース・スタノヴィッチの最新の著作である”The bias that divides us”が東洋大学の北村英哉先生や私の前任校である神戸女学院大学で同僚だった小林知博先生らの訳で『私たちを分断するバイアス』として出版された。本書の中で扱われているテーマは、マイサイドバイアスと呼ばれるもので、現代の政治的分断を非常にうまく説明できる概念だと思う。
スタノヴィッチは、直感的システムと知能と関係する内省的システムを想定する二重過程論者だが、彼らが常々検証してきたのは、直感的システムの産物である認知バイアスが内省的システムによって制御されており、内省的システムが機能するほど (たとえば、知能が高い人ほど) 認知的バイアスを生じさせないという知見である。ところが、そのような中で、マイサイドバイアスは例外なのである。つまり、知能が高くてもこのバイアスは生じるということだ。
マイサイドバイアスとは、元々は確証バイアスとよばれていたバイアスの動機的側面を表現したものである。確証バイアスとは、「移民が増えると犯罪が増加する」という命題が正しいかどうかを検証するときに、移民が増えて犯罪が増加した国を探したり、移民による犯罪事例ばかりに注目したりするバイアスである。しかし、確証バイアスには、情報探索の戦略としての側面と、この命題が正しくあって欲しいことを望む動機的側面が含まれている。そのような意味で、前者は現在では正事例検証戦略とも呼ばれ、不確実な命題の真偽を検証するのに、正事例の発見は負事例の発見よりも多くの場合に
(あくまで「多くの場合に」であるが) 効率的という意味で陥りやすいバイアスなのである。効率的という理由は、正事例は概して希少で、発見すれば大きなインパクトとなるからである (そもそも日本では移民は圧倒的に少なく、それだけに彼らの犯罪は目立つ)。後者がマイサイドバイアスで、移民の増大に反対している人は、「移民が増えると犯罪が増える」という命題が正しいものであって欲しいと願って、正事例に注目するというわけである。つまり、「移民に賛成」というアザーサイドに対し、「移民に反対」というマイサイドを守るために正事例に注目し、それが多くあって欲しいと願っているわけだ。
第二次世界大戦後は、日本にしろ欧米諸国にしろ、人権の高揚が見られ、人種差別や女性差別、LGBT差別が減少してる (それでも無くなってはいないが)。それは、高等教育の普及による内省的システムの機能の向上によるものと推察できる (実際に、知能が上昇しているとするフリン効果も報告されている)。つまり、直感的システムの産物である偏見などを生み出すバイアスが、内省的システムにより制御されるようになった結果ともいえるわけだ。このような状況で政治が二極化するのはなぜなのかという問題に、マイサイドバイアスが内省的システムの制御外だという指摘は、うまい解答を与えてくれている。端的に言えば、デビッド・ヒュームがいうように、「理性は情念の下僕」なのだろう。
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