2023年1月26日木曜日

禁断の書?―『知能低下の人類史』を読む

  「知能低下」というと、現代文明に批判的な左派系の評論家のお得意分野である。つまり、資本主義による物質文明には限界があると同時に、便利な道具などによって人々の知能は低下し、物質的豊かさは人間のモラルを荒廃させるという論法である。物質文明が発展する以前の狩猟採集民たちの世界は平和で道徳的だったという、現代では否定されている「高貴な野蛮人」説が姿形を変えて何度も蘇るかのようである。

 しかし、これらの主張は、現代に近づくにつれて犯罪や暴力・差別などが大きく減少している事実や、過去50年ほどの間の知能テストの素得点の上昇というフリン効果によって否定されている。にもかかわらず、相変わらずの主張本が出版されたのかなと思ったら、このエドワード・ダットンたちによる『知能低下の人類史』は、科学的証拠に基づく学術書で、かなり恐ろしいことが科学的に根拠のある推定として述べられている。それは、自然選択による遺伝的知能の低下である。

 知能は、ある程度遺伝的な制約を受けるので、知能が高い人が生存においても生殖においても有利な環境が持続すれば、人類の知能は上昇する。実際、狩猟採集社会でもそういう傾向はあり、農業革命以来、知能が高い人は裕福になりやすく、子孫も多く残すことができるようになり、人類の知能は上昇したようだ。しかし、そのピークは産業革命までであり、それ以降、2つの理由で知能は低下したという。1つは、福祉的な思想・政策によって、従来なら子どもを持てなかった人々が子孫を残すようになったこと、もう1つは、ここ50年ほどの傾向だが、知能が高いと思われる高度な教育を受けた人々のほうが子孫を残していないという事実である。この後者の傾向は、高度な教育を受けて専門職に従事している女性において特に強い。

 彼らの主張には、フリン効果を検証したジェームズ・フリンもかなり同意しているようだ。というのは、知能にも遺伝子の制約を受ける成分と受けにくい成分があることが言われているが、フリン効果は教育の影響に敏感で遺伝子の影響を受けにくい成分(科学的思考など)で起きているのであり、遺伝子と直結している単純反応時間等は低下しているからである。また、アンチフリン効果として、フィンランドなどの北欧先進国では、ここ20年ほどの間に、わずかではあるが知能検査得点の平均的低下が見られているようで、その理由が、専門性が高い職業に従事している女性が子どもを産まないためであると推定されている。。

 科学的な事実ならそれを受け入れるしかないが、このような事実が、優生学的思想をもつ福祉的な政策に反対する人に燃料を与えるのではないかと心配になる。現代の少子化問題を鑑みると容易に解決はできるとは思わないが、向かうとすれば、高度専門職に就いた女性がもっと子育てをしやすい環境をつくるという方向であろう。また、確かに、遺伝的影響を受けやすい成分については知能の低下が見られるのではないかとは思うが、これは単純反応時間のように、練習で改善できないどちらかといえばシンプルな知能的側面である。現代社会に必要なのは、遺伝子の影響を受けにくい科学的思考などであり、これは高等教育をより充実させることによって向上していくのではないかと、私は個人的に考えている。

2023年1月12日木曜日

後知恵がなければ確かに「どうする?」になる―『どうする家康』雑感

  2022年は、三谷作品の『鎌倉殿の13人』を楽しませてもらったが、2023年の『どうする家康』も面白そうである。18日の初回がいきなり「桶狭間」で驚いたが、どうやら駿府時代の幼少期はほとんどなさそうだ。家康に影響を与えたとされる今川義元側近の禅僧である太原雪斎が登場していないことからも推定できる。

 実際の歴史では、家康の人生は、桶狭間の後、大きく飛躍している。その理由から、これまでのドラマでは、義元が打ち取られたという情報を得た家康が、のちに三河譜代と呼ばれる家臣たちと、力強く今川からの自立を画策するという様子が描かれていたと思う。2020年の『麒麟がくる』でも、風間俊介演ずる家康は、今川の傘下はもう嫌だということで、今川の残党と決別するようにして岡崎入城を果たしている。

 しかし、このような解釈は、義元の死後の大きな飛躍から江戸開府に至る歴史を知る人間の後知恵によるものである可能性は高い。なお、後知恵バイアスとは、知っている結果に合致するように事実を認識した入り解釈したりするバイアスで、「それはわかっていた」という錯覚をもたらす。

 では実際はどうだったのだろうか。史実の詳細な部分はわからないが、当時のこの状況を考慮すれば、情報も不確実な中、どうすべきなのか全く先が見えないというのが実情だろう。家康(当時は元康)が経験したことは、圧倒的に有利な大軍の最前線の砦のような城にいたところ、突如軍の中枢が壊滅して前線でとり残されるという、普通に考えれば極めて進退窮まる状況である。常識的な判断は、とにかく駿河に逃げ帰ることだろうが、この場合、義元を打ち取った織田の勢いがどの程度のものなのか見極めなければならない。日和見をしていた近隣の地侍たちがいっせいに織田方になびいていれば、遠江にたどり着くのも容易ではないだろう。さらに、駿河に戻ったところで、はたして今川家や今川家臣たちがどのような状態になっているのか、皆目見当がつかなかったことだろう。

 では、史実のように、岡崎に入場することがその時点で最適な判断と思われただろうか。これも非常に大きなリスクがある。今川が後継者の氏真を中心に相変わらず強大ならば、織田への報復戦があるだろうし、その場合は、岡崎の家康は真っ先に標的になる。織田を頼ることができるかどうかは不確実で、また義元を倒したとはいえ、織田はまだまだ尾張の小勢力である。たとえ信長が家康を今川から引き離そうと庇護したとしても、そのような力があるかどうかはわからない。さらに、駿府に残してきた妻の瀬名 (従来の解釈のように、たとえば『おんな城主直虎』で菜々緒が演じていたように、相当な悪女なら、さほどの懸念材料ではなかったかもしれないが) や長男のこともある。いくら岡崎の今川方の城代が逃げたとしても、そこに入城するまでには相当な迷いがあって当然だろう。この岡崎入城が、桶狭間直後の最適な戦略であると思えるのは、その後の歴史を知っている人間の典型的な後知恵である。

 関連記事

法廷での後知恵バイアスについての論文を新聞記事で紹介していただきました (1)

2022年12月3日土曜日

ワールドカップに浮かれていて良いのか?―カタールの人権問題

  あまり期待されていなかった森保ジャパンが、コスタリカに敗れたものの、ドイツとスペインに奇跡的に勝ち、決勝トーナメント進出を決めた。日本では大きな盛り上がりを見せているし、サッカー好きの私としては、毎日のように楽しんできた。

 ところが、英国のサッカー好きの友人と研究のことでメールを交わしたときに、ワールドカップの話題を振ったところ、彼は、今回は全く試合を見ていないとのことだった。その理由は、カタールの人権問題である。日本でも、すでに新聞記事などで、外国人労働者に対する人権侵害や性的少数者への差別が問題になっているが、残念ながらあまり大きく取り上げられていない。また、ウィキペディアでも英語版はあるが、日本語版はまだない。

 人権に問題を抱えている国や、独裁などの政治的問題がある国が、国威掲揚のための国際大会を開くことはよくある。スポーツの巨大イベントを開催することで、社会が抱える問題を洗い流して大衆の関心を遠ざけるという意味で、近年、これはスポーツウォッシングと呼ばれている。今回のカタール大会以外に、2018年のロシアワールドカップや2022年の北京の冬季オリンピックが該当する。

 カタールワールドカップについて、残念ながら、日本で真剣に取り上げられている印象はない。NHKのクローズアップ現代あたりで報道すれば、大きなインパクトがあると思う。しかし、サッカー協会会長の田嶋幸三氏の「今はとりあげるべきではない」という発言にみられるように、情けないくらい及び腰である。盛り上がりに水を差したくない気持ちはわからないではないが、この発言が日本の関係者やメディアの総意なのだろう。

 一番大きな問題は、日本のリベラルを自称する人たちが、他国の人権問題への不干渉を貫いている点である。とくに中国の人権問題について、最近になってようやく非難する発言が出るようになったが、これまでは、異常と思えるくらい言及が少なかった。第二次世界大戦以降、中国などを批判するのは嫌韓・嫌中の右翼であり、自分たちは彼らとは違うという態度を示さなければいけないという枠にとらわれているからであろう。先日、あるTV番組で、北朝鮮のミサイル問題が取り上げられていたとき、谷口真由美氏が日本で朝鮮・韓国の人々へのヘイトが起きていると発言して呆れ返られていたが、私も「オイオイ、そっちへ行くのか」と情けなかった。ミサイル問題と関連させるならば、北朝鮮における極めて大きな人権問題に言及すべきだろう。

  私自身は、人権問題に声を上げると同時に、試合は試合で楽しめばよいのではとは思うが、この態度ではスポーツウォッシングされていることになるのだろうか。とりあえず、日本には、次戦のクロアチアにはぜひ勝ってほしい。

2022年11月22日火曜日

医療におけるスティグマの患者心理について―富山県中新川郡医師会学術講演

  1117日に、富山県中新川郡の医師会主催の講演を遠隔で行った。きっかけは、本医師会会長の寺畑医師からの依頼で、糖尿病患者のスティグマについて心理学の知見が欲しいということだった。私自身は糖尿病患者のスティグマについては直接扱っていないので、期待に沿えるのかどうか不安だったが、熟慮と直感を想定する二重過程理論の枠組みにあてはまると確信したので、お引き受けした。

 スティグマとは、刻印、汚名という意味で、差別や偏見に対応している。医療においては、糖尿病や精神疾患の患者などが、個人の持つ特徴に対して、周囲から否定的な意味づけをされ、不当な扱いことをうけるという問題が注目されているようだ。とくに、糖尿病患者において、医師からは自己管理ができない人間という偏見を受け、患者自身も自分はそういう人間なんだと自暴自棄的に生活習慣を改めないという問題が起きているようだ。

 私は、講演においてスティグマを偏見と差別の延長として、二重過程理論のアプローチで論じた。つまり、偏見や差別は、その多くが直感的システムの所産なので、熟慮的システムが直感的システムをどのように制御できるかという枠組みで捉えることができる。直感的システムによる、ちょっとした勘違いなどは熟慮的システムで修正が可能である。しかし、直感的システムの出力は強い感情を伴いやすく、修正されずに熟慮システムの出力と共存状態になることも多い。たとえば、熟慮システムはお守りが迷信であると判断できるが、それを踏みつけるような行為を直感的システムは許さない。恐怖を伴うタブーだからである。それと同じように、差別・偏見には、嫌悪などの感情が伴われるので、修正は難しい。

 それでも、歴史的には、差別・偏見は確実に小さくなっている。とくに、第二次世界大戦後の人権意識の高揚は世界的にみられ、日本においても性差別やLGBTへの偏見はまだまだ残っているとはいえ、ずいぶんと小さくなった。この変化に気がつかない高齢者が、「昭和のオヤジ」と揶揄される事例がこの減少を物語っている。

 この変化は、熟慮的システムの性能が良くなった (たとえば、ここ50年の知能の上昇を示すフリン効果など) ことに加えて、良き物語の普及が大きいと思われる。良き物語は、人々に被差別者への共感を呼び起こして、人々に大きな感情を引き起こす。人種差別のストップについては、ストウ夫人の「アンクルトムの小屋」が非常に大きな影響力をもった。共感は、人々に行動を引き起こさせる力をもつ。したがって、現在行われている、熟慮的システムへの介入である糖尿病患者へのアドボカシー活動に加えて、良き物語を見つけていくことが重要というのが私の提案である。うつ病については、細川貂々の「ツレがうつになりまして」があるが、このような物語が普及されていくのが望ましい。

 しかし、物語の理解には熟慮的システムが重要だとしても、共感を生み出すシステムは直感的である限り、直感的システムの非柔軟性を引き継ぐことになる。したがって、共感対象に思い入れが過ぎると、モンスターペイシェントを生み出すなどのバランスを欠いたものになりやすい。何よりも、物語を利用して人々の行動変容を引き起こすことは、マインドコントロールであるという自覚が必要だろう。オウム真理教やナチスも、「理想」への物語で人々を扇動した。物語は、諸刃の剣なのである。

2022年11月1日火曜日

公明新聞書評―『人はどこまで合理的か』

  1031日付の公明新聞の「読書」欄に、スティーヴン・ピンカーの『人はどこまで合理的か』の書評を執筆した。こちらで掲載の許可もいただいたので、下記に全文を公開したい。

 スティーヴン・ピンカーの著作は、『言語を生み出す本能』などの認知心理学的・進化心理学的視点からの言語獲得についてのものから始まったが、その後は『暴力の人類史』や『21世紀の啓蒙』など、人類史的視野に立脚するものが目立っていた。そのような経緯を経て、再度人間の認識に焦点を移して書かれたのが『人はどこまで合理的か』である。本書の内容は、前半は思考心理学の教科書のようで、ピンカーの著作にしては地味な印象かもしれない。しかし、社会との関連の合理性についての最新の知見が数多く加えられていて、合理性が人間の頭の中の活動だけで語られていた一昔前の出版物と比較すると隔世の感がある。

 現在の認知心理学における人間の合理性についての議論では、高容量の新皮質に支えられた内省的システムと進化的に古いとされる直感的システムが想定される。この枠組みで、①内省的システムは直感的システムの非合理性をどの程度制御できるのか、②直感的システムといえども進化的には合理的なのではないか、③論理学などの規範システムは合理的といえるのか、などのリサーチクエスチョンが投げかけられる。ただし、ピンカーをはじめとする進化心理学者は、内省的システムと直感的システムの区別をあまり好まないので、本書では、①の視点ではあまり論じられてはいない。その代わり、②について、さまざまな認知バイアスが進化的にはある程度は合理的であることを指摘し、また従来、合理性基準の枠外であった感情や宗教などの合理性を進化的合理性の視点から十二分に論じている。③について、たとえば「共有地の悲劇」などの、社会とのかかわりの中から目指すべき合理性の規範が模索されている。

 合理性研究における近年の研究材料に、陰謀論や動機づけられた推論、マイサイドバイアスなどがある。これまでは内省的システムはバイアスの制御に使用されているといわれていたが、自分の欲求や選好のために使用されるということが近年指摘されている。たとえば、内省的システムを使う人ほど二酸化炭素が地球温暖化の原因であると推論するが、トランプ支持者は内省的システムをその否定のために使用することが示されていて、動機づけられた推論の代表とされる。これらを、本書では推論能力が議論に勝つために進化した結果の産物とし、関連する「わら人形論法」や「ホワットアバウト論法」、「連座の誤謬」等も紹介している。「連座の誤謬」の代表例は、「○○はナチスが行ったことだから (ナチスと連座しているから)」と主張して○○を非難するものである。オリンピックの聖火を「ナチスが始めた」として非難する論法があったことを思い起こさせる。

 そしてピンカーは、合理性等を支配階級の特権を正当化する社会的構築物として正当に評価しないポストモダニスト等への批判として、合理性は、人類の物質的進歩や道徳的進歩に貢献するとして本書を締めくくっている。

関連記事

21世紀の啓蒙』(Enlightenment now)を読む(1)―科学批判を批判する


2022年10月20日木曜日

論文発表数の減少(4)―論文数が減少するとなぜ都合が悪いのか (人文・社会科学編)?

  以前の投稿で、コンピュータ科学をはじめとする自然科学系の研究論文の日本における減少の問題点を指摘したが、では人文・社会科学領域ではどうだろうか。まず指摘しなければいけないのは、人文・社会科学領域では、残念ながら日本発で国際学術誌に掲載される論文が極めて少ないという事実である。この理由は、日本におけるこれらの研究が「遅れて」いるからなのか、政治や経済・社会・文学など、日本特有の現状や要因があって国際学術誌で発表する意義が大きくないからなのか、さらには人文・社会科学領域で英語の論文を書こうとすると、自然科学系と比較して、慣れないレトリック等の困難さがはるかに大きいからなのか、私にはよくわからない。いずれにしろ、一昨年、日本学術会議の任命拒否問題が起きたとき、説明なしの任命拒否はひどいとは思ったが、一方で拒否された学者たちの国際的発信力のなさ (要するに、国際学術誌での論文がほとんどない) に唖然とした記憶がある。

 人文・社会科学における国際学術誌での論文減少の最も大きな問題は、文化的グローバル化の中で文化多様性の理解が求められる現代社会において、日本からの発信が少なければ日本の文化的価値を海外で認識してもらうという機会が少なくなるという点だろう。日本の政治や経済はなぜこうなのか、日本人の文化的価値観はなぜこうなのか。これを知ってもらうことは、日本への誤解や偏見の解消につながるだけではなく、一方で文化的に相対化する中で、日本人型システムを修正していく方向にも結びつく。今や、日本の多くの作家の小説が海外で翻訳され、またアニメなども人気が高い。これらは日本文化を伝えることに大きな役割を果たしていると思われるが、学術の世界においてそれが必要だ。

 もう一つの問題は、国際学術誌における日本の論文数の減少によって、学術誌上での文化的価値戦や歴史戦で、日本あるいは民主主義的価値を共有する国々が、不利な立場に追いやられるという可能性である。この点で思い起こさせられるのは、マーク・ラムザイヤによる従軍慰安婦についての論文である。これについて私は素人なので、彼が正しいのか、批判側が正しいのは判断できないが、少なくとも査読者は論文として掲載するに値すると判断したわけであり、批判するとすれば、学術論文形式での批判が妥当だろうと思う。国際学術誌上では、このような論争は至るところで起きているが、発信がないほうが敗北となる。

 論文数が少ないということは、国際誌での日本人査読者の割合も減少し、編集委員に名前を連ねる日本人が相対的に少なくなるということである。そうなると、一部の独裁国家がアカデミアの世界で世論をリードするということが起きうる。「西欧の民主主義は資本主義経済と結びつき、人類を滅ぼす」という主張で、やんわりと西欧民主主義を攻撃するものから、「ウクライナは法的にロシアの領土である」というようなプーチンが泣いて喜びそうな論文などが、独裁国家出身者による査読を経ると国際誌に掲載されやすくなる。また、私自身、ここ数年かなりの論文を査読しているが、その中でウイグル人によるテロリズムに対する恐怖を必要以上にあおるようなもの (そして、やんわりと収容所での教育を肯定している) に遭遇したことがある。これは、出版社と連絡を取ったうえで倫理的問題が感じられる理由から棄却してもらったが、もし中国共産党関係者が査読をすれば、発表されていたかもしれない。

 スティーヴン・ピンカーは、21世紀を戦争が消滅した新しい平和の時代と呼んだが、ここへ来て、武力を背景にして民主的な国々に圧力をかけようとする独裁国が台頭している。そのような中で、国際誌で発表される人文社会系の学術論文は、世界の世論をリードするものである。日本人には、それへのさらなる貢献が必要だろう。

 

関連記事

論文発表数の減少(3)―論文数が減少するとなぜ都合が悪いのか (自然科学編)?

2022年10月1日土曜日

パリでのカンファレンスーInternational Conference: Human and Artificial Rationalities

  この4月より、海外における研究活動が緩和され、日本学術振興会国際共同研究加速基金(B)によって、9月にフランスのトゥール大学とパリに滞在した。トゥール大学では、大学のフラットに滞在し、ラボミーティングで研究計画を検討し、その後、パリのIPC (Institut de Philosophie Comparée) において、Human and Artificial Rationalitiesという国際カンファレンス参加した。実は、参加したというよりは、パリ第8大学のJean Baratginさんにパリを訪問する旨を伝えたら、ちょうど人工知能の合理性についてのカンファレンスを企画中で、それに日本チームも便乗して、「国際」カンファレンスになったという次第である。プログラムにもあるように、各45分の持ち時間があり、発表に時間的余裕があったのは非常に良かったと思う。なお、19-20日が私たちが参加したHuman Rationalityで、私たちが帰国した後の26-27日がArtificial Rationalityで、前半のプラグラムのみを下記にコピーした。

 一番手の発表は、Baratginさんのド・フィネッティの三値論理についてのものである。条件文「もしpならば、q」について、命題論理学 (実質含意) では、pが偽のばあいは、条件文を真としている。ところがそうすると、「もし太陽が西から昇れば、ネコは植物だ」のような条件文を真とするという日常世界との乖離が生ずる。ド・フィネッティの三値論理では、「もしpならば」の条件文は、pが真であることを想定しており、偽の場合をvoid (私は「空」と訳している) としている。彼の発表は、これを条件文確率や条件付確率への適用を試みたものである。

 私の発表は、Contemporary social fragmentation and political polarization: A dual-process approachというタイトルで、現代の社会的分断と政治的二極化についてのものである。現代は、これと同時に、人権意識の高揚の時代である。では、人権意識の高揚を招いている心理学的要因が、なぜ包摂ではなく分断や二極化を生じさせるのかというパラドクスを、直感的システムと内省的システムを仮定する二重過程理論によって解決しようというもので、ここではそのモデルを提唱した。これは、11月に上智大学で行われる日本理論心理学会でも、日本語で発表する予定である。なお、案の定というか、フロアからこのモデルをどうやって検証するのかという質問があったが、それは、現時点では秘密にしたい。

 

19-20 September Rationalité humaine

Monday 13h45 - Conference opening - Jean BARATGIN

Session moderator(s) : Baptiste JACQUET & Jean BARATGIN

Monday 14h

de Finetti's trivalent system and partitioning sentences

Jean BARATGIN, Professor, Université Paris 8, CHArt Laboratory, France

Monday 14h45

The rapport effect in conditionals explained by Discourse Coherence Theory

Maxime BOURLIER, Student master degree, Université Paris 8, CHArt Laboratory, France

Monday 15h30 - Coffee break -

Session moderator(s) : Jean BARATGIN

Monday 15h45

Are the paradoxes of ordinary language paradoxical?

Antoine GAZEAU, Lecturer, IPC & Doctoral Student, EPHE, CHArt Laboratory, France

Monday 16h30

Study of mental load measured by pupillary diameter during a causal diagnostic probability estimation task

Jean-Louis STILGENBAUER, Researcher, University Paris 8, CHArt Laboratory, France

Monday 17h15

A study on the sufficient conditional and the necessary conditional with Chinese and French participants

Jing SHAO, Associate professor, Université d'Alsace CHArt Laboratory, France

 

Tuesday 8h45 - Second day opening - Hiroshi YAMA

Session moderator(s) : Hiroshi YAMA

Tuesday 9h

Cooperator subjectively transforms the one-shot prisoners dilemma game into the assurance game: Empirical evidence from an eye-tracking study

Kaede MAEEDA, Associate professor, Rikkyo University, Japan

Tuesday 9h45

Examination of the relationship between religiously motivated reasoning and cognitive sophistication.

Hiroko NAKAMURA, Research fellow (RPD), Tokyo Denki University, Japan Society for the Promotion of Science, Japan

Tuesday 10h30 - Coffee break -

Session moderator(s) : Hiroshi YAMA & Baptiste JACQUET

Tuesday 10h45

Non-fixed multiple perspectives in the Japanese culture and psyche

Megumi YAMA, Professor, Kyoto University of Advanced Science, Japan

Tuesday 11h30

Contemporary social fragmentation and political polarization: A dual-process approach

Hiroshi YAMA, Professor, Osaka Metropolitan University, Japan

Tuesday 12h15 - Lunch break -

Session moderator(s) : Frank JAMET

Tuesday 14h

The limits of rationality according to a contemporary physicist: the case of Arthur S. Eddington (1882-1944)

Florian LAGUENS, Associate professor, IPC, France

Tuesday 14h45

Psychological mechanisms of motive inference for helping behavior: The psychology of the third party interpreted as selfish

Keisuke YAMAMOTO, Lecturer, Kyoto Bunkyo University, Japan

Tuesday 15h30 - Coffee break -

Session moderator(s) : Frank JAMET

Tuesday 15h45

Psychological mechanisms behind moral judgment in the trolley problem: Utilitarian thinking, deontological thinking, or unwillingness to assume responsibility?

Hirofumi HASHIMOTO, Associate professor, Osaka Metropolitan University, Japan

Tuesday 16h30

Role-playing effect on ToM development with typically developing children and children with mild intellectual disability

Véronique PARDIEU, Associate professor, Université d'Orléans PAVeA (Tours) and ÉRCAÉ (Orléans) Laboratories, France

Tuesday 17h15

Topicality of decision making in an organizational context

Bernard GUÉRY, Associate professor, IPC, France                                                                       

 

関連記事

キックオフシンポジウムーDual Process, Moral Reasoning, and/or Religious Belief

パリでのワークショップ ー Cross-cultural studies & rationality