2018年3月20日火曜日

パリでのワークショップ ー Cross-cultural studies & rationality

 英国で10日過ごしてパリに着いた。今回の主要目的地は英国のWolverhamptonとフランスのToursなので、パリはちょっと寄り道しただけなのだが、パリ第8大学のJean Barataginさんが20日の午後にワークショップを開催してくださるとのことで、予定変更して2泊することにした。ワークショップは、下記にあるようにCross-cultural studies & rationalityというタイトルで、私は最後に30分いただいて話すことになった。


このP-A-R-I-Sは、Probability, Assessment, Reasoning, and Inferences Studiesの頭文字をとったもので、私は、この正式メンバーではないが、2011年にBarataginさんと私たちの日本チームの日仏共同研究がスタートしたときからこのグループにはいろいろとお世話になっている。

 私が話す内容は、ここ数年間追い続けている、エドワード・ホールが提唱した高コンテクスト・低コンテクストの区分と、推論についてのものである。


この話はすでに、心理学ワールドという日本心理学会から出版されている解説雑誌で発表しているが、コンテクストとは、コミュニケーション時に暗黙裡に人々の間で共有される背景知識で、高コンテクスト文化では、低コンテクスト文化と比較してそれがより利用される。いいかえれば、高コンテクスト文化では、阿吽の呼吸で感情を伝えることが可能になるわけである。そして、概して東洋が高コンテクスト文化とされている。これは、私の著書である「日本人は論理的に考えることが本当に苦手なのか」でも紹介されている。

 阿吽の呼吸のコミュニケーションは、親しい間柄での理想的なコミュニケーションのように言われる。しかし、私はこれに異を唱えたいのである。現代は、さまざまなレベルでグローバル化が進んでいる。産業化によって引き起こされた都市化は、いろんな文化背景をもった人たちが雑多に集まることを意味し、また国際化によって異文化同士の交流が頻繁になった。私も明日、異文化の人たちを前に話すわけである。このような状況で、異文化共生社会をつくりあげていくためには、低コンテクスト文化が形成されていることを意識し、コミュニケーションにおいて、相手が何を知っていて何を知らないかに敏感にならなければならない。そして、常識と思われるものを明示的にしたコミュニケーションが必要になってくるのである。

 明日は、このメッセージと共に、昨年の秋に日本社会心理学会で発表したデータを披露するつもりである。それは、論法における省略をどの程度受け入れるかというもので、「高コンテクスト文化では、コンテクストによって省略されたものの復元が容易なので、省略を受け入れやすい」という仮説に基づいて研究が行われている。代表的な例が、日本語の主語の省略である。私の心理学実験では、知られている前提の省略を受け入れるかどうかという質問で、日韓台英仏のデータを集めたが、必ずしも結果はクリアではない。とりあえず今回の訪欧で次の実験のデータが集まりつつあるので、結果はそれ次第である。あとはボタモチが降ってくるのを待つだけだ。

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