2022年は、三谷作品の『鎌倉殿の13人』を楽しませてもらったが、2023年の『どうする家康』も面白そうである。1月8日の初回がいきなり「桶狭間」で驚いたが、どうやら駿府時代の幼少期はほとんどなさそうだ。家康に影響を与えたとされる今川義元側近の禅僧である太原雪斎が登場していないことからも推定できる。
実際の歴史では、家康の人生は、桶狭間の後、大きく飛躍している。その理由から、これまでのドラマでは、義元が打ち取られたという情報を得た家康が、のちに三河譜代と呼ばれる家臣たちと、力強く今川からの自立を画策するという様子が描かれていたと思う。2020年の『麒麟がくる』でも、風間俊介演ずる家康は、今川の傘下はもう嫌だということで、今川の残党と決別するようにして岡崎入城を果たしている。
しかし、このような解釈は、義元の死後の大きな飛躍から江戸開府に至る歴史を知る人間の後知恵によるものである可能性は高い。なお、後知恵バイアスとは、知っている結果に合致するように事実を認識した入り解釈したりするバイアスで、「それはわかっていた」という錯覚をもたらす。
では実際はどうだったのだろうか。史実の詳細な部分はわからないが、当時のこの状況を考慮すれば、情報も不確実な中、どうすべきなのか全く先が見えないというのが実情だろう。家康(当時は元康)が経験したことは、圧倒的に有利な大軍の最前線の砦のような城にいたところ、突如軍の中枢が壊滅して前線でとり残されるという、普通に考えれば極めて進退窮まる状況である。常識的な判断は、とにかく駿河に逃げ帰ることだろうが、この場合、義元を打ち取った織田の勢いがどの程度のものなのか見極めなければならない。日和見をしていた近隣の地侍たちがいっせいに織田方になびいていれば、遠江にたどり着くのも容易ではないだろう。さらに、駿河に戻ったところで、はたして今川家や今川家臣たちがどのような状態になっているのか、皆目見当がつかなかったことだろう。
では、史実のように、岡崎に入場することがその時点で最適な判断と思われただろうか。これも非常に大きなリスクがある。今川が後継者の氏真を中心に相変わらず強大ならば、織田への報復戦があるだろうし、その場合は、岡崎の家康は真っ先に標的になる。織田を頼ることができるかどうかは不確実で、また義元を倒したとはいえ、織田はまだまだ尾張の小勢力である。たとえ信長が家康を今川から引き離そうと庇護したとしても、そのような力があるかどうかはわからない。さらに、駿府に残してきた妻の瀬名
(従来の解釈のように、たとえば『おんな城主直虎』で菜々緒が演じていたように、相当な悪女なら、さほどの懸念材料ではなかったかもしれないが) や長男のこともある。いくら岡崎の今川方の城代が逃げたとしても、そこに入城するまでには相当な迷いがあって当然だろう。この岡崎入城が、桶狭間直後の最適な戦略であると思えるのは、その後の歴史を知っている人間の典型的な後知恵である。
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