2018年9月21日金曜日

西南戦争にみる太平洋戦争の原型


 HNK大河ドラマの「西郷どん」を見ていて、大学院生の頃に読んだ司馬遼太郎の「翔ぶが如く」がどうしても読み返したくなった。「翔ぶが如く」では明治維新以降の歴史が物語られているので、幕末は回想として登場するくらい(ここが、HNK大河ドラマの「翔ぶが如く」と異なる点である)なのだが、西南戦争に至る筋道が、歴史的資料等に基づいて実に丹念に描かれている。読み返してみて、今更ながら気がついたのだが、司馬は、西南戦争と太平洋戦争の類似をかなり指摘しているように思える。

 司馬は、昭和モノは歴史小説に描いていないが、幕末モノから「坂の上の雲」に至る中で、どこから昭和期の政治が生まれ、日中戦争から太平洋戦争に突っ走ってしまったのかという疑問が常に背景にある。その中で彼が見出したキーワードが、「統帥権」である。司馬は統帥権が、立法、司法、行政の三権の上に立つ超越的な権力であったということに着目し、軍事が暴走できるような制度的しくみであったと考えている。そして、統帥権を巧みに利用した昭和期の軍部の参謀本部の暴走を、誰も止めることができなかった。

 しかし、西南戦争は統帥権とは無関係である。西南戦争時の薩摩側の強烈な怨念は、大久保が中心となった政府に向けられている。もちろん大久保の政策にも問題はあったかもしれない。しかし、薩摩軍に参加した不平士族の多くにしろ、さらにそれを煽った海老原穆を中心とする評論新聞にしろ、では大久保の政府のどこが問題なのかという点はあいまいなまま、「嫌い」という感情で動いている。この関係は、第一次世界大戦後の日本の政府を、弱腰という点で批判した新聞・在野と軍部の関係に似ている。

 また、戊辰戦争では、西郷たちは敵である幕府側に対して綿密な分析を行っている。しかし、西南戦争時には新政府の軍隊に対してはほとんど行っていない。百姓兵の集まりである新政府の軍隊は薩摩武士に勝てるはずがないという夜郎自大的な思い込みがあったようだ。戊辰戦争と西南戦争の関係は、ちょうど日露戦争と太平洋戦争の関係に相当する。日露戦争では、日本は、強大なロシア側に対する情報収集を徹底的に行い、戦争をどのように終わらすかという見通しをもって開戦した。しかし、それまでの成功体験から、太平洋戦争では、戦う相手の分析もせず、全く見通しを持てないままに開戦して破滅を迎えるに至った。

 司馬は、太平洋戦争や西南戦争の原型を日本人の性質のどこかに見出したかったようだ。しかし、私自身は、日本人のというよりは、人類に普遍的に見られる集団現象だろうと思う。仮想的への反感という感情的な渦が集団で共有されることによって増幅され、理性的な判断が、「勇気がない」とか「卑怯」という用語で道徳的に貶められて暴走に至るのではないだろうか。

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