本記事までかなり間延びしてしまったが、私の最終講義の最終パートは、「理性はバイアスを制御できるのか」、言い換えれば、「内省的システムは直感的システムを監視して、もし非合理的直感があれば、それを修正したり上書きしたりできるのか」という問題を扱っている。
この問題は、拙著『「生きにくさ」はどこからくるのか―進化が生んだ二種類の精神システムとグローバル化』をはじめとするいくつかの著作の中で取り上げてきた。内省的システムは、進化によって増大した認知的容量によって支えられているが、概していえることは、この性能が高ければ直感的システムの産物であるバイアスなどを抑制することができる (この性能の指標として知能指数がよく用いられる。知能指数は、狭い範囲の能力という神話が流布しているが、現時点で認知的容量の汎用性を示すもっとも適切な指標である)。
私は、現在、この問題、すなわち内省的システムによる直感的システムの制御についての検証を、「歴史的自然実験」という方法で行うことを提唱している。歴史的自然実験とは、それぞれ異なる条件で発展してきた異なる地域・社会の比較で、地理、気候、資源へのアクセスなどが独立変数となり、社会的発展、政治的組織化、経済システムなどが従属変数となる。心理学に適用するということは、社会の大きな変化に対してどのような精神の変容があったのかを推定することを意味している。
内省的システムによる制御として、私は、17世紀後半からのヨーロッパの啓蒙の時代と第二次世界大戦以降の、攻撃性 (暴力) の減少とヒューマニティあるいは人権意識の高揚という現象をターゲットにした。この変化を、内省的システムによる直感的システムの抑制という切り口で説明すると、確かに第二次世界大戦後の人権意識の高揚や暴力・犯罪の減少に、フリン効果と呼ばれる知能の向上が関係しているかもしれない。しかしそれ以上に影響力があったのは、小説の普及とそれによる人々の共感の増大であろう。小説は、人々の心の中にナラティヴを形成して、実は内省的システムではなく直感的システムの感情に働きかけ、大きな行動力を生み出す。ストウ夫人の『アンクル・トムの小屋』が奴隷解放を促進したことはその一例である。共感が弱者に振り向けられて、それが内省的システムによって制御されると、人権意識の高まりという現象に結びつくわけである。実際、第二次世界大戦後は、人種差別、障がい者差別、性差別、LGBTに対する差別などが、完全に消失はしないが、小さくなっている。この攻撃性や差別の減少は、偏見などのバイアスの内省的システムによる抑制の結果である。
そうすると、最後の問題は、現代の人権意識の高揚と政治的二極化というパラドクスをどのように説明するのかである。そもそも政治的二極化は、昔から存在したものが、SNSの普及によって顕在化しただけではないかとも考えられるが、仮にそうだとしてもなぜ人権意識の高まりによって小さくなっていないのかが謎である。この解答として、2つの要因を挙げることができる。第一は、共感の狭さである。確かに弱者への共感は人権意識を高めやすく、また、内省的システムによる制御を受ければ差別の軽減に向かわせてくれるかもしれない。しかし、ナラティヴの源は直感でありまた感情を伴いやすい。これが、望ましくない方向に向かうと、政治的対立をより大きくする。ロシアのウクライナ侵攻が始まった時、戦死者に対する強い共感が、容易に降伏しないゼレンスキーへの憎悪に結びついたような事例があてはまる。第二は、マイサイドバイアスと呼べるもので、これはマイサイドに有利になるような思考のバイアスである。総じて知能指数が高いほど認知的バイアスを抑制でき、論理的思考力や蓄積された知識がバイアスの抑制に使用される。実際、差別の減少は、多くの正しくない知識が修正され続けてきた結果である。ところが、マイサイドバイアスだけは抑制されない。つまり、知識や思考がマイサイドに有利になるように使用されるわけである。トランプ支持者が、温暖化は二酸化炭素の排出が原因ではないということの証明のために氷河期の周期などについての知見に自分の思考力を注ぎ込んだりする傾向は、知能が高くても抑制されないわけである。かくして、このパラドクスは解決できるが、では、どうすれば二極化を防ぐことができるのか。それは今後の宿題である。
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