2026年5月10日日曜日

縄文ミステリーサミット雑感―縄文人は、かなり特殊な狩猟採集民?

  昨日(58)NHKBSで「縄文ミステリーサミット」の再放送があったので視聴した。縄文時代について、近年の研究成果が、私たちのような素人にもわかりやすく議論されていて非常に見応えがあった。特に、動物土偶について、イノシシ、クマなど、集団間では多様だが、一集団で発見されているのは一種類の動物で、トーテムのような存在であるという知見は、初耳だったので興味深かった。一般に、トーテムとなった動物は食用にせず、食物タブーと結びつきやすいともいわれているが、縄文人の場合はどうだったのだろうかと気になったが、それは番組では取り扱われてなかった。

 心理学の立場から気になったのは、集団内の階層性と集団間・集団内闘争である。概して、階層性が生じたのは農業革命以降と考えられている (それでも、階層が登場するのは季節性のものと考えられていたり、逆に農耕以前のスンギール遺跡での発見のように、特定の個人にかなりの多くの人々の労力が貢納されたりという推察もある)。狩猟採集民とされる縄文人の間では、状況によってリーダーが登場したかもしれないが、世襲もなく階層性は現れていないという結論だった。ただ、三内丸山遺跡でのクリの栽培などを考慮すると、縄文人は本当に農業革命以前の社会といえるのかどうかが気になった (稲作だけが農耕ではない)。また、クリは比較的貯蔵が可能だが、それによって貧富の格差が生じていなかったのかなどをもう少し議論してほしかったなと思う (ヨーロッパでは、農耕以降、貧富の差や階層社会は、保存しやすい小麦栽培地域では生じやすく、保存しにくいジャガイモ栽培地域では生じにくいという話を聞いたことがある)

 もう一つの問題は、縄文社会における戦争や殺人である。日本では、大規模な集団間の戦闘・戦争が起きたのは、稲作の弥生時代以降で、縄文時代にはほとんどなかったようだ。この事実について、狩猟採集民なので「移動容易性 (番組では、「フッ軽」という表現が用いられていたが)」が高かったという説明が与えられていたが、この説明は納得しにくかった。まず、農業革命以前は、確かに戦争は大規模ではないが、戦闘や暴力で命を落とす人々の割合は、決して低かったわけではない。狩猟採集民の部族間、親族間の闘争等による死亡率は10%から15%と推定されている。ところが、縄文人骨の考古学的研究からは、この割合は1%に満たない (それでも現代人と比較すると高いので、決して治安が良いとは言えないだろう) と推定される。つまり、縄文人は、狩猟採集民族としてかなり特殊だということがいえるわけである。ということは、縄文人の争いの少なさの理由を説明するのに、狩猟採集民全体の特徴である「移動容易性」で説明することにかなり無理がある。縄文人の場合は、人口密度が低かったので、世界の他地域の狩猟採集民よりも移動がより容易だったのかもしれないが、それならば、縄文人特有の戦闘・戦争の少なさは、低人口密度を要因とすべきだろう。そうすると、次に生じてくるのは、なぜ日本列島において人口密度が低かったのだろうかという疑問である。縄文人は食が豊かだったとする言説もあるが、それならば人口が増えてもおかしくはない。まさか、嬰児・胎児殺しの伝統があったのだろうか (そう思ったら、あの目が大きな土偶は、ひょっとしたら嬰児・胎児への鎮魂じゃないかという妄想も湧いてきた)

 番組としては非常に興味深いが、時間の不足からか、世界の狩猟採集民との比較という視点が少なかったのが非常に残念だった。縄文人は、かなり特殊な狩猟採集民だと思うが、それが、日本列島という地勢的・生態的な要因によるものなのか、あるいは偶然に形成された文化の影響なのか、興味は尽きない。

1 件のコメント:

  1. あの番組、途中から見ました。狩猟民族との違いは、攻撃性と性欲ではないかと考えます。性欲も攻撃性も低い遺伝傾向など考えられますでしょうか?

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