占いと迷信とを同じようなものとして扱うのは随分と乱暴な話かもしれないが、2回目は、これらがどのような背景から登場したのかというお話をした。どちらも、文化のビッグ・バンに起源があるという推測を基にしている。文化のビッグ・バンとは、ホモ・サピエンスに3~5万年前に起きた革新的な変化で、それまでとは比較もできないようなハイテクの石器や、釣り針や縫い針などの骨角器が作られるようになり、ラスコーやアルタミラの洞窟壁画などの芸術、部族ごとのファッション、宗教などが生まれた。そしてこれらを可能にしたのが、スティーヴン・ミズンが『心の先史時代』において推定している精神の変化で、、彼はこれを流動的精神の獲得と呼んでいる。流動的精神は、直感的で「ファスト」な処理システムと熟慮的な「スロー」な処理システムを区分する二重過程理論では、後者のシステムに相当する。流動的精神と呼ばれる理由は、直感同士はお互いに人間の精神の中で孤立しているのだが、その直感同士がこれによって流動的に結びつけられることが可能になったと推定されているからである。なお、この変化を、ユヴァル・ノア・ハラリは『サピエンス全史』の中で、「認知革命」と呼んでいる。
このときに人類がもつ、何らかの現象に説明を求める性向、いいかえれば「なぜ」という問いを発する習慣が生まれたのではないかと推定できる。これはサイエンスマインドの誕生である。そして、それと同時に、その説明のための架空の装置として、全能の「神」や私たちを守ってくれる「祖霊」が信じられるようになったと考えられる。とくに、夢で亡くなった人に会うという経験は、祖霊の存在を確信させてくれる。しかし、全能である神や自分を守ってくれる祖霊を信ずるというのは、やはり現代では迷信に分類せざるを得ないのではないだろうか。
文化のビッグ・バンがどのように起きたのかは、下の図で因果的に説明ができる。とくに、神や祖霊の声に耳を傾けたいという人間の欲求は、流動的精神による「死の理解」と、人口増による「内集団バイアス」との相乗効果によるものだろう。われらのことはわれらの神に伺おうというわけだ。そして、そのお伺いの方法として、シャーマンの宣託に頼ったり、亀甲占いが使用されたりしたのだろう。それと同時に、「災害は神の怒り」などの迷信が生まれたというわけである。さすがに、コロナウイルスは神の怒りと考える人は少ないが、それでも、神社などにおいて疫病退散などのお祓いがあるのは、一概に迷信とは呼べない何らかの意味があるのだろう。
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