このブログでは、これまで私は疑似科学に対してかなり批判的な論評を行っているので、占いは、私が最も嫌っているものの一つではないかと思われている方もいらっしゃるかもしれない。しかし、一方で、私は進化や適応論的なモノの見方が好きで、人間の営みには何らかの合理性があるとするパングロスのような楽天的な視点ももっている。つまり、人間の営みの一つで、かつ人類に文化普遍的に見られる「占い」が、なぜ人々に好まれているのかという一面を見ることも大切なのである。
第1回は、あまり占いとは関係がない。心理学と占いを話すうえでの前置きとして、科学的な心理学とはどうあるべきかについて、おおよその実験心理学の主張に、個人的な私見を加えてお話しさせていただいた動画である。科学の基本は、「なんらかの現象や法則を事実として認定し、それを説明する」という点に尽きる。では、心理学では何が説明すべき現象や法則になるのかというと、それは、その本質が主観である「精神」ではなく、客観的に観察可能な「行動」ということになる。私たちは、この「行動」を説明するために「精神」を仮定しているのだが、そうすると、「精神」は、「行動」を説明するための構成概念に過ぎないということになる。物理学は、物(モノ)の動きなどを説明するのだが、心理学は、心(ココロ)の働きを説明するのではなく、行動を説明するために、行動を引き起こしていると考えられているココロを仮定しているわけである。
このアプローチでは捉えることができないのが、現代科学の最大の難問といわれる、主観的な「意識」なのである。意識の本質は主観にあり、これを可能にしているのが複雑な神経系であると推定できる。意識は柔軟な思考を可能にし、そのために複雑な神経系が支える大きな処理容量が必要である。しかし、では神経系が複雑になると、なぜ、私たちがもっているような意識が生ずるのかという問題には誰も答えていない。もちろんこれまで、「志向性」や「クオリア」などの概念が提唱されてはいるが、この回答に満足している心理学者はいないだろう。科学の最大の難問なのである。
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