息が詰まるような新型コロナウイルス禍の中で、悪性リンパ腫で入院・闘病をされていたTVアナウンサーの笠井信輔氏の退院は、明るいニュースである。こういうニュースは、同じような病気で闘病する患者の大きな励みになる。私が半年間入院していた2001年には、1998年の脳腫瘍から復活したプロ野球の投手であった盛田幸妃がオールスターで登板している。これは当時の私にとって、非常に大きな励みになった。残念ながら、彼は2015年に再発で亡くなられたが、闘病中の私の恩人の一人だと思っている。一方で、元経済企画庁長官であった高原須美子氏がちょうど2001年の8月に悪性リンパ腫で亡くなられている。実は、このニュースを見た私の家族が、私がこれを知ったらショックを受けるだろうと、できるだけ知ることがないようにしていてくれていたのだが、私は朝のニュースで知ってしまった。ショックを受けたというよりは、ちょっとだけ覚悟を決めたという表現のほうが適切かもしれない。
悪性リンパ腫にもいろいろな種類があるが、笠井氏の型はほぼ私と同じである。非ホジキンびまん性巨細胞型B細胞リンパ腫で、中高悪性度という分類になる。異なる点が2つあるが、1つは笠井氏の悪性度がちょっと低いこと
(当時、私が医師から受けた説明によれば、悪性リンパ腫は、悪性度が高いほうの予後が良いとのことだった。抗がん剤は、細胞分裂が活発な部分を攻撃するので、分裂が活発な高悪性度のほうが効きやすいとのことである。ちなみに、髪の毛が抜ける理由は、抗がん剤が細胞分裂の活発な毛根を攻撃するからであるらしい)、もう1つは、私の場合、非常に珍しい骨の中 (大腿骨骨頭部にちょっとリンパ液が溜まっているところがあるそうだ) が原発だったということである。生存率6割~7割というのは私とほぼ同じで、笠井氏には、退院後は免疫力を高めるような生活を送って活躍していただければと思う。笠井氏が元気になれば、同じ病気で戦っている患者さんたちの大きな励みになるはずである。
私は、自分自身の退院後は再発の恐怖との戦いになるのかなと思っていたが、意外とそれはなかった。シャバの空気を吸いながら、いろいろな活動を再開できたことの喜びのほうが大きく、仮に再発したとしても、この自由を再び与えてもらえたことに感謝したいと思っていた。退院後、私の場合は股関節を人工骨に置換する手術をしたので、しばらくは自宅リハビリだったが、毎朝起きた時に、「病院じゃない!」と思って、とてもうれしかったのを覚えている。再発のチェックの定期的な検査を受けていて、これまで2度ほど再発の覚悟をきめたこともあるが (一度は、再検査までの間に、入院後のための授業の手当てなどを何人かの方にお願いしていた)、幸い再発ではなかった。このようにして、定年後のプランまで思案することができるとは考えていなかったので、医学の発展には非常に感謝している。私と同世代の医師たちが大学で教育を受けたときは、悪性リンパ腫は不治に近いようだったらしいが、その後の15年の医学の進歩は、それを大きく変えたようだ。私はこのブログで、一貫してグローバル化による発展を支持しているが、それはこのような科学の進歩を鈍化させてほしくないからである。
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