2020年4月27日月曜日

死刑はなぜ廃止されない? ―サウジアラビアのむち打ち刑廃止からの素人的雑感

 425日のニュースで、サウジアラビアの最高裁判所がむち打ち刑の撤廃を発表し、国王および皇太子が進めてきた「人権の進歩」の新たな成果だと称賛したということが報じられた。第二次世界大戦が終わってから、人権意識が世界的に高まる中で、この判断はとてもうれしく思う。身体的な刑罰は、報復感情を満足させるかもしれないが、「報復によってスカッとする社会」ではいけないのだというメッセージになっていると思う。理想とする社会では、半沢直樹は不要とまでは言わないが、一歩退いてもらえればと思う。

 それにつけても考えさせられるのは、日本における死刑制度である。人権先進国であるはずのアメリカにおいてもまだかなりの州でこの制度が残されている。もちろん死刑囚は、少なくとも殺人以上の罪を犯しているし、命をもって償うという考え方にも一理ある。しかし、死刑の恐怖や苦痛はむち打ちの比ではなく、私は人間がここまで人間を裁くことができるのかという疑問は常に持っている。さらに死刑には、冤罪であった場合には取り返しがつかない。

 現在の日本では、死刑と無期懲役の間にはかなり大きな開きがあると思う。そこで私の意見は、死刑に代えて、終身刑を新しく設けることである。ところが、意外なことに、人権について非常に見識があると私が思っているジャーナリストの江川紹子氏は、終身刑に反対で、死刑制度存続派のようである。精力的な取材を行った彼女は、希望がない終身刑のほうが死刑よりも精神的に残酷であると感じているようだ。私は、自分が死刑囚になったことを想像したとき、それが終身刑に変更になったと知らされれば、大喜びなのではないかと思うのだが。

 また、2009年の江川氏の記事では、終身刑のさまざまな問題が指摘されている。終身刑については、死刑の代わりに取り入れている国々からもっと学ぶことができると思うのだが、私を含めて多くの人々には、むしろ終身刑がパラダイスを提供することになることの危惧が大きいかもしれない。死刑囚は拘置所に収容されており、扱いは未決囚と同じで、矯正のための労働等はない。終身刑も社会復帰のための矯正原則が適用されないので、もし死刑囚と同じような処遇で三食付きなら受刑者に非常にありがたいことになる。何らかの苦役は必要なような気がする。また、病気になったときに最高に近い医療が受けられるとすれば、それはもう一つの大きな問題である。とくに、莫大な金額を要する治療だったりすれば、多くの人はそれを理不尽と感ずるだろう。終身刑を制度化するときには、受刑者が受けることができる治療の上限を決めることは重要だろう。認知症等になったときにも、どのような処遇にすべきか制度として明確にしておく必要があるだろう。私は、現時点で明確な考えがあるわけではないが。

 ここでちょっと思考実験をしてみて欲しい。あなたは死刑判決を受け、拘置所にいるとする。これまでの慣習から、そろそろ執行があってもおかしくなく、毎日執行に怯えている。ところが、あるとき末期のガンで余命1か月と診断された。あなたは、この診断でより絶望を感じるだろうか、それとも「これで恐怖の首吊りにならなくて済む」とほっとするだろうか。私は、緩和医療を受けることができるなら、断然後者である。

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