最初の例がフィンランドである。第二次世界大戦において、フィンランドはなんとドイツ、日本、イタリアに次ぐ枢軸国とされている教科書もあったが、実情は、スターリンによる一方的な侵略とそれに対する小国の抵抗である。抵抗の際に、ナチスの力を借りようとしたことが枢軸国という不名誉なカテゴリに入れられた理由であろう。1939年11月から1940年3月の冬戦争と1941年6月から1944年9月の継続戦争があるが、どちらにおいてもソビエト連邦軍はかなり手痛い反撃を喰らっている。冬のフィンランドの森を知っていたフィンランド兵のスキー部隊が、ソビエト連邦軍の戦車隊を翻弄したようだ。ベトナム戦争における北ベトナムのゲリラ戦を彷彿させる戦い方である。
フィンランドがスターリンに屈しなかった要因として、ダイアモンドは愛国心あるいはナショナルアイデンティティを挙げている。フィンランドのスキー兵のソビエト戦車への襲撃は、日本の太平洋戦争末期の突撃を連想させ、民族国家存続のために命を捨てる覚悟があることを尊いとしていた信念には違和感を抱く。ただし、フィンランド人は、現在も先進国の中で国のために戦うことを厭わない国民である。一般に、先進国は個人選択重視という価値観があり、この価値観が高い国の人々ほど戦争で命を危険にさらすことを望まないという法則がある。ところが統計的分析によれば、フィンランドは、この回帰曲線から大きくズレて、国のために戦う方向にプロットされている。これは、日本、ドイツ、イタリアが回帰曲線から逆方向にズレていることと興味深い対比になる。
戦後は、「フィンランド化」という悪評高い方向に舵をとる。「フィンランド化」は、1979年のニューヨークタイムズによれば、「全体主義的な超大国の勢力と無慈悲な政治に恐れをなした近隣の弱小国が、主権国家としての自由を譲り渡す」と酷評されている。しかし、フィンランドの二人の大統領名で呼ばれるパーシキヴィ=ケッコネン路線は、フィンランドがソビエト連邦と長い国境で接する弱小国であり、西側から支援が期待できないという認識から、徹底的にスターリンやフルシチョフの思考を分析し、フィンランドが安全な国であるということを彼らに理解させるという方針をとった。そして元はフィンランド第二の都市であるカレリア地方のヴィボルグ
(旧ヴィープリ) がソビエトに割譲されても返還を要求しなかった。
フィンランドの事例から日本が何を学べばよいのかは難しい。フィンランドに比較すれば、日本人がプーチンをどう理解するかという努力ははるかに小さいかもしれない。また、日本が、ロシアが何もしない限り日米安保条約によって脅かすことはないということを信じさせる努力も足りないかもしれない。そして、弱小国であるという認識から、戦後は教育と産業に力を注いだフィンランドを見習えと叫ぶことは容易かもしれない。ただ、現在の軍事超大国である中国の隣国である日本が、中国の独裁を容認して習近平の機嫌を取ることに終始するのは国のモラルとしていかがなものかとも、一方で思う次第である。