この3月、大学の助成金を受けることができ、英国とフランスに計3週間滞在することになった。金曜日に日本を発ち、夜遅くにWolverhamptonというミッドランド地方の田舎町にたどり着くことができた。おそらく日本人にはほとんど知られておらず、また日本人らしき人を見かけることもほとんどない街である。人口の4分の1がシーク教徒を中心としたインド系である(したがって、インド料理はうまい)。サッカーにかなり詳しい人なら、この街のサッカーチームであるWolverhampton
Wanderersが現在チャンピオンシップ(イングランドの2部リーグ)の首位を走っており、来シーズンはプレミアリーグに昇格する可能性が高いことに注目しているかもしれない。
Wolverhamptonは4年ぶりで、前回の訪問は、2014年の5月に、お世話になったManktelow先生の退職記念である、Reasoning, Cognition and
Life: A Conference in Honour of Professor Ken Manktelowがあり、それに参加するためであった。WolverhamptonにはManktelow先生はもういらしゃらないが、彼の弟子や後輩にあたる研究者との共同研究が二件あり、そのための滞在である。
英国には2008年度に1年間のサバティカルで滞在したが、イギリス人には、変わり者が多いという印象は強い。イギリス人が変わり者であるという評判は、ジョークにも現われている。たとえば、もし船の難破によって男性2名、女性1名が無人島に漂着したらどうなるだろうか。もし彼らがイタリア人なら2名の男性が決闘して勝ったほうが女性を妻にする。フランス人ならばそういう血生臭いことにはならない。1名の男性が夫になり、もう1名は愛人になるからである。で、もしイギリス人だったならば、何も問題は起きないのである。彼ら3名は、紹介されない限り決して誰とも話さないからである。
日本人がシャイだとよく言われる。ただし、それはアメリカ人やフランス人、イタリア人と比較した上でのことで、イギリス人も負けず劣らずシャイではなかろうか。対人恐怖は日本人に多いとされるが、イギリス人の中にも対人恐怖ではないかと思われる人が散見される。ただ日本と違うなと思うことは、そのような対人恐怖でおそろしく引っ込み思案の人でも、学界等ではけっこう受け入れられているという点である。学界は、概してほかの業界に比べて変人に寛容ではあるが、その寛容さの度合いが、この英国では日本よりももう一つ強い。
先日のニュースで、日本人のオジサンが世界で一番孤独であるということが報道されたが、当初は、私にとって意外であった。なぜならば、英国では、昼間、気難しそうな顔でぽつんと一人で公園のベンチに腰かけているイギリス人のオジサンやオバサンをしょっちゅう見るからである。彼らがほんとうに孤独なのだということは、よく聞かされていた。では、にもかかわらず日本人のオジサンが最も孤独という結果は何なのだろうか。同じようにシャイで気難しくても、ひょっとしたらそれを受容する環境が英国では日本よりもましなのかもしれない。日本の文化はよそ者に冷たいとよく言われるが(社会心理学の用語を使えば、「外集団成員に対して拒絶的」ということになる)、退職して仕事中心だった環境から地域社会に参入しようとするとき、よそ者、あるいは地域社会のルールを知らない変人として扱われると、拒絶感を味わって、孤独になるのかもしれない。