実は、この質問は日本に対して非常に肯定的なものである。伝統的な文化は守るべきだ、しかし同時にハイテクの恩恵も受けたい、それをどうやって両立させるかがジレンマなのだが、日本は、それを非常にうまくやっていると思われているらしい。しかし、これには私もちょいと反論したい。フランスだって、中世からのキリスト教文化を守り、教会で祈り、宗教活動を続けているではないかと思うのだが、彼らによれば、やはり良き伝統は損なわれているらしい。良き伝統かどうかはわからないが、日本もかなり古い伝統が廃れているので、彼らの質問は意外なのだが、隣の芝生は青く見えるのかもしれない。
ただ、もう一歩踏み込んでみると、好意的なのかもしれないが、彼らの質問の中に暗黙裡に、キリスト教の伝統からならハイテクを生む近代の合理主義は生まれるが、アジアの文化的伝統からはハイテクは生まれないはずだという想定があるとすれば、それは正さなければならない。羅針盤、火薬、紙、印刷は中国で発明されたが、たしかに、それらの発明は自然科学を生み出すのにはつながらず、結局、産業革命を先に成し遂げた西洋のヘゲモニーを許すことになってしまっている。しかし、科学は比較的普遍的な思考であり、合理主義の土壌があれば、比較的容易に根を下ろすものだと思う。そして、江戸期の日本に、識字率の高さや活発な商業活動で、すでにその土壌があったのではないかと思うのだが、それを説明するのはなかなか難しい。
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