このたび、Journal of Intelligenceというオンラインジャーナルの特集号のゲストエディタに招待された。特集号のテーマは、“Analogical Reasoning and Relational Thinking: Cognitive Foundations of Intelligence and Rationalities”である。類推 (analogical reasoning) は、私はこれまで扱ったことはないが、関係的思考 (relational thinking) は私のもう35年前の博士論文のテーマである。私の近年の興味は、内省と直感を想定する二重過程理論をベースとした内省による直感の制御で、上記の研究からは長い間離れているので、私自身にゲストエディタが務まるのか不安ではあるが、これらが認知的基盤として知能や合理性を支えているという視点には、非常に興味がある。
類推と関係的思考が知能の認知的基盤であるという理由は、これらは、人間がパターンや規則を見出し、具体的な経験を一般化し、知識を新しい状況に適用し、抽象化を行うことを可能にするからである。また、これらの認知プロセスは、創造的思考、言語の関係構造の習得、そして信頼、互恵、同盟関係の構築といった社会的知能にとっても不可欠である。実際、知能テストにおいてしばしば使用されている「レーヴン漸進的マトリックス」のような類推的推論課題は、一般的知能 (もし存在すとすれば) を測定するのに最も適していると主張されることもある。
規則やパターンの検出は、膨大な情報を並列的に処理する必要があり、これらの認知的活動は、内省的というよりは、直感的システムではないと不可能である。そして、そのミクロレベルでの処理は、pゆえにqといった演繹的な推論ではなく、似たようなものを結びつける連想によって行われているはずである。さらにその場合、何をもって「似ている」のかという判断は、生得的傾向と経験的蓄積によって瞬時に直感によって行われる。
そうすると、確かに知能の基盤としての、連想あるいはそれを可能にする直感的システムという位置づけができるとは思うが、それでは、一方で、知能の本質は巨大な認知的容量に支えられた内省的システムであるとする立場と矛盾しないのだろうか。連想によって生ずる推論にはあまり適切ではないものもあるが、それを抑制する働きを内省的システム (実行機能) が担当しており、その部分に知能の本質を求めれば、「矛盾しない」という暫定的な結論を得ることができる。たとえば、コウモリはネズミよりも鳥と似ているという連想が生じても、科学的知識に基づく内省があれば、それを抑制することができるわけだ。
しかし、あまりにも抑制が強いと突飛な発想、いいかえれば創造性までも抑制してしまうことになる。創造性は、連想の多様性に支えられ、この多様性の中から適切なものが選択されて社会的に評価されるものになる。このように考えると、内省的システムをベースとする「知能」は、創造性を妨害することもあるかもしれないし、不適切な連想だけを抑制あるいは上書きして、よりよい創造性をもたらすことになるのかもしれない。
いずれにしろ、私自身は個人的にここ何年間かは内省的システムベースで知能や合理性を考えてきたので、連想ベースの類推や関係的思考についてのこの特集号の企画には、興奮を覚えている。刊行されるのはまだまだ先のことだが、興味深い論文を集めることができることを祈っている。
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