2025年2月2日日曜日

石破首相の「楽しい国日本」雑感―ウィーンでの思い出

  石破茂首相が施政方針演説において、一人一人が主導する「楽しい日本」を目指すと述べた。この「楽しい国」というフレーズを聞いたときに、真っ先に思い出したのがオーストリアである。私は、1992年の国際学会のあと、しばらくオーストリアを旅行したのだが、ウィーンとザルツブルグは最高に「楽しい街」だと感じた。とくにウィーンでは、フロイト博物館の近くに宿泊して、シェーンブルンの野外オペラ (モーツアルトの「ドン・ジョバンニ」だった) を観て、市立公園でウィンナワルツを聴き、シュテファン大聖堂近辺でストリートミュージシャンの演奏を聴き、世紀末の諸建築物を見て、美術史美術館で北方ルネッサンスやクリムト等の絵画を堪能した。

 また、レストランで夕食を済ませ、1時間ほどで出ようとしたら、店員に「この店で気に入らなかったことがあったら教えて欲しい」と言われた。その時はキョトンとしてしまったのだが、周りを見渡すと、1時間くらいで席を立つような客はほとんどいない。ゆっくりと食事をし、食事を終えた後でも楽しそうに延々とおしゃべりをしている。ウィーンの人たちは、本当に生活あるいは人生を楽しんでいるという印象だった。当時、経済大国と言われていても、バブルの狂奔を体験した日本人には羨ましい限りであった。私は、日本も経済大国にならなくて良いからこのような「楽しい国」にならないだろうかと願った (ただし、1992年時点ですでにオーストリアは日本よりも一人当たりGDPはやや高く、現在は日本のはるか上である)。しかし、オーストリアがもっているこれだけの文化コンテンツには日本にはなく、歌舞伎や能はあっても一般にはなかなか普及せず、博物館や美術館も貧相な日本にはこれは難しいと感じた次第である。

 日本のその後の経済発展については足踏み状態が続いているが、文化コンテンツについては確実に上質になったと思う。オペラコンサートは増え、ミュージカルや歌舞伎が手軽になり、博物館・美術館は随分と充実したものになった。海外からの観光客でオーバーツーリズム気味だが、この方向性は間違っていないと思う。もし「楽しい国」が実現するとすれば、これらのコンテンツへのアクセスが誰もが容易になったときだろうと思う。

 しかし、この30年で時代は変わった。東洋と西洋において軍事力で周辺を侵略・圧迫する独裁国が国力をもち、周辺諸国も「強い国」にならざるをえないという状況が生まれた。さらに、西洋には「人権」意識が希薄な移民が押し寄せ、リベラルな国においても国のアイデンティティを求めるナショナリストが増えた。その結果、オーストリアでは、昨年旧ナチス幹部が創始した極右政党が第1党となった。世界はどうなっていくのだろうか。私も、日本は「強い国」よりも「楽しい国」になって欲しいと思っているが、テクノロジーだけは独裁国よりも凌駕し続け、「安心な国」をベースにして人生を楽しめたらと願っている。

 

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『西洋の自死―移民・アイデンティティ・イスラム (The strange death of Europe: Immigration, identity, Islam)』―かなりショッキングな内容の著作である

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