ロシアによるウクライナ侵攻は、世界的な穀物の価格上昇と世界規模での食料不足の不安をもたらした。この状況に、岸田首相は「農政の転換を進めていく」と宣言している。そして、政府は来年の通常国会に「食料・農業・農村基本法」の改正案の提出を予定しており、食料安全保障の体制強化をしようと試みているようだ。私自身は、国際的相互依存は戦争の抑止力になるので、食糧自給はあまり気にする必要はないと思っていたが、独裁国家はこの相互依存を脅迫の道具に使用することが現実にあり得るとのことで、この体制強化は歓迎すべきだろう。
しかし日本の農業自体は、後継者不足による「農業従事者の先細り」という大きな問題を抱えている。それはそうだろう。日本は兼業農家が大きな割合を占めるが、都会に出て職を見つけた人は、狭い農地での農業を継ぎたいとはなかなか思わないし、また、専業農家にしても、諸外国と比して農地は決して広大とはいえず、どうしても集約的で生産性が低い農業になってしまう。そうした状況で、成功した農業として紹介されるのは、ブランド化などの高級路線である。たとえば、1個5000円のメロンとか、1粒1000円のイチゴとか、まあ、成功に越したことはないかもしれない。しかし、この路線で食糧自給という難問が解決できるだろうか。まず無理である。「小麦を食べられなければメロンを食べたらいい」で済む問題ではない。
日本の農業の決定的な問題は、どの農家も小規模であるという点である。この遠因は、第二次世界大戦後の農地改革にある。改革以前は、少数の地主と大多数の小作というのが実情で、それが農村の貧困の原因だった。それで、GHQの指揮の下、日本政府によって行われた農地の所有制度の改革が行われ、大地主が解体されられて、小作農は自作農になることができたというわけである。当時はそれで農村が豊かになったのかもしれないが、結果的に、小規模農家ばかりが多くなり、現代の農村の衰退を招いているというわけだ。現代は、農業以外の産業による雇用機会が多くなり、いくら自作農でも、生産性が低い小規模農家を継ぎたいという人は少なくなってしまった。
この問題を解決できる唯一の方法は、農業の大規模化だろう。これを実感したのは、フランスで生まれて初めて玉ねぎ収穫機を見たときである
(この玉ねぎ収穫機は、日本でも北海道や淡路島で使用されているらしいが)。フランスが農業大国であることは良く知られているが、ずっと遠くの向こうの丘までの玉ねぎ畑を玉ねぎ収穫機で収穫しているのを実際に自分の目で見ると、日本の農業がいかに小規模かというのを実感できる。日本の大都市近郊農家が、畑で10畝くらいの玉ねぎを育てているのでは、とても太刀打ちできない。
大規模化のために、現在、兼業農家、専業農家で後継者がいない、あるいは相続したくないという農地を、大資本が買い取ってもっと大規模に農業を行うというのはどうだろうか。大規模化と機械化による生産性の高まりで、被雇用者は、かつての貧しい農民とはほど遠いイメージになる。また、国の助成金に頼ることなく、安価な農作物を大量に生産することができる。現実的に、この資本になるうるのは「農業協同組合」ではないかと思うが、新しい起業家であってもかまわない。ただし、実際にはさまざまな困難が予想されるだろう。相続したくないといいながら、先祖代々の農地は売りたくないとか、そういう農家は決して少なくないはずだ。
私が、小学校高学年、中学生のころ、夏休みの終わりころに稲刈りが始まり、それを手伝わされた。稲はかぶれやすく、長袖長ズボンでの暑さの中の作業は辛かった。社会の授業などで米国などの機械化された大規模農業などの話を聞いて、羨ましいなと思った経験に基づく私論である。
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