日本学術会議の新会員候補のうち、6人の任命を菅首相が拒否したことが波紋を呼んでいる。これが学問の自由を奪うとする主張にはまだ完全に賛同できないが、首相が会員選出に介入したということは政治による学問・研究の自治への干渉として大きな禍根を残すことになるし、こういう前例は作るべきではない。
確かに、学術会議にも問題はあろう。2017年の「軍事的安全保障研究に関する声明」では、軍事に直接かかわる研究への反対だけではなく、軍事に利用される可能性がある研究にまで監視が及びそうな雰囲気があり、傘下の学協会に降りてきたアンケートには、学協会がこの問題にどう取り組んでいるかということがいろいろと質問されていた。日本学術会議が、学者が軍事研究に協力した日中・太平洋戦争時の反省から始まっていることは理解できる。しかし、学術会議のもう1つの大きな柱である「国際性」という視点からはかけ離れた声明という印象だった。
多くの研究者にとって軍事に直接関わる研究には抵抗があるかもしれないが、軍事利用される可能性がある研究までが問題視されると、コンピュータ科学や材料工学などは何もできなくなってしまう。私の異文化比較研究だって(そもそも異文化比較研究が盛んになった要因の1つは、第二次世界大戦時の、米国による日本および日本人研究である)、その可能性は否定できない。さらに、安全保障という視点からすると、軍事研究も誰かがやらなければならない。そういう「汚れ役」は誰にやってもらうのだろうか。その意味で、2017年の声明は、奴隷を有しながら民主主義を説く古代アテネ市民を連想させるものだった。
それでも、今回の任命拒否は明らかに悪例を残す政治介入である。さらに、その理由について全く何も言わないという菅首相をはじめとする内閣の姿勢・態度にも大いに問題がある。少なくとも理由を述べて議論を喚起すべきだろうし、こういうやり方が、今後、科研費の配分などに影響が及んでくるとすると、学問の自由が脅かされてくることになる。
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