2020年11月30日月曜日

「学問の自由」が脅かされるとき(3)―現在の日本の大学の現実の問題

  これまでの記事で学問の自由について私見を述べてきたが、現在の日本の大学において「学問の自由」を現実に最も脅かしているのが、雑務の多さ、人員と研究費の少なさであろう。

 雑務はここ20年で大きく増えた。もちろんIT化によって随分といろいろなことが軽減されてはいる。しかし、IT化で容易になったはずだから雑務は増やしても構わないという気分が暗黙裡に共有されているのだろうか、現実には大きくそれに時間を割かれるようになった。雑務は、よほど困難な仕事以外はたいしたことはない。しかし、それが多すぎて積もり積もると、研究等の大きな障害になる。

 また、IT化と大学の予算不足によって大きく削減されたのが人員である。教員、事務職員、さらに、かつて助手と呼ばれた助教のポストが少なくなった。これによって研究室の実験用設備の管理など、専任教員にかかる負担は大きくなっている。IT化によって便利になったとはいえ、コンピュータをはじめ、IT環境を支える人員が必要である。そういうマンパワーが貧弱なのである。海外の大学に滞在すると、最もお世話になるのがテクニシャンと呼ばれる技術補佐員(日本では、公務員なら技官に相当する)である。割り当ててもらった研究室のPCのセッティングから、とにかく機械類で困ったことがあると彼らは非常に頼りになる。10年以上前に一年間滞在したロンドンのBirkbeckにはテクニシャンたちの部屋があり、おそらくホストの教員の部屋よりもそちらに足を運んだ回数のほうが多かったかもしれない。また、別の大学での夏季の滞在の時、持参したPCを学内のネットに接続してもらったのだが、やはりテクニシャンのお世話になった。そのテクニシャンは女性で、夏ということもあり、かなり露出度の高い服装で現れて、”She is a technician.”と紹介されたときは、一瞬テクニシャンから別の意味を連想してしまった。日本の大学には、なかなかこういうサポート人員のポストがない。

 日本の研究費は少ないのか? 私自身はあまり詳しくないが、GDP比などの国際比較などでは特に少ないことはないらしい。しかし、かつて大学から自動的に支給されていたものが削減されて、科学研究費などの競争的学部資金と呼ばれる研究費を獲得しなければ研究の継続が難しくなっている。ところが、自動的に支給される研究費の削減分が科学研究費の増額になっておらず、採択率は4分の1程度と、低いままである。この採択率だと、研究者の4分の3が研究休眠状態になるということだ。これでは、国際比較で研究論文の数が減るのは当たり前だろう。また、科学研究費の獲得のために面倒な作文を強いられるが、新しい研究費に応募しようとすると、かなりこれに時間を割かれることになる。個人的には、新しい萌芽的なチャレンジ以外は、研究業績と、あとは概略の作文で良いのではないかと思う。しかしこの方法は当分は改まらないだろう。

 政府やメディアは、ノーベル賞受賞などには熱心だが、国際的な学術誌への発表論文の質と数には無関心にみえる。最近、論文数もランキング化されてやっと注意が向けられるようになったが、学術論文を発表することの意義がどれだけ理解されているのかは、極めて心もとない。この無理解が、現在の日本において「学問の自由」を現実に脅かす最も大きな要因である。

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論文発表数の減少

2020年11月14日土曜日

金ヶ崎の退き口―脱サンクコスト誤謬?

  118日の『麒麟がくる』では、金ヶ崎の退き口と呼ばれた、朝倉攻めの最中に信長が知った浅井長政の裏切りによる撤退が描かれていた。私は、素朴に素人として、なぜここで撤退する必要があったのかとずっと疑問だった。北から朝倉、南から浅井に挟撃されても、織田軍のほうが朝倉と浅井を合わせた兵数よりも多い。それに、朝倉領であった越前の敦賀郡を占領してせっかく手中にしたのに、それを放棄して危険な退却戦を行った理由がわからなかった。

 素人なりに推定した理由は、浅井の裏切りがかなりの予想外・想定外だったことだろう。大学時代の友人からの情報では、信長公記にも浅井の裏切りが当初は誤報と考えられたと記されているらしい。敦賀郡の金ヶ崎城を拠点に、仮に朝倉と浅井に対して有利に戦うことができたとしても、当初の予定は大幅に狂うことになる。そうすると、戦闘が長期化して、兵糧や矢玉などの兵站に不安が生じてくる。また、織田方も、大軍といえどもその多くが服属して日が浅い畿内の寄せ集めの軍勢である。長期滞陣になったときにいつ反旗を翻したりするかわからないし、彼ら自身も領地を長い間留守にしていると、そこで一揆や反乱が起こらないとも限らない。あるいは、長期滞陣になるどころか、南北から挟撃されるという恐怖で兵が恐慌状態に陥り、逃亡が続出ということもありうる。また、両軍の兵力は、今の私たちは歴史的資料から推定することができるが、当事者たちは、信長といえども朝倉浅井の正確な兵力はわからなかったはずだ。浅井朝倉連合軍より織田軍のほうが大きな兵力であるという確証も持てなかったかもしれない。そういう要因を考えると、あの場はやはり退却が正解だったのだろう。

 それにしても驚くべきは、信長の撤退の判断の速さである。一般に、開始してしまったプロジェクトは、途中で中止しにくいものである。この理由は、いったん開始されればそのプロジェクトにはすでにある程度のコストをつぎ込んでいるので、中止するとそのコストはもう戻ってこず、いわゆるサンクコストとして損失のままになってしまうからである。しかし、もしそのプロジェクトに予想以上のコストがかかるようならば、またプロジェクトの成果が得られにくいと判断されるようならば、いくらサンクコストが惜しくても中止するのが合理的といえる。この中止しないままの引き延ばしがサンクコスト誤謬またはサンクコストバイアスと呼ばれている。

 サンクコスト誤謬には、つまらない映画を最後まで見てしまう (チケット代がもったいないかもしれないが、最後まで見るのは時間の損失) という些細なものから、コンコルド開発やシドニーのオペラハウス建設まで多く知られている。コンコルド開発は、巨額の開発資金をつぎ込んで結局は中止されたが、オペラハウスは当初の予算を大幅に上回って完成にたどり着いた。

 信長のこのプロジェクトは、すでに敦賀郡を占拠して金ヶ崎城を手に入れたという段階まで進んでいた。そしてそこまですでに多くのコスストが費やされたはずである。サンクコスト誤謬に陥れば、このコストを無駄にしないために朝倉攻めを続行してしまっていただろう。しかし信長、そして配下の軍団はこの誤謬に陥ることなく撤退することができた。そこが織田軍の凄みといえるのかもしれない。

2020年11月12日木曜日

「学問の自由」が脅かされるとき(2)―イデオロギーの問題

  現在の日本の大学に属していて、学問の自由が脅かされたと感じたことはほとんどない。卒業論文以来、指導教員に「何をしろ」と強制されたことはなく、自由そのものであった。大学院生の時は、さすがに指導教員が理解しにくいテーマを選ぶと、研究の進捗等においてやはりいろいろと困ったことがあるので、あまり外れないようにはしていた。しかし、指導教員と似たテーマあるいは理解できるテーマだといろいろと口を挟まれて鬱陶しいので、そういうテーマは選ばないというのが当時の学生・院生に共有されていた雰囲気だったと思う。

 したがって、教員になっても、学問は自由そのもので、これが脅かされるという感覚とは無縁だったように思う。ただ、ここ15年ほど、学問選択の自由というよりは、研究成果などの発表において、イデオロギーが気になるなと思うことはあった。イデオロギーに支配されると、どんな研究結果であれ、結論は一定の方向に決められてしまう。イデオロギーの困った点は、「○○は~でなくてはならない」という硬直した主張で、科学的根拠等がすっ飛んでしまうことである。

 独裁と結びついたイデオロギーはかなり怖く、実際に習近平下の中国では天安門はタブーだし、ウイグルやチベット、内モンゴルについての客観的・科学的な研究は不可能である。文学でもタブーは多く、日本に中国文学を研究しに来る中国人研究者は、中国で扱えない中国文学のテーマを研究しに来るようだ。また、韓国では文在寅が「歴史歪曲禁止法」という新しい法律を制定したが、これによって日本の植民地時代の研究にイデオロギーが縛りをかけた。植民地支配の遺産を肯定的に評価するような結果の研究だと、罰せられる可能性があるわけである。たとえば、日本の統治下に設立された京城帝国大学と現在のソウル国立大学の関係を調べる教育史的研究はかなり制約を受けるようだ。文在寅政権のこの現状をみれば、たとえばジャレド・ダイアモンドの『歴史は実験できるのか―自然実験が解き明かす人類史』の中に採録されている、英国によるインド統治の今日への影響についてのような研究は、到底行うことができないのではないだろうか。ただ、この研究では、英国の統治による地税徴収制度があった地域は経済の発展が遅れたという、統治の負の側面が浮き彫りにされているのだが。

 現在の日本でも、学問の自由を最も抑制しているのはイデオロギーだろう。「日本人は神の国」や「南京虐殺はなかった」は、まともな研究者は取り上げないだろうから、学界では比較的無害(国際的にはかなり有害だが)かもしれない。しかし、「生物学的な性差はあってならない」や「日本人が知的にもモラル的にも欧米人よりも劣っている」とするイデオロギーは、批判すると性差別主義者やレイシストのレッテルを貼られやすく(日本人が劣っているとするほうがよほどレイシストだと思うのだが)、まともな研究者がこのイデオロギーに対して口を閉ざすとなると、かなり研究の自由が奪われることになる。

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