2020年11月14日土曜日

金ヶ崎の退き口―脱サンクコスト誤謬?

  118日の『麒麟がくる』では、金ヶ崎の退き口と呼ばれた、朝倉攻めの最中に信長が知った浅井長政の裏切りによる撤退が描かれていた。私は、素朴に素人として、なぜここで撤退する必要があったのかとずっと疑問だった。北から朝倉、南から浅井に挟撃されても、織田軍のほうが朝倉と浅井を合わせた兵数よりも多い。それに、朝倉領であった越前の敦賀郡を占領してせっかく手中にしたのに、それを放棄して危険な退却戦を行った理由がわからなかった。

 素人なりに推定した理由は、浅井の裏切りがかなりの予想外・想定外だったことだろう。大学時代の友人からの情報では、信長公記にも浅井の裏切りが当初は誤報と考えられたと記されているらしい。敦賀郡の金ヶ崎城を拠点に、仮に朝倉と浅井に対して有利に戦うことができたとしても、当初の予定は大幅に狂うことになる。そうすると、戦闘が長期化して、兵糧や矢玉などの兵站に不安が生じてくる。また、織田方も、大軍といえどもその多くが服属して日が浅い畿内の寄せ集めの軍勢である。長期滞陣になったときにいつ反旗を翻したりするかわからないし、彼ら自身も領地を長い間留守にしていると、そこで一揆や反乱が起こらないとも限らない。あるいは、長期滞陣になるどころか、南北から挟撃されるという恐怖で兵が恐慌状態に陥り、逃亡が続出ということもありうる。また、両軍の兵力は、今の私たちは歴史的資料から推定することができるが、当事者たちは、信長といえども朝倉浅井の正確な兵力はわからなかったはずだ。浅井朝倉連合軍より織田軍のほうが大きな兵力であるという確証も持てなかったかもしれない。そういう要因を考えると、あの場はやはり退却が正解だったのだろう。

 それにしても驚くべきは、信長の撤退の判断の速さである。一般に、開始してしまったプロジェクトは、途中で中止しにくいものである。この理由は、いったん開始されればそのプロジェクトにはすでにある程度のコストをつぎ込んでいるので、中止するとそのコストはもう戻ってこず、いわゆるサンクコストとして損失のままになってしまうからである。しかし、もしそのプロジェクトに予想以上のコストがかかるようならば、またプロジェクトの成果が得られにくいと判断されるようならば、いくらサンクコストが惜しくても中止するのが合理的といえる。この中止しないままの引き延ばしがサンクコスト誤謬またはサンクコストバイアスと呼ばれている。

 サンクコスト誤謬には、つまらない映画を最後まで見てしまう (チケット代がもったいないかもしれないが、最後まで見るのは時間の損失) という些細なものから、コンコルド開発やシドニーのオペラハウス建設まで多く知られている。コンコルド開発は、巨額の開発資金をつぎ込んで結局は中止されたが、オペラハウスは当初の予算を大幅に上回って完成にたどり着いた。

 信長のこのプロジェクトは、すでに敦賀郡を占拠して金ヶ崎城を手に入れたという段階まで進んでいた。そしてそこまですでに多くのコスストが費やされたはずである。サンクコスト誤謬に陥れば、このコストを無駄にしないために朝倉攻めを続行してしまっていただろう。しかし信長、そして配下の軍団はこの誤謬に陥ることなく撤退することができた。そこが織田軍の凄みといえるのかもしれない。

0 件のコメント:

コメントを投稿