2019年10月5日土曜日

台湾紀行(1)―嘉南薬理大学での講演

 9月末から10月にかけて、台湾の台南に滞在した。この目的は、現在進行中の、日韓台英仏五か国の比較文化研究の台湾におけるデータ収集だが、もう一つの仕事として、台南市にある嘉南薬理大学における講演があった。私にとって初めての経験なのだが、私が日本語で話して、通訳がそれを中国語に訳するというスタイルで行った。同時通訳ではなかったので、たっぷりと3時間を使っての講演となった。タイトルは「東洋人の弁証法的思考スタイルー子どもの発達と教育」で、中国語では「東方人的辨證思考運用於児童發展及教育」と訳されていた。


 内容は、これまでこのブログで紹介した記事にも記されているが、前半では、東洋人の思考が弁証法的ということはどういうことなのかを議論し、後半では、もし弁証法的だとすればそれをどのように説明するかという理論を紹介した。とくに、Yama & Zakaria (2019 J. of Cognitive Psychology)が唱えた、東洋の高コンテクスト文化・西洋の低コンテクスト文化という区分による説明を力説した。コンテクストとは、私たちがコミュニケーション時に暗黙裡に共有していると想定している知識で、その依存度が高い文化が高コンテクスト、低い文化が低コンテクストというわけである。高コンテクスト文化では、矛盾があってもコンテクストを用いてそれを暗黙裡に解決できるという規範があるので、思考が弁証法的になるのではないかという私たちの理論を紹介した。異文化コミュニケーション時にはコンテクストが共有されにくいので、一般に低コンテクスト文化は、異文化交流が大きな環境で生まれやすい。西洋には多くの文化が共存するが、中国では異文化交流はあるものの、漢化という大きな流れの中で文化が均一化しやすく、高コンテクスト文化というわけである。

 そして最後に、いくつかのデータのメタ分析から、日本が中国よりもさらに高コンテクスト文化なのではないかと述べた。その根拠は、日本は離島に押し込められて異文化交流が中国よりもさらに少なかったという歴史的事実である。すると、会場から、「では台湾はどうなのか?」という質問が出た。台湾も日本のように孤島に押し込められた環境だが、一方で、先住民、客家 (北方漢民族で戦乱から逃れるために移動・定住を繰り返した人たちの一部が台湾に移り住んだ)、本省人 (明末に福建省から移住、台湾の人口の74)、外省人 (蒋介石の国民党とともに移り住み、台湾の人口の12) と異文化集団が混在している。そうすると、日本や中国と比較して、低コンテクストなのではないかという問いである。

 実は、高コンテクスト・低コンテクストをどのような尺度で測定するのか一義的ではないので、どの国がどの程度高コンテクストなのかという明確な指標はない。しかし台湾は、中国大陸からの文化的伝統を受け継ぎ、かつ大陸や東南アジアとの異文化交流が適度に行われていたという点で、少なくとも日本よりは低コンテクスト文化であると推定できる。さらに、使用されている言語は、日本語と比較してはるかに省略が少ない。コミュニケーションにおいて省略をしないという規範を持っている文化は、低コンテクストであるといえる。高コンテクスト文化では、コンテクストを使用することが奨励されて省略が許容あるいは奨励されるからである。

 ただし、客家、本省人、外省人などの漢民族と先住民との交流は活発ではなかったようだ。異文化交流が不活発ならば、文化はあまり低コンテクスト化しない。先住民は、漢民族に圧迫されて、高地へと逃れ、現在もそのような環境で暮らしている。先住民については別の機会に触れたい。


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