2019年6月20日木曜日

続「東洋人と西洋人の思考スタイルの違いをコンテクスト(文脈)に基づく新しい理論で説明」

 前回の記事で、Norhayati Zakaria先生との共著である Explanations for cultural differences in thinking: Easterners dialectical thinking and Westerners linear thinking.を、私の大学からプレスリリースしていただいたことを述べたが、これは、大学ホームページに研究紹介として改めて掲載されている。

 恥ずかしながら、このレビュー・理論論文が掲載されるまでにはかなりの紆余曲折がある。最も初期のアイデアは、2012年に札幌で開催されたCogSci2012において発表されている。
リサーチクエスチョンは、西洋人が比較的ルールに依拠して矛盾を嫌うが、東洋人は矛盾があってもそれを弁証的に受容しやすいという文化差をどのように説明するかである。これまでは、前回の記事にもあるように、「西洋の個人主義・東洋の集団主義」や、「西洋のギリシャ哲学・東洋の陰陽思想」という区分で説明されてきた。当初は、それに西洋の低コンテクスト文化・東洋の高コンテクスト文化という区分でも説明できますよというスタンスだったが、これでは主張として弱いということが問題だった。最大の難点は、エドワード・ホールが主張する西洋の低コンテクスト・東洋の高コンテクストという区分について、心理学的な実験・調査による証拠が少ないということである。

 しかし、2012年の学会発表以降、このような証拠が次々に集まりだし、また、これまで「西洋の個人主義・東洋の集団主義」と解釈されてきた研究が、コンテクストの高低の証拠とみなせたりするなど、証拠固めが進められてきた。

 さらに、ホールの理論がコミュニケーションの理論にとどまっていたのに対し、私たちはこれをビッグ・ヒストリーの理論として発展させた。つまり、67万年前のホモ・サピエンスの拡散から、地勢的・生態学的な要因によって文化多様性が生じたとするアプローチの中に位置づけることを試みたわけである。私の中では、ジャレド・ダイアモンドの『銃・病原菌・鉄』は憧れの書なのである。概して、低コンテクスト文化は異文化交流時など、コンテクストを利用できない状況で形成される。歴史的には、異文化交流が頻繁な状況で低コンテクスト文化が形成されやすいわけである。しかし、異文化交流の結果、一つの文化に統一されれば、再度高コンテクスト文化に移行する。地勢的・生態学的に説明すれば、資源や産物の偏在があれば異文化交流は活発になるが、大きな平野に稠密な人口などがあると、一つの文化に統一されやすいということだ。これは下の図にフローチャートで示されるが、ギリシャやローマは典型的な前者であり、中国は後者になる。中国は多くの異民族の侵入に悩まされたが、漢文化として統一されている。そして、ギリシャでは矛盾を許さない論理学の伝統が生まれ、中国では陰と陽は表裏一体という思想が生まれたわけである。これらは、日本心理学会が発行している『心理学ワールド』においても解説されている。

 人々の世界観や思考スタイルを、地勢的・生態学的な要因で説明するのは、遺伝子から一足飛びにその人物の知能や行動を説明するような飛躍があるかもしれない。ホモ・サピエンスは、哲学的伝統だけではなく、それぞれの地域においてさまざまな文化スタイルや経済システムあるいは制度を作り上げてきた。それらが、複雑にからみあって、高コンテクスト・低コンテクストという文化の違いや、思考スタイルの好みが生まれてきているのだろうとは思う。しかし、民族の遺伝的な違いという要因を考慮せずに文化差が説明できるというジャレド・ダイアモンドに代表されるこのアプローチは、非常に魅力的なのだ。

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