大河ドラマ「いだてん」の視聴率の凋落が止まらない。主人公が金栗四三から田畑政治に代わり、ロスアンゼルスオリンピックからベルリンオリンピック、戦争と激動の時代を名優たちが生き生きと演じているこのドラマが低視聴率というのはたいへんもったいない気がする。
比較的このドラマに評価が高い私自身でも、あの落語は何とかならないものだろうかと思う。少しは本筋とつながるのかもしれないが、はっきり言ってどうでも良いストーリーが展開されている。落語の天才なのかもしれないが、自堕落で妻に甘えっぱなしの若き日の志ん生には、なかなか共感できるものがない。本筋のスポーツでもちょっとそういう傾向があるが、伯楽が天才を見出すストーリーは、好きな人もいるのかもしれないが、私はそういう直感主義には「はぁ、これが天才?」と訝るだけである。それに、せっかく本筋で盛り上がっていて、その続きにワクワクしているときに落語が入る。民放のドラマや取材モノなどで、盛り上がったところでコマーシャルを入れる安っぽい演出を真似ているのかと腹立たしくなる。
本筋はみごとだと思う。たった2人が参加しただけのストックホルム大会から、日本のスポーツにおける国際社会に参加していくという高揚感と、その背後に戦争への足音を忍ばせて不安感を醸し出す演出は、息を詰めて見ざるをえない。とくに、五・一五事件で暗殺された犬養毅が塩見三省によってみごとに演じられており、ドラマ全体に緊張感を高めたと思う。おそらく今後は、オリンピックに出たアスリートの戦死等も報じられて、上質な反戦ドラマになっていくのではないだろうか。始まったころは、ちょっと国威掲揚的で嫌だなと思っていたが、それも徐々に薄まっている。
また、女性の社会的地位が低い時代から、徐々に女性アスリートが育っていく過程も見ていて興味深い。寺島しのぶが猛女のような二階堂トクヨを演じ、ブルドーザーのごとく女性アスリートの道を開拓したあと、自分もやってみようというシマを杉咲花が個性的に演じた(実は、関東大震災で亡くなったあとは、しばらく「シマロス」が続いた)。その次の世代は、女性についての固定観念と戦いながら村田富江や人見絹枝が女性アスリートのあり方を模索した。さらにその次の世代が「前畑ガンバレ」で有名な前畑秀子である。前畑になると、もう「普通の女の子」の延長だ。これらの世代間対比の描き方は見事で、この流れがどのように東京オリンピックの「東洋の魔女」に至るのかたのしみである。
しかし、大河ドラマが東京オリンピックの国策ドラマに堕しているという印象が、結局は低視聴率に結びついているのかもしれない。
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