私が一章を書かせていただいた、Routledgeからの、”The Routledge International Handbookof Thinking and Reasoning”が手元に届いた。私が推論研究に本格的に取り組むようになったのは、博士課程に進学した1985年あたりからである。当時、推論研究のアプローチとして、ピアジェ以来の人間の論理性を強調した心理論理アプローチ、意味論的手続きによってモデルが形成されるとするメンタルモデルアプローチ、人間の推論がいかにバイアスの影響を受けやすいかを示すバイアスアプローチが主流であり、推論について書きものをするときは、まず冒頭でこれらの紹介をしたものである。
とくに、メンタルモデルの理解については、ブログ村心理部門のライバル(?)でもある、「心の風景」のK先生の翻訳されたP. Johnson-Lairdの2冊の著書、『メンタルモデル』と『心のシミュレーション』がたいへんありがたかった。前者は、メンタルモデル理論そのものの、後者は、認知心理学から認知科学への足掛かりとしての勉強になった。心理論理アプローチとメンタルモデルアプローチの対立は、当初は、1970年代の、命題対イメージ論争のようなものかなと思っていたのだが、それが間違いだったということに、この2冊の訳書によって気づかされた記憶がある。
バイアスアプローチが、バイアスを生む処理システムと、バイアスを修正する処理システムを仮定する二重過程理論に受け継がれ、心理論理アプローチが心理論理のもととなる自然演繹とは何なのかという問題にぶち当たったまま停滞しているのに対し (中心的主唱者だったL. Ripsは、もうこの研究をしていない)、メンタルモデルは、P. Johnson-Lairdと、R. Byrneらの弟子たちがそれを発展させている。当初、苦手な分野とされていた確率推論にも、可能世界を複数並置することでモデル表現を可能にし、また、非単調論理を導入してアブダクションに適用させている。さらに、モデルをよりダイナミックに捉えて、モデル用いた心の中のシミュレーションにも力点を移動させている。Routledgeのハンドブックでも、GoodwinとKhemlaniとの共著で、これらの解説が記されている。
この長命の秘訣は何なのだろうか。反証されにくいというのは、科学的理論の欠点なのかもしれないが、意味論的モデル生成というアプローチとしての根幹をゆるぎなくおいておき、そこから導かれるさまざまな主張について、たとえ反証されても、小修正で立ち直れるという強みがあるのだろう。
現在、メンタルモデル派と新パラダイムと呼ばれる推論研究の一派(私はこちらに属している)と、条件文解釈をめぐって論争中である。自分のひいきという点もあるかもしれないが、どちらかといえば新パラダイム派が優勢のようである。しかし、メンタルモデル理論は、これで負けを認めたとしても、あくまで局地戦での敗北として、また新たに改良・修正を加えて、条件推論の主要理論として生き残ると思う。これらの論争については、別の機会に。
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