2月16日に、5th International Symposium on Academic Writing and Critical Thinkingが名古屋大学で行われ、参加してきた。これは、名古屋大学のアカデミックライティングセンターが主催しているもので、今回はコロナ後の久々の対面開催だった。アカデミックライティングは、まだまだ多くの大学では、論文を書くときのコツあるいは英語のネイティヴチェック程度にしか認識されていないが、名古屋大学をはじめ、独立したセンターを開設して専任の教員を置くところが増えつつある。センターのスタッフは、クライエント (院生など) の研究企画段階から加わることもあり、そうすると指導教員とのコンフリクトが起きることがあるらしいが、クライエントは、どうすれば「新しい発見」が重要なのかの伝え方を専門を超えて学ぶことができる。そういうわけで、アカデミックライティングは、クリティカルシンキングとは切っても切れない関係を保っているわけである。クリティカルシンキングは、思考心理学の重要テーマの1つである。
今回のシンポジウムのテーマは、ChatGPTに代表されるAIとアカデミックライティングの関係である。キーノートでは、生成AIのツールとしてのラージ言語モデルのメカニズムとその働きについての解説だったが、AIの中身に詳しくない多くの参加者には、かなり理解するのが難解だったのではないだろうか。一方、個人発表で多かったのは、ChatGPTなどがアカデミックライティングにどのように役立つかというものである。ChatGPTに、アカデミックライティングのサポートして、何ができて何ができないかということが多くの発表において議論された。その対比から、AI側とその活用側とでちょっとギャップがあったようにも感じたが、両方を理解できる専門家は決して多いわけではないので、仕方がないことかもしれない。活用側のいくつかの発表において、AIあるいはChatGPTサポートで論文を書くことの倫理的問題に触れられていたが、この点は、残念ながら議論は弱かったように思う。この問題については、これだけの短い時間で、研究倫理の専門家がいない中で、論じきるには無理があるだろう。
私は、クリティカルシンキングの立場から、これまでこのシンポジウムに招待していただいたことはあるが、自分の個人発表は今回が初めてだったので、ちょっと気合を入れていた。しかし、AIやChatGPTと関係するものではなく、”Academic writing as communication in a
low-context culture: Are Japanese in a high-context culture not good academic
writers?”というタイトルでの、高コンテクスト文化・低コンテクスト文化という視点をアカデミックライティングに導入したものである。日本は、暗黙の前提などのコンテクスト依存が高い高コンテクスト文化なのだが、そうすると低コンテクスト文化コミュニケーションスタイルが好まれるアカデミックライティングでは、どのような困難と対処方法があるのかという問題を議論した。実は、高コンテクスト文化の日本人を含めたアジア人も、誰が聞き手かによってコンテクストの高低を調整するというコードスイッチングを行っていることが私たちの研究から示されており、このスイッチングスキルを伸ばしていこうということが結論である。
私自身は、アカデミックライティングに直接携わっているわけではないが、4年生や院生の論文指導において、アカデミックライティングで学んだことが活かされているのではないかと思う。クリティカルシンキングやコミュニケーションスタイルの研究者としてだけではなく、この実践からのフィードバックでこの領域に貢献できればと願っている。
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