少子化について、前稿の(1)では産業国の普遍的傾向を述べた。しかし、そのような国々の中で、日本と韓国は出生率が際立って低い。さらに、産業国の中で、自殺率が高いという特徴も共有している。自殺率と呼応するように、両国とも主観的幸福感は高くない。低出生率、高自殺率、低幸福感というこの3特徴を並べると、両国とも決して住みよい国とは言えないが、このような共通点から、少子化の特異的要因を考察する価値がある。
日本と韓国は、最も互いに類似している二国ペアの1つである。東アジアの儒教文化圏というだけではなく、いろいろと議論はあるかもしれないが、個人よりも集団を重視するという集団主義文化、規則等への遵守が厳しいタイトな文化、コミュニケーション時に共有コンテクスト依存度が高い高コンテクスト文化という文化的特徴を共有する。また、集団主義文化の特徴とされる、家族的紐帯の強さ、メンツの重要さも挙げることができる。さらに、エマニュエル・トッドによれば、どちらも「父系直系家族」という特徴を有している
(父系直系家族については、必ずしも東アジアの特徴ではなく、トッドによれば、たとえばドイツなども含まれている)。そして、何よりも両国とも、非常に短期間の間に、西洋式のシステムを取り入れて産業国になったという点が似ている。
これらの共有特徴から、どのように両国における少子化が他の産業国よりも速く進んでいったのかという問いに対する回答を推定できる。まず注目すべきは、父系直系性だろう。これに儒教的男女役割分担が加わると、女性はせっかく就業などの社会進出があっても、家事的負担が小さくなるわけではなく、必然的に子育てをする余裕がなくなり、子どもを持たないという選択になる。さらに、二世代あるいは三世代同居が当然の時代から、産業化等によって急激に核家族が増えた。かつては大家族あるいは共同体で子育てをしていたのが、それらが失われて両親あるいは母親のみに子育ての負担が大きくのしかかってくるようになった。家族形態の変化がゆっくりならば、育児にまつわる慣習も徐々に変化する。しかし、変化が急激すぎて、子育てを誰がどのようにすればよいのか戸惑ってしまっているというのが現状だろう。家族形態の変化に子育てシステムが追いついていないわけである。
家族的紐帯の強さとメンツの文化も、子どもを持たないという選択肢を促進する。日本も韓国も家族的紐帯がつよく、特に母子関係については母子一体化といわれるくらい強い。すると、とくに母親にとって自分の子どもは自身の一部となり、子どもの優秀さが自身のメンツに強く結びつく。たとえば、ママ友の間では、子どもの優秀さがカーストの決定因になるということはよく聞く(都市伝説なのかもしれないが)。そうすると、子どもに十分な教育を施せないかもしれないという不安から、子どもは持たないという選択肢に至る。自分のカーストを下げる可能性があるからである。このように推察すると、両国における子どもに対する異常と感じられる教育熱の高さも理解できるだろう。日本人は、韓国人の教育熱を異常なのではと感ずることがあるが、西洋人からみると、日本の塾などの教育産業が異常と映っているようだ。
自殺率の高さも、家族形態などの急激な変化と、メンツ文化の産物なのではないだろうか。ところで、これは韓国のある教授から伺った話だが、釜山の海岸沿いに絶壁になっているところがあり、そこでの自殺者が非常に多かったようだ。そこで、市の当局が、その場所に母親が子どもを慈しんでいる母子像をつくり、「母が悲しむ」というメッセージを入れたら、そこでの自殺者が激減したということである。母子の絆は子どもを産み育てるエネルギーになるはずなのだが、それが少子化を加速しているとすれば、非常に逆説的である。
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