2021年8月6日金曜日

なぜ中止することができないのか (2)―オリンピックと甲子園とインパール

  日本におけるちょっとした変化を捉えて、独裁化や軍国化と叫んだりする一部のジャーナリストや学者にはうんざりしてきた。日本の独裁レベルは、北朝鮮や中国共産党、ベラルーシの状況と比較すれば、物の数ではない。しかし、あれだけ感染増を懸念されながら、オリンピックだけはどうしてもやるという姿勢には、私も正直第二次世界大戦を連想してしまった。

 最近の二週間の新型コロナウイルス感染者の増加は想像を超えている。高齢者のワクチン接種が進んで重症者が少なくなると思ったが、それ以上に感染者が増えてその中から重症者が増え、医療崩壊を起こし始めている。高齢者の重症者が少なくなったとはいえ、感染者の母数が爆発的に増えているために、必然的に中等症や重症者が増えているのだ。爆発的に感染増大があると、変異株が生ずるリスクも上昇する。せっかくのワクチンの効き目が小さくなる可能性だってあるわけだ。オリンピックによって東京株が生まれて、オリンピック関係者が帰国することによって世界中にこの変異株が蔓延するというという悪夢のシナリオも描ける。

 確かにこの感染増がオリンピックによるものだという直接的なエビデンスはまだないのかもしれない。しかし、いくら人流を止めようとしても、オリンピックという大きなイベントがあれば、人々の気持ちは浮つき、行動に現れる。最善の方法は、オリンピックを即座に注視して、都市についてはロックダウン相当のことをすることだっただろう。もちろん、不要不急の夏の甲子園など、もってのほかである。

 権力者が「やりたい」と思ったら絶対に止めないこの悪弊は、どうしても第二次世界大戦を連想させる。悪名高いインパール作戦や、また勝つ可能性あるいは有利な講和の可能性がほとんどない状態で、あれだけ人命が失われ続けていたにもかかわらず戦争を継続させた当時の日本とよく似ていると思わざるを得ない。もちろん死者数は雲泥の差かもしれないが、入院できずに在宅中に亡くなっている感染者が増え始めている状況で、オリンピックを中止できないというのは、やはり第二次世界大戦と「似ている」といわざるを得ない。

 それでは、このゴリ押しは「独裁」によるものなのだろうか。山本七平氏は、第二次世界大戦を引き起こしたのは、ヒトラーやムッソリーニのような強力なカリスマ的独裁ではなく、「空気」であると表現したが、今回のオリンピック開催も、そういう雰囲気で決定されたように思える。菅総理の独裁というよりも、IOCとの関係や、他の閣僚や利権を握った人々の間で醸成された「空気」に誰も抗えなかったという印象が強い。とりあえず、甲子園とパラリンピックは中止して欲しい。オリンピックを実施してパラリンピックを実施しないのは障がい者への差別だという批判は、政治家には堪えるかもしれないが、実施が、国民の命の犠牲と教育・研究活動の抑制と引き換えだということを忘れないで欲しい。

 

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