今年は暑いと予報されていたが、予想にたがわない酷暑の連続で、連日、熱中症で搬送される人が後を絶たない。また死者も出てきている。この中で、なぜ屋外のスポーツを中止しないのだろうか。たとえば高校野球である。球児たちはある程度身体が暑さに慣れているのか、あまり熱中症は報道されないが(まさか、朝日新聞に「忖度」して報道されないというわけではないと思いたいが)、スタンド応援の高校生からは毎日のように熱中症が出ている。せめてスタンド応援をやめたり、あるいは、今年は高校野球の大会そのものを中止したりという発想はわかないのだろうか。次々と熱中症で高校生が倒れても、夏に行わなければならない高校野球の大会や甲子園って何なのだろう。
同じようなことは、日本においていたるところで観察できる。たとえば、地震でどうにもならいない状態でも必死に出社する人たちがいる。確かに地震の復旧を急ぐ中で、復旧作業に従事されるために出社という方々には頭が下がる。しかし、それとは無関係の、一日くらい休んでもどうにでもなるような会社・企業において、万難を排して出社しなければというその目的な何なのだろうかと思ってしまう。
ずいぶんと以前の話だが、1995年の阪神淡路大震災では、関西の大学では5月はじまりにしたところが多かった。いったん始まれば、遅れを取り戻すために学生は勉学を最優先しなければならないし、教員は学究生活に速やかにもどらなければならい。そのような状態で、ある大学は新入生歓迎合宿を強行した。新入生歓迎合宿に非常に大きな教育的意味があるならば仕方がないかもしれない。しかし、聞くところによると、グループを作ってゲームをするなど、とにかく仲間つくりのきっかけということが大きな目的のようであった。大震災の後の緊急時であるにもかかわらず中止しなかった理由が、これまで伝統的に行われてきたからということだったらしい。高校野球も同じような理由なのだろう。
また、弁護士による告発で知られることになったのが、六年に一度行われる諏訪神社の御柱祭である。この祭りでは、神木のための木が伐りだされ、最も危険なのが、氏子を乗せたまま大木を急な坂を下らせる「木落し」である。これによって、1974年、1986年、1992年、2010年、2016年に氏子が亡くなっている。これだけの人命が失われても中止しないというのはやはり伝統だからなのだろうか。弁護士が祭りの事実上の中止を命ずる仮処分の申し立てを行ったが、最高裁によって棄却されている。
私が思いつく最も愚かな判断は、太平洋戦争末期の原子爆弾の被害である。もちろん、開戦の判断や、米軍による原子爆弾の使用も、決して賢明な判断とは言えない。しかし、1945年の8月6日に広島に原子爆弾が投下されたが、その時点でなぜ戦争を中止しなかったのだろうか。言い換えれば、なぜすぐに降伏しなかったのだろうか。そうすれば少なくともその3日後の8月9日の長崎の被害は防ぐことができたはずである。その時点で日本はずいぶんと長く戦争を続けてきていたが、その伝統を守るためであったとすれば、あまりにもばかげている。
0 件のコメント:
コメントを投稿