今年の大河ドラマ「麒麟が来る」は、女優の交代などでゴタゴタがあったが、毎回楽しませてもらっている。非常に興味深いのは、染谷将太演ずる信長である。歴史上の有名な人物がどのようなパーソナリティだったか、あるいはどのような精神的疾患傾向があったのかは病跡学がお得意とする領域だが、信長も、天才的なひらめきや決断力、独創性、「うつけ」と呼ばれた青年期、比叡山焼き討ちの残虐性などから、いろいろと推察されてきた。なかでも、宿敵の浅井と朝倉を滅ぼした後、浅井長政、浅井久政、朝倉義景の頭蓋骨を箔濃にしたというエピソードは彼の残虐性を表すものとして扱われている
(当時は、それほど残虐なし好ではなかったともいわれているが)。
そういう点から信長は、これまでのドラマや映画では、ちょっと狂気もあるが、権威や常識にとらわれない豪放磊落な人物として描かれてきた。「徳川家康」の役所広司がその代表的なイメージを具現化したといえるだろうし、「軍師官兵衛」の江口洋介もそれに分類できる。
しかし、「信長 KING OF ZIPANGU」の緒形直人は、母親の土田御前に愛されなかった信長の孤独感を表現することに重きを置いていた印象が強く、今回の「麒麟が来る」の染谷将太の信長もどちらかといえば孤独感重視型だろう。ただ、染谷将太の信長は、とてもそれだけではとらえきれない人物を表現しているように思える。すでに、竹千代 (家康) の父である松平広忠の首を、父の信秀のもとに贈り物といって届けるように、残虐さを垣間見せてくれる。しかし、それが、裏の顔がちらりと見えるといった感じの残虐さではなく、無邪気な子どもが蝶の羽を無造作にむしり取るような残虐さという印象が強い。
染谷さんが演ずる信長は、無邪気な子どもっぽさがあり、アスペルガーのように周りの空気や人の気持ちが読めないというパーソナリティを骨格にし、母親に愛されない孤独感とサイコパスを兼ね備えた人物といえるのではないだろうか。それでいて、アスペルガー独特の洞察力と独創性があって、周囲の人々に魅力を感じさせる人柄をもっているわけなので、相当役作りは難しいのではないだろうかと思う。一言でいえば、周囲を惹きつける「ピュアなサイコパス」である。
この信長に、十兵衛光秀はどのように接していくのだろうか。3月22日の、信長、竹千代 (家康)、光秀がそろったシーンでは、信長にかなり戸惑いを感じながらちょっと惹きつけられていく感を長谷川博己がみごとに演じていた。信長に魅力を感じながら、最後は謀反を起こすという筋道がドラマではどのように描かれるのか、またそれを長谷川博己がどのように演ずるのか、非常に楽しみである。