2020年3月7日土曜日

犯罪が増えた? (1)―ヒュードラのように死なないこの主張


 最近、また日本で犯罪が増えていることを警告した書籍が出版されたようだ。読みもせずに批判するのはあまり褒められたことではないかもしれないが、読むのもバカバカしいし、著者インタビューの記事が掲載されていたのでそれから内容を推定した上での記事であることをまずお詫びしたい(読んでいないので、著者名と書名はにここでは記していない)。実際、マーティン・デイリーとマーゴ・ウィルソンの共著である『人が人を殺すとき』やスティーヴン・ピンカーによる『暴力の人類史』、さらにはピンカーの近著である『21世紀の啓蒙』などの著作や多くの論文において、殺人をはじめとする犯罪が、時代が新しくなるにつれて大きく下がっていることが何度も示されている。それにもかかわらず、「犯罪が多くなった」というこの種の主張は、何度否定されてもギリシャ神話のヒュードラ(首が何度切られてもまた生えてくる)のように登場する。

 拙著『「生きにくさ」はどこからくるのか』においても、私は、第二次世界大戦後、犯罪発生率の低下とともに人権意識の高まりなどのモラルの向上が見られ、それは、高等教育の普及と情報化にあると推定している。下の表は拙著にも掲載したが、日本における1950年からの10年刻みの殺人等の発生率を示している。一般刑法犯、殺人、傷害、強姦などは確実に減少している。なお、強制猥褻の増加は、人権意識の高まりによって女性が被害を訴えるようになったためであり、ここには載せていないが、DVの摘発件数が2015年に8000件だったのが2019年には9000件を超えるようになった事実と符合している。ただ、強制猥褻については、2015年をピークに減少し始めているようである。


人口10万人あたりの発生件数
                    
一般刑法犯
殺人
傷害 
強姦
強制猥褻
1950
1736.96
3.44
50.85
4.23
1.41
1970
1222.75
1.90
48.57
4.93
3.15
1990
1324.01
1.00
15.72
1.25
2.21
2010
1238.70
0.83
20.80
1.01
5.52

 にもかかわらず現代は犯罪が増えたと認識される理由は何だろうか。犯罪が大きく報道されることによる「利用可能性バイアス」(情報の利用のしやすさによって生ずる判断のゆがみ)や、「社会が良くなった」よりは危機を訴える書籍のほうが出版されやすいという「出版バイアス」などいろいろあるかもしれない。しかし、最も問題と思えるのは、資本主義などの発展の原理を敵視することによるイデオロギーに基づくもとだろう。「資本主義が人間の欲望を増幅させ、人間のモラルが低下して犯罪が起きている」と主張したい人たちは、現代のモラルの向上を認めたくないようである。私は、上の表に示されるような事実を認識し、人間がどのような文化習慣や制度を確立することによって、このような改善の積み重ねがあったのかということを精査することが非常に重要と考えるが、ヒュードラはこの大きな妨害要因である。

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