前回の記事では、卒業研究や卒業論文は企業において評価されないと述べたが、実は『心理学って何だろうか?』の中で私が強く主張したことは、市民リテラシーとの関連である。市民リテラシーとは、あまり聞きなれない用語かもしれないが、よき市民として、政治や経済のことを知り、少子高齢化や地球温暖化など社会で問題となっていることについて、適切な判断を下すと同時に何らかの行動をとることができるような一連のリテラシーとみなすことができる。市民リテラシーの重要性が認められるようになった背景として、裁判員として良識がある判断を求められたり、また情報化社会になって個人が自由に意見を発信できるようになったりしたことなどがあげられるだろう。
卒業研究・卒業論文は、リサーチスキルの獲得を通して、この市民リテラシーの育成に貢献できる。そうすると、心理学に直結するような領域としては、たとえば、メディア、とくにインターネット等における心理テストなどのコンテンツへの評価などで発揮される。これらの中にはあまりにも安直なものが多いが、心理学を学んだ健全な市民リテラシーは、批判的な目を向けることを可能にしてくれるだろう。先日も、インターネット記事でサウナでの座る位置でその人の性格を「当てる」心理テストが紹介されていたが、バカバカしくて論評以前の内容であった。いくら面白いからといって、ここまで来ると人間理解という点で有害であろう。心理学を通して得られた市民リテラシーによって、こうした有害コンテンツに、はっきりと「ノー」ということができるようになる。
大学にはさまざまな専門があり、それぞれの専門において研究して論文を書くという経験を積めば、それぞれの領域において、いい加減なメディアコンテンツや、評論家と称する人たちの根拠のない主張に対して、批判的な目を向けることができるようになる。さらに、たとえ領域が心理学であっても、卒業論文や修士論文を書いた経験からは、たとえば地球温暖化についての主張に対して、少なくとも、その主張となる根拠がどのようなものなのか、あるいはどのような論文で主張されていることなのかということを調べるためのスキルはすでに習得できている。したがって、主張の根拠が強固なのか脆弱なのかという判断は、素人ながらある程度可能になる。そうすれば、地球温暖化に対してどのような政策を支持すべきなのかという判断がより健全になるわけである。
現在の日本においては、メディアやジャーナリズム、政治など、影響力がある人たちのリサーチスキルはまだまだ不十分であろう。商業主義的な制約があるので仕方がないのかもしれないが、メディアにおいて、専門化の意見や論文をもう少しわかりやすく伝えるサイエンスコミュニケーターが必要かもしれない。小保方晴子氏の研究不正疑惑のときも、市民リテラシーの役割は重要だったと思う。しかし、そのときの呆れた政治家として印象に残っているのは当時の文部科学大臣である。検証の時に、「小保方氏にできるだけ協力してもらって、ベストの状態で検証してもらうことが重要」と述べたが、不正疑惑がある研究者を検証実験に参加させるというとんでもない発想は、研究を行った経験があればまず出てこないはずである。こういう人が文部科学大臣になるようでは、卒業論文を重視する大学教育が世間でも理解されないのはしょうがないかもしれない。
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