2024年8月27日火曜日

The International Symposium on Rationality: Theories and Implicationsを開催します

 日時 2024924

   92 () 10:0017:15

   93 () 10:0017:15

   94 () 10:0015:45

 場所 大阪公立大学杉本キャンパス 法学部棟11F大会議室

 企画者 山 祐嗣 (大阪公立大学)・橋本博文 (大阪公立大学)

 後援 日本認知心理学会、大阪公立大学大学院文学研究科

 参加費・参加資格など

 誰でも参加可能で参加費は無料。またZoomによる遠隔参加も可能。

 Zoom登録リンク

https://omu-ac-jp.zoom.us/meeting/register/tJEvc--pqTwvHNa2065PSFNs2IwQ1vc9g8af

 主旨および目的

 The International Symposium on Rationality: Theories and Implicationsは、単発の国際シンポジウムで、企画者の山祐嗣が研究代表を務めている国際共同研究強化(B)(Religious moral reasoning in the frame of dual process approach: Cultural differences in religious moral reasoning and thinking style.)の研究費によって英国人研究者1名、フランス人研究者5名を招へいし、また日本学術振興会・外国人招へい研究者(短期)プログラムによってインド人研究者1名を招へいし、国内より22名の研究者が集まって、合理性 (rationality) について議論を行うものである。発表はすべて英語で行われ、リモートで世界に向かって研究成果が発信される。近年、合理性についての議論がさまざまな視点から行われ、認知心理学や社会心理学、哲学、工学等にまたがる学際的な領域の研究になってきている。また、学際的な理論としての発展が著しく、同時に、政治的分断やフェイクニュース・陰謀論などの非合理的な思考が世界的に問題視される中で、合理性についての議論は非常に重要になってきている。

 本シンポジウムは、最新の研究成果の発信の場として、この理論的発展と現実の問題への適用に貢献できると期待できる。また、本シンポジウムのもう一つの目的は、若手研究者に国際的発信を奨励することである。日本の若手研究者が日本語で発表しただけでは、興味深い研究であっても日本以外の研究者に声が届かずに終わってしまうということが多々ある。本シンポジウムでの若手研究者の発表は、今後の国際的な活躍のための第一歩となることが期待される。

シンポジウムの内容

 シンポジウムでは、2件のキーノートと5つのセッションが計画されている。Linden Ball教授 (University of Central Lancashire) は、”Meta-reasoning: The monitoring and control of thought” という題目でキーノートスピーチを行う。合理性は、内省が直感を制御するという二重過程理論枠組みで議論されることが多く、メタリーズニングは、内省を開始すべきか否かの判断に関わっている。また、Jean Baratgin教授 (Paris 8 University Vincennes-Saint-Denis) は、”The question of the norm of rationality in the psychological study of human reasoning: Finettian coherence as a solution”という題目でキーノートスピーチを行う。合理性の議論に、規範をどのように設定すべきかという議論があり、命題論理学が規範とされていた論理思考研究に、De Finettiの論理学の導入が試みられる。

 セッションは5つに分かれ、”Rationality & Irrationality”では、合理性そのものについての議論とフェイクニュースや陰謀論などの非合理性についての発表が予定されている。”Rationality & Morality”では、合理的思考と道徳的推論についての発表が行われる。合理性は、内省が直感を制御できるのかという二重過程理論の視点で議論されることが多いが、”Rationality & Dual-process”では、このテーマの発表が行われる。また、ヒトと他の哺乳類との最も大きな違いの一つに協同がある。”Rationality & Cooperation”では、合理的な協同をテーマとした発表が行われる。さらに、文化は人間が適応のために創り出した道具だが、この合理性が”Cultural Rationality”で議論される。

 プログラムは下記のウェブサイト

https://sites.google.com/view/21kk0042/the-international-symposium-on-rationality-theories-and-implications-2024

2024年8月15日木曜日

マイサイドバイアス―政治的二極化の説明

  キース・スタノヴィッチの最新の著作であるThe bias that divides usが東洋大学の北村英哉先生や私の前任校である神戸女学院大学で同僚だった小林知博先生らの訳で『私たちを分断するバイアス』として出版された。本書の中で扱われているテーマは、マイサイドバイアスと呼ばれるもので、現代の政治的分断を非常にうまく説明できる概念だと思う。

 スタノヴィッチは、直感的システムと知能と関係する内省的システムを想定する二重過程論者だが、彼らが常々検証してきたのは、直感的システムの産物である認知バイアスが内省的システムによって制御されており、内省的システムが機能するほど (たとえば、知能が高い人ほど) 認知的バイアスを生じさせないという知見である。ところが、そのような中で、マイサイドバイアスは例外なのである。つまり、知能が高くてもこのバイアスは生じるということだ。

 マイサイドバイアスとは、元々は確証バイアスとよばれていたバイアスの動機的側面を表現したものである。確証バイアスとは、「移民が増えると犯罪が増加する」という命題が正しいかどうかを検証するときに、移民が増えて犯罪が増加した国を探したり、移民による犯罪事例ばかりに注目したりするバイアスである。しかし、確証バイアスには、情報探索の戦略としての側面と、この命題が正しくあって欲しいことを望む動機的側面が含まれている。そのような意味で、前者は現在では正事例検証戦略とも呼ばれ、不確実な命題の真偽を検証するのに、正事例の発見は負事例の発見よりも多くの場合に (あくまで「多くの場合に」であるが) 効率的という意味で陥りやすいバイアスなのである。効率的という理由は、正事例は概して希少で、発見すれば大きなインパクトとなるからである (そもそも日本では移民は圧倒的に少なく、それだけに彼らの犯罪は目立つ)。後者がマイサイドバイアスで、移民の増大に反対している人は、「移民が増えると犯罪が増える」という命題が正しいものであって欲しいと願って、正事例に注目するというわけである。つまり、「移民に賛成」というアザーサイドに対し、「移民に反対」というマイサイドを守るために正事例に注目し、それが多くあって欲しいと願っているわけだ。

 第二次世界大戦後は、日本にしろ欧米諸国にしろ、人権の高揚が見られ、人種差別や女性差別、LGBT差別が減少してる (それでも無くなってはいないが)。それは、高等教育の普及による内省的システムの機能の向上によるものと推察できる (実際に、知能が上昇しているとするフリン効果も報告されている)。つまり、直感的システムの産物である偏見などを生み出すバイアスが、内省的システムにより制御されるようになった結果ともいえるわけだ。このような状況で政治が二極化するのはなぜなのかという問題に、マイサイドバイアスが内省的システムの制御外だという指摘は、うまい解答を与えてくれている。端的に言えば、デビッド・ヒュームがいうように、「理性は情念の下僕」なのだろう。

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2024年8月5日月曜日

10th International Conference on Thinking (4)―直感で宗教を信ずる東洋人?

 6月のミラノの国際学会で発表した宗教的ビリーフの比較文化研究のきっかけは、宗教的ビリーフと思考スタイルの関係について、西洋人を扱った研究と日本人を扱った研究に不一致があったからである。西洋人を扱った実験では、内省的システムを好んでいる人々ほど宗教的ビリーフは弱いことが示されている。一般に、内省的システムは、認知的なバイアスを抑制することが示されており、その一環として、宗教的ビリーフや疑似科学的ビリーフも抑制されると考えられる。ところが、北星学園大学の眞嶋良全先生の示したデータ (Majima, 2015 Applied Cognitive Psychology) によれば、日本人は、直感的システムと内省的システムの両方が宗教的ビリーフを促進している。

 この違いは何だろうかという疑問から、私たちのこの研究が始まっている。日本人、英国人、フランス人を参加者として行った調査の結果、日本人のデータは眞嶋先生の結果と部分的に一致し、英国人とフランス人のデータからは、内省的システムが宗教的ビリーフを抑制するということがわかった。つまりこの不一致は文化差なのである。

 認知の文化差というと、西洋人の分析的思考・東洋人の全体的思考という区分があり、その枠組みで説明できるかもしれないが、宗教特有の何かが要因としてありそうでもある。実は私個人としては、西洋人の結果よりも、日本人の結果のほうがピンとくる。つまり、直感に頼る人のほうが宗教的ビリーフは強いというのは、当然のように思われるのである。静まり返った神社の境内で、パワーを感じたり、何かに護られた感じがしたりするのは、おそらく直感によるものではないだろうか。

 一方で、西洋人のデータは、理性でもって迷信を抑え込むという西洋人の宗教的あるいは哲学的伝統を物語っているように思える。先日、ある大学で神学を専攻されている学生から伺った情報だが、キリスト教の源流ともいえるユダヤ教の聖典のタルムードの中に神の理解のための論理性が強調されている文言があるようだ。つまり、ユダヤ教や、その影響を受けたキリスト教の中に、神は直感ではなく論理的に理解されるべきという価値観が綿々と受け継がれているようなのである。理性に合致しないなら宗教でも抑制するというわけだ。

 この違いは、宗教の発展の中で起きたちょっとした違いによるものなのか、一神教と多神教の根本的な違いなのか、あるいは西洋人の分析的認知と東洋人の全体的認知という差異が反映されているのか、今のところはよくわからないが、この研究の一番大きな成果のように思える。

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